FGI氏その5
19XX年6月のとある小学校。
「・・・・・・ハァ」
午前5時半、8時20分が朝礼開始の学校に置いて、生徒が来るには速すぎる時間。
一人の女性が自分の机の前に立っていた。この小学校の先生、屋島である。
彼女の前には、ゴミ箱のゴミがブチ撒けられ、落書きで元の机の色が分からない様な状態になっていた。
そう、彼女はいじめられていた。他の先生からいじめを受けているのではない。
彼女が受け持つクラス『5の1』の生徒から、である。
「・・・・・・」
彼女がこのクラスの担任になったのは4月、その終わりくらいからいじめは始まっていた。
理由は今だに分からないが、いじめは35名居る生徒の半分くらいが主犯なのは分かっている。
分かっている・・・ のだが、それを叱る事は出来ない。『教育者』としての立場があるからである。
それが彼女を余計に苦しめていた。
「・・・・・・もう、疲れたな」
私自信、今まで良く耐えれたと思う。生徒からのいじめは学校がある日は常にあったから。
最初はまだ良かった。黒板消しくらいはいじめでは無くただの悪戯だと思っていた。
だけど、私が怒ることの出来ない立場と知ってか、突然『悪戯』が『いじめ』になった。
もし今までの悪戯だったら、私はこんなに悩んでない。
最初は机の上に教室に飾ってあった花瓶が置いてあった。
まだ小学生レベルである。
が、次第に引き出しの中身が荒らされたり、机の上の荷物が投げ出されたりするようになった。
そして、生徒が私を無視するようになった。私が何を聞いても返事をしない。
健康観察の時も返事をしてくれない。
私は『いじめを受けている』事が嫌でも分かった。
そしていじめはエスカレートし、今では朝早くに学校へ行き、机の整理と身の回りの物をチェックしている。
「・・・あれ?」
そして、昨日引き出しに忘れて帰ってしまった『ハンカチ』が無い事に気付いた。
色々な物がぶちまけられた机の周りを探しても見付からない。
「・・・また、盗られた」
ハンカチ、筆箱、化粧品類etc・・・ 彼女が今まで盗られた物である。
「もう・・・ 嫌だ。私は、何で、こんなに・・・ッ!」
泣きながら彼女は家で書いて来た紙を手に、校長室に向かうのだった・・・。
――朝礼前
「おいおい、今日は珍しく屋島が机片付けてねぇぞ!」
「いい加減気付いたんじゃね!? 片付けても無駄だってな!」
「どうせ汚すからな!」
「「「ギャハハハハ!!」」」
教室に響く馬鹿笑い。『先生いじめ』もあいつらにとっては遊びである。
「ねえ、毎回思うけど、何で先生いじめてるの?」
「アア? だってアイツ凄ぇ暗いじゃん! ネクラじゃん!」
「気持悪いから。声ちっちぇし! なんか、ボソボソ、幽霊見てえじゃん!」
「いじめてても何も言って来ないし、怒らねえし、皆も陰で色々やってるくらいだし、いじめ易いんだよ! お前もやれよ、隼人!」
「・・・いや、その、バレたら、親に怒られるから・・・」
嘘。怒られるのは確かだけど、僕は先生が可哀想だからやらない。
やれって言われてもやらない・・・ でも、いじめを止める事は出来ない。
クラス替えがあって、僕は担任の先生が屋島先生で嬉しかった。
飼育係である僕は、よく屋島先生に手伝って貰っていたからだ。
屋島先生は優しかった。
飼育小屋のうさぎやにわとりが怪我や病気になった時、一番心配してたのは屋島先生だった。
僕が飼育小屋で怪我をしたときも、走って保険室から救急箱を取って来て、消毒してくれた。
だから、先生が一人で自分の机を掃除してる時は、僕も手伝ってあげていた。
それくらいしか、僕には出来なかった。他のクラスメイトにバレたら、僕がいじめられるから。
「親何ていちいち気にすんなよ」
「もしかして、屋島遅刻じゃない? それで教室入って机見たらガッカリ! 的な!?」
「最高じゃん! 笑い堪えるの無理かもwww」
「・・・・・・」
―キーンコーンカーンコーン・・・
「はい、皆さん座って下さいね〜」
「?」
チャイムが鳴って入って来たのは、屋島先生ではなく教頭先生だった。
「? 屋島先生の机が汚いな」
「先生! それは僕が転んでしまって、先生の机を引っくり返したからです! 後で直しときます!」
「そうか。じゃあ、日直〜」
教頭先生は興味無さそうにサッサと朝礼を始める。三人が吹き出している。
多分、隠す為に言ったのでは無く、どんな反応か確認したかったのだろう。
「(影うっす〜)」
「(先生としてアイツ駄目何じゃね?)」
「(言えてる!)」
この会話が教頭先生には聞こえなかったらしい。教頭先生は普通に話を始めた。
「え〜、屋島先生はある理由で学校を休みます。夏休みが終わってちょっとくらいには帰って来る予定です。 夏休みまでは私が担任になります。以上、日直」
「屋島、ついに逃げたか」
「このまま学校辞めるんじゃね?」
「駄目駄目じゃん!」
「「「ギャハハハハ!!」」」
・・・馬鹿笑いが頭に余計に響く。屋島先生が・・・まさか、辞める?せっかく担任の先生になったのに?
