656氏その2
なつみの体重の減少はその後も続いた。
デブからポッチャリになり、そして普通レベルと言われてもおかしくないほどになった。もともと可愛らしい顔つきだったなつみは、痩せてさらに美人になり、ちやほやされるようになった。数日のうちに、誰もがうらやむスタイルを手にしていたのである。
それでいて、食べても食べても体重は増えない。
なつみの望んだ、「食べても太らない体」は見事になつみのものになった。
いざ、自分の思い通りになり、周りからもてはやされると、あきえのことなど、いつの間にかなつみの頭からすっかり