830氏による強制肥満化SS

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ブルッ ブルッ。
自分の体が揺れたり、自分の体同士が擦れる感覚なんて、3ヶ月前のわたしは知らなかった。
まして、よつん這いで暮らす床の感触や、静かな部屋に響く自分の鼻息なんて。

 

 

 

「すみません、急に呼び止めまして。」

 

その男に声をかけられたのは金曜の仕事帰りだった。

 

上品なスーツを着ているけど、撫で肩でどこか胡散臭い風体。
痩せ過ぎでお困りではないですか?
そんな奇妙な台詞とともに男が差し出した名刺にはこう、書いてあった。

 

肥育士
阿藤芳次

 

正直、何がなんだか分からない。
混乱しながらも、見せられた名刺の肩書きを声に出して読む。

 

「ひいく・・・」
「ええ、ひいくし、と読むんです。拒食症でお困りの方からご相談を受けて、生活改善のお手伝いをする仕事です。語弊を恐れずに言えば、健康的に太って頂くという仕事になるでしょうか。申し遅れました。私、阿藤芳次と言います。」

 

肥育士なんて聞いた事が無い。
そんな仕事があるんですか、単純な好奇心からそう尋ねかけた所で、男がまた遮るように言った。

 

「もちろん、それだけじゃ喰えませんから。こういうのもやってます。」

 

差し出された名刺は、さっきの物と殆ど同じ体裁だったが、男が親指の爪で示したあたりに食餌療法士、と書いてある。どっちが本業なんだ、そんな疑問が出るよりも早く、私はわずかに語気を荒くして言った。

 

「わたし、そんなにガリガリに見えます?」

 

私は今、痩せていることに少し敏感になっているのだ。
今も、自分の口から出たガリガリという言葉にムッとしてしまったくらい。
その大きな原因、それは3回連続でフラれた原因が痩せているせいだった事。

 

「お前、本当に胸無いな。」
「骨当たるの痛いんだけど?」
「ごめん、俺ガリガリだめなんだよ〜。」

 

元彼、告った相手から投げかけられた言葉たちを思い出すとため息が出る。

 

確かにC買うとブラはスカスカだし、お尻も平坦。それでも元々自分の体は割と気に入っていた。
でも、貧弱で痩せっぽちの体・・・ この時の私には、そういう風に自分の体を捉えるのに十分な材料が揃っていた。

 

「いいえ。平均より少し痩せている程度で、全く正常とお見受けします。ただ、大分塞ぎ込んだご様子だったので、お声をかけさせて頂いたんです。」
仕事柄、痩せた人を見ると気になるのは事実だが、普段は路上で声をかけたりはしていない。男はそう説明した。
「照れ隠しに仕事の形を借りたナンパですか?」
「・・・手厳しいですね。」

 

先ほどまで人の言葉を遮るように喋っていたのは男の癖なのだろう。
せっかちという訳ではなさそうだけど、人の話を最後まで聞かないタイプ。
だけど、こちらが少し苛立った態度を見せると、その癖は姿を消して、男はわたしの返答が終わるのをじっくり伺ってから喋るようになった。

 

「5分だけお時間頂けませんか?」

 

はじめは惰性で半信半疑のまま話を聞いていたものの、男の過去の実績から施術のリスクまで聞いた5分後にはもう、少し心を開いてしまっていた。ふさぎ込んでいた気持ちを男が看破していた事や、カウンセラー然とした男の受け答えのせいだろう。

 

なんだか手慣れてますね、半分笑いながら私が言うと、阿藤はまた、手厳しいですね、と言って笑った。

 

結局そのままカフェに入って、後はただ雑談。
これじゃ本当にただのナンパですね、と自嘲する男と、名前も明かさないままに1時間くらい話し込んだ。

 

「3回連続で痩せてるからフラれたなんて・・・ わたしも運悪いですよね。」

 

トイレに立ちながら、そう言った私に、阿藤は、

 

「偶然じゃないかもしれませんよ。だからこそ私がここに居るんです。」

 

と言った。トイレ中考えても、わたしには阿藤の言葉がどういう意味か分からなかった。

 

トイレから戻ると阿藤の姿は無くなっていた。
テーブルの上には、伝票の代わりに肥育士と書いてある阿藤の名刺が残っていた。
名刺の裏には、気が向いたら連絡下さい、とだけ走り書きがあった。

「先日はどうも。佐野佑香さん、と仰るんですね。」
阿藤はわたしの書いた問診票を見ながら言った。

 

結局、電話してしまったのだ。

 

気が向くも何も、週末になるとすぐ電話をかけた私。
翌週の火曜の午後には阿藤と約束した場所に来ていた。

 

新宿西口、かなり大きなビルの32F。
エレベーターが階に到着して扉が開くと、看板がすぐに目についた。

 

阿藤クリニック
内科 婦人科 消化器科 泌尿器科
院長 阿藤芳次

 

院長の所に阿藤とある。数日前に貰った名刺を出して名前を確認すると、たしかにあの阿藤のようだ。
クリニックの入り口を中心に通路が一直線に続いているが、そこに他の店舗は見当たらない。
となるとかなり大きなクリニックなはずだ。しかし阿藤の人となりを思い出すと、なかなか信じ難かった。