三人の笑い声が頭の中を何回もループした。今日は授業に集中出来そうに無い。
今年は僕にとって最悪の夏休み前となりそうだった。
* * *
8月の始まり
ガツガツ・・・
「暑い・・・」
屋島宅・・・と言っても一人暮らし、アパートである。真夏の猛暑が続く中、屋島は家に居た。
と言うか、休みをとってから家を出るのは食糧を買いに行く時だけである。
「このアイス、美味しい・・・」
学校が夏休みに入って半月、自分が休みをとった日から数えると1ヶ月くらい。
屋島は今までずっと同じ生活を続けていた。
食べる→ゴロゴロする→食べる→寝る
遊びにも行かず、運動もせず、時には風呂にも入らず、食べる。
毎月来る親からの仕送りは全て食費に使っていた。
なぜこれほどまで食べるのか?その理由は生徒から受けたいじめにある。
精神的に参ってしまい、『過食症』になってしまったのだ。
「ゴクッ・・・ プハァ。やっぱり冷えたコーラは最高ね・・・ もう一本・・・」
ドスン ビリッ
「あ・・・」
ベッドから降りて前屈みになった為、寝間着のズボンが破れた。
1週間前に買ったのだが、今の屋島の急激な変化に耐えられ無かったのだ。仕方なく、通販で買った特別品を出した。
「・・・元の私3人分以上あるわね・・・」
そんな事を考えながら鏡の前に立ち、ズボンを履き替えてから一度、自分の姿を見る。
そこには、1ヶ月前の細身で黒い長髪の自分ではなく、まったく別の自分がいた。
顔は垂れた頬、脂肪で細くなった目、汗ではりつく髪、そして2重顎。
最近はメガネが自分の荒い息でよく曇るのが辛い。
体は更に酷く、重さで垂れてしまった胸、垂れた胸が乗る程前に出た三段腹。
横から見ると腹肉がズボンや服からはみ出てるのが良く分かる。
少し動く度にズボンはズれ、服で無理矢理隠した腹が表れる。
下半身も弛んだ尻や肉割れが出来た足、閉じることの出来ない太股・・・ その全てが、今の自分の姿だった。
「・・・」
脂でベトベトになった髪が体にまとわりつくのがうっとおしい。
本当なら切りたいが、切りに行くのが億劫なので行かない、と言うか、動きたくない。
冷蔵庫から1,5Lコーラをとり、ベッドに戻る。たったそれだけの移動で屋島は息を荒げていた。
「ぜぇ、はぁ、・・・ふぅ」
蓋をあけてコーラをラッパ飲みする。一口目で半分くらいは飲んでいた。
「・・・昔は炭酸なんて飲めなかったのに・・・ふふふ」
自分で飲んだコーラの減りっぷりを見て笑う。ほんの1ヶ月ちょっと前なのに凄く昔に思える。
それだけ自分が変わったと言うことだろう。
ピンポーン♪
インターホンが鳴る。家に人が来る様な事は滅多に無いのだが・・・。
「まあ、このままで良いか・・・」
下は変えたばかりのジャージ、上はボタンの取れたパジャマ、その下にシャツを着ている、かなりラフな服装だったが、気にしなかった。
重い体を揺らし、壁で体を支えつつ玄関まで歩く。玄関に着いた時にはやはり息が切れていた。
「ふーっ、ふーっ・・・」
息も整えず扉を開ける。誰も居ない・・・ と思ったら、相手が小さく、自分の目線より下にいた。
「隼人・・・ 君?」
一番予想外で、一番今の自分の体を見せたく無い生徒がそこに居た。
「先・・・ 生?」
まず扉が開いて見えたのは、ギチギチのランニングシャツから溢れ出てるの大きなお腹だった。
そして上を見ると、先生の顔が見えた。
言葉が疑問系になったのは、先生か自信がなくなったから。
面影はあったけど・・・ 先生は夏休みが始まる前より凄く太っていた。
「こんにちは・・・」
「こんにちは。・・・外は暑いから、中に入らない?」
そう言って先生は僕を部屋に居れてくれた。が、逆に部屋の中は寒かった。
「先生、エアコン強すぎるよ・・・」
「え? ああ、ごめんなさい・・・」
リモコンで設定温度をあげる。先生は室温調整のボタンを何度も押していた。そして、僕はある事に気付いた。
臭い。この部屋の臭いではなく、先生から臭いがする。汗だけの臭いじゃない・・・。
「先生・・・ その、体の調子が悪いの?」
