656氏その2
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駅へ飛び込んだなつみは、急いで、あの日乗った路線に飛び乗った。帰宅のために降りるいつもの駅を通過し、やがて列車は街を抜け、田園と森林地帯へ入った。
いつのまにか太陽は沈み、夜が訪れようとしていた。やがてあの夜の無人駅で、なつみは降りた。
あの日と、何も変わっていない。駅には人の気配が無いし、駅前には灯も無い。
息を切らし、なつみは走った。朝より明らかに重くなっている体が、事態の深刻さを物語る。朝にはピッタリだったシャツから、しっかりと、柔らかな腹肉が覗く。
林の中の灯は、あの夜と同じようにあった。そして、なつみは駆け込んだ。
誰もいない、薄暗い神社。あの日はただ恐怖に怯えていたが、今日のなつみはしっかりと立って、
「神様! 私の願いを叶えた神様! 出てきて!」
叫んだ。静寂の林に声がこだまし、そして再び耳が痛くなるほどの静寂。
風が、吹いた。
「お前か」
あの日の少年が、同じように現れた。仁王立ちで、恐ろしいほどになつみを睨んでいる。
「この前の、私の願い、あれを無かったことにして欲しいの! 元に戻して欲しいの!」
「できん」
きっぱりと、少年は言った。
「あの日、身勝手な願いをし、友人をめちゃくちゃにしたのはお前だ。お前の力で何とかするんだな」
風とともに去ろうとした少年の袴の裾を、なつみは必死に掴んだ。100kgを越えた巨体とは信じられないほどの早業だった。
「まだ何か用か?」
「お願い…… なんとかしてよ… あきえには申し訳ないことをしたと思ってるし… 大変なことをしたって、わかってる…… でも、あの子には、何も関係ないのに、私のせいであんなになっちゃって…、私、わたし、どうしたら……」
泣きついたなつみに、観念した少年は大きなため息をついて、
「……方法は1つだけある」
「えっ…?」
なつみに向き直り、威厳のある、静かな声で少年は告げた。
「1度叶えた願い事を、全て元に戻す、唯一の方法だ。それは、」
「………」
「願いを叶えたことによって生じた利益、損害、全て、自分で被ることだ」
「!」
「今回、お前は願い事をし、それにより、利益がお前方に生じ、損害が相手方に生じた。利益はすでにお前が被っているので、相手方の損害を全て被ることにより、願い事は解消される。プラスマイナスをゼロにするわけだ」
「……それで、あきえは元に戻るの?」
「すっかり元通りになる。ただ、受けた心の傷や記憶までは消せないが。どうだ?」
「あきえが、元に戻るなら」
「よし、了解した」
風が、林を包んだ。今までに無い、強い風だった。
しばらく木の葉を散らして舞った後、なつみを気絶させ、風は止んだ。
少年の姿も、同時に消えた。
風が止んでから数秒。
意識を失い、倒れこんだなつみの体に、異変が起きはじめた。
100kgを越える肥満体が、さらに膨らみ始めた。朝からの増量で小さくなっていた彼女の服が、さらに小さく見えていく。
覗く程度だった大きな腹肉はずんずん膨らみ、服を押しのけ、完全に露になった。同時にズボンのボタンが弾け、ファスナーも壊れる。
それでもなつみの膨張は止まらない。大根のような足も、2回り、3回りと太くなり、ジーンズを破いた。むくむくと膨れ上がる二の腕はシャツを破き、通常の人の太ももを軽く越える。胸もだらしなく膨らみ、辛うじて残っていた首は下から胸に、上から顎肉に隠された。
かわいらしいおデブちゃんだったなつみが、ただの肉の塊へと変貌していく。
数分間に渡り、膨張は続き、なつみの全ての服を破壊して、やがて止まった。
数日後。
「あれ? あきえ久しぶりだねー!」
街で、笑顔で友人に会うあきえがいた。
「今まで何してたの? それに、前に会ったときは急に太ってたけど、もうすっかり元に戻ってるじゃん」
「あ、うん。そうなのよ〜」
(一体なんだったのかな……)
急激に太り続ける体に発狂まがいになり、自宅に引きこもって過食し続けていたはずの自分が、ある日目を覚ますと、元の体に戻っていた。恐る恐るおなかを触ると、以前の平らなおなかがあった。
夢かとも思ったが、食い散らかした部屋は目の前に確かに在った。自分でもわけがわからなくなり、医者にかかったが、全く健康だと言われた。
(おかしーな…)
「あきえ?」
「えっ? あ、うん、なんでもないよ〜」
あきえと友人は、コンビニに立ち寄った。そこであきえが手にした雑誌には、『怪奇! 神社の肥満女の謎!』 との見出しが載っていたが、あきえは気づかなかった。
なつみが再び神社を訪れた次の朝、地元住民が、神社の境内で横たわる、巨大な物体を発見した。住民は驚いてよく調べると、それは極限まで肥満しきった人間であるとわかった。
一糸纏わぬ丸裸で、荒々しく息をしている。すぐに病院へ連絡し、救急車がかけつけたが、あまりの重さにどうすることもできず、重機が出動するハメになった。
病院に運び込まれたその巨体は人間の女性で、体重は300kgを越えた。あまりの重さに、女性は自分では動けず、荒い息を繰り返すばかりだが、それでも、猛烈に食べ物を欲し、与えられた流動食を飲み続けた。少しでも流動食が切れると発狂しそうになるので、つねに食料は与えられた。おそらく、精神異常をきたしていて、食欲以外頭に無いのだろう。
女性の身元も、年齢もわからない。どこから来たのかも、どうしてこんなに太ったのか、どうやってあの神社に来たのかも、誰にもわからなかった。
あの夜、願いを解消するため、なつみはあきえが被った損害を全て受け止めた。
願いのせいで増えたあきえの体重がそっくりそのまま追加され、さらに、過食症に陥った彼女の狂ったような食欲も受け止めた。以前からの自分の食欲にそれが重なり、今のなつみはただの食の亡者であった。猛烈な食欲で食料を取り込み続け、なつみは更に太り続けた。
「自業自得、……か」
肉塊が発見されて以来、オカルトマニアが度々訪れ、少し潤った神社で、少年がつぶやいた。
「都会を離れた、寂れた神社でわがままな願いをすると、怒った神様に、ブクブクに太らされるんだって」
「何それー」
「都市伝説よ、都市伝説。それで、自分勝手な願いをしたひとりの女性が、人知れないとある病院の奥の病室で今でも太り続けてるんだってー」
「こわー………ところでさ、アンタさっきから食べすぎじゃない? また太るよ?」
「うっ……あーあ、食べても太らない体が欲しいなぁ……」
完
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