 

表示によれば、火曜の午後と金曜の午後から日曜までは休診となっている通り、磨りガラス越しに見る院内は暗く、わずかな間接照明だけが照らしている。

 

約束の時間を過ぎて、入り口に立っていると、阿藤が通路の端から顔を出した。

 

「すいませーん、こっちですー!」

 

阿藤は通路の端にある搬入出用の大きなエレベーターから、無骨な台車のようなもので大きな段ボールを運び出している最中だった。
ちょうど荷物が届いた所だったらしい。クリニックの搬入口だろうか、大きな扉を支えて、阿藤が荷物を運び込むの手伝ってやった。
助かりました、という声を聞き、入り口に向かう素振りを見せた私を阿藤が呼び止めて言った。

 

「こっちです。肥育外来の入り口はここなんですよ。」

 

「改めて。阿藤です。宜しくお願いします。」
差し出した名刺には医学博士とある。いくつ肩書きがあるんだろうか。
名刺を受け取りながら、肥育士なんて名乗らないで、普通に医者と名乗ったほうがいいんじゃないかと聞く私。

 

「全てちゃんと説明しないと気が済まない性質なんです。医者向きだと思いませんか?」

 

そう言って阿藤は笑う。

 

「でも普通は肥育っていう言葉がどうしても引っかかりますよ。電話も相当悩みました。今日だってくるのを辞めようと思ったくらいで・・・」
「でも心に引っかかった。気になったんでしょう?」

 

阿藤は笑みを浮かべながら私の言葉を遮った。

 

それから10分くらいかけて、問診と簡単な身体測定をした。

 

「さて、じゃあ、まずは通院してみませんか? 経口薬と栄養ドリンクだけ出しますんで。」
「その薬を飲んで・・・ あとは何をすれば良いんですか?」
「ええ。薬は毎食後に2錠ずつ飲んでください。それだけ守って頂ければ、後は好きにして頂いて結構です。」

 

拍子抜け、というのが正直な感想だった。手軽とは聞いていたものの、そんなに簡単に太れるものなのだろうか。

 

阿藤の話は私の疑問を他所に逸れていった。

 

「特にこのドリンク、結構美味いんですよ。わたしも時々飲むんです。飲んでみます?」

 

冷蔵庫から出した500mlペットボトルを無造作に机の上に置く。
ボトルの中には牛乳をやや薄くしたような液体が入っている。
乳製品か何かですか、そう聞くと阿藤は頷いた。
私が迷っていると、ややあって阿藤がキャップを捻り、渡してくれた。

 

味見してみる。
・・・ほんのり甘い。

 

「ちょっと物足りない感じだけど、やさしい味。美味しいですね。」
「クセになるんですよ。これが。とりあえず薬を3日分出しておくので、やって見ましょう。」

 

すっかりやる気になっていた私は同意書にサインしたが、
大事な事を聞き忘れたのを思い出して、同意書を手に持ったまま聞いた。

 

「治療費? っていうんですか? いくら位にかかるんでしょうか?」
「薬と消耗品にかかる実費だけ負担していただければ結構です。当然保険適用外ですが、薬も一ヶ月で6000円で済みますし、ドリンクもこのボトル一本で 100円くらいのものなので。ドリンクを毎日一本飲んだとして、毎月10000円程度です。」
「診察代とか、いいんですか?」
「とんでもない。そんなつもりで声をかけさせていただいた訳ではありませんよ。プロによるボランティアの医療行為だと思って下さい。私も佐野さんのお手伝いができれば、心が満たされますから。」

 

ありがたく受け取れば・・・ いいか。答える代わりに私は同意書を渡した。

 

この薬はピルみたいなものなのかな?
薬を飲む前に、一応インターネットで調べてみた。
英語のサイトばかりで大体しか分からなかったが、成分はホルモン様物質らしい。
体重増加が見られた、という記述がいくつか見つけられたが、信頼していいのか分からなかった。

 

いずれにせよ実際の効果は覿面だった。

 

2日服用した所で感じた変化は、とにかく胸。
生理周期の比じゃない豊胸効果。ブラから抜いたパッドが物語っている。
私は素直に喜んでいた。

 

それよりも渡されたペットボトル、これが美味しくてついつい飲んでしまう。
一日一本のはずが、水曜の午後にはもう3本とも飲みきってしまっていた。

 

次の予約は来週の火曜・・・。
とにかく続ける気になった私は、はやる気持ちから、仕事帰りに阿藤に電話していた。
診察時間は過ぎている。ダメもとのつもりでかけてみると、思いがけずつながった。
電話に出たのは阿藤本人だった。

 

「ああ、佐野さんですか。調子はどうですか?」
「すごい効果です。わたし、決めました。続けようと思うんですけど・・・」
「・・・わかりました。じゃあ来週また同じ時間でお待ちしてますので。」
「いえ、あの・・・ すぐに始められませんか? 薬はまだあるんですけど、明日で切れちゃうんで。あと、栄養ドリンクが無くなってしまったんです。普通に美味しいですよね。これ。」
「気に入っていただけましたか。それでしたら・・・」

 

阿藤に金曜の午後の約束をとりつけて、電話を切った。

 

 

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