「え? ・・・どうして?」
「うん・・・ お風呂入って無い見たいだから・・・」
「え!? い、いや、そんなことは無いよ。うん」
しまった。そう言えば一昨日から食べて寝てでシャワーも浴びて無い。
私は今更自分が汗と着替えてないシャツの臭いで悪臭を漂わせてる事に気付いた。
「・・・でも、病気なんでしょ? 学校も休んだまま夏休みに入ったし、それに・・・」
「?」
「先生のその体・・・」
・・・子供は素直だ、私はそう思った。
「べ、別にそんなこと無いよ? ほら、この通り!」
「え・・・ 先生?」
先生は立ち上がりジャンプしたり動いたりする。
が、動く度にドスンドスンと動き、動く度にぜい肉を揺らして強がる先生を僕は見て居られなかった。
「先生・・・」
「きゃっ・・・!」
その時、先生はバランスを崩して倒れた。
起き上がるのに苦労しジタバタする先生のズボンがずりおち、お腹を隠していたシャツがめくりあがり、脂肪だらけの体と下着が見えた。
「フフフ・・・ やっぱり駄目ね。思うように動けないわ」
先生は投げやり気味に言った。
ほんのちょっと動いただけなのに、先生の体からは大量の汗と薄く湯気が出ていた。
「先生ね、学校休んですぐ、病院で『過食症』って診断されたの」
「過食・・・ 症?」
確か、ストレスからなる、食欲が抑えられなくなる病気ってテレビで聞いた事がある。
「それで、学校休んでからは自分が食べたい物食べて、吐きそうになるまで食べて、寝て、食べて、寝て・・・ それでこんな体になったの。今も何か食べたいわ。もう、学校には行けない。先生、こんな体になっちゃったし、これからももっと肥る。もしかしてその内、動けなくなるかも知れない」
ポタポタと体から垂れる汗を拭おうともせず、私は荒い息遣いで話す。
熱くて苦しいが、こんな私の家に来てくれた生徒には、私の話を真面目に聞いて貰いたいと思い、エアコンの温度調整もせず話を続ける。
「君にはいつも手伝ってもらってたわね。君は先生が先生として過ごして来た中で一番優しい生徒だと思う。私が学校を辞めても他の友達や先生達にも優しくしないと駄目だよ? 分かった?」
自分の先生として言える最後の言葉だった。
こんなに肥った体の私を見ても引かずに私を心配してくれた、優しい教え子に言える私なりのアドバイスだった。
「・・・やだ」
「え?」
「やだ! 先生やめちゃやだ! せっかく先生が担任になって嬉しかったのに、すぐにお別れなんてやだ!」
「隼人君、私は・・・」
私が言い訳を言おうとしたとき、隼人君は玄関に向かっていった。
私が慌てて、しかし緩慢な動きで立ち上がり、玄関に向かった時には、既に隼人君は外に出ようとしていた。
「夏休みが終わったら絶対に学校に来てよね! 約束だよ! 約束破ったら針千本だからね!」
隼人君は泣きながらそう言って、走って出ていった。
「・・・約束か・・・」
玄関から部屋に戻り、タオルを探しながら呟いた。さっきまで私が座っていたところに水(汗)溜まりが出来ていたからだ。
「でも、私は無理よ・・・」
タオルを見つけ、床と体を拭いた後、先程飲んでいたコーラを飲む。
さっき拭いたのにすでに汗だくの体にコーラが染み渡る。
「もう終わり、もう飲まない」と心で思いつつも、結局一気に飲みきった。ペットボトルから手を離した時、私は泣いていた。
「だって、止められないもの・・・ 食べたいし飲みたいもの・・・」
卑しい豚、いや、もはや豚ですら無いかも知れない。
餌を食べるだけ食べ何もしない、豚だって動くし、食べる限度がある。
だが、今の屋島はただ食べるだけ。動くのは動かなくてはならない時だけで限界なく食べる。
『腹がいっぱいになった』気がしない為、どれだけ食べても常に腹が満腹感を感じないから。
「・・・やっぱいいや、食べよう・・・」
屋島の目に涙はもう無かった。だが、目に光も無かった。
なんとか立ち上がり、重い体を揺らして貯めておいた食べ物のある場所まで行き、座り込む。
―――そして、その部屋に響く音は屋島が何かを食べる音だけになった・・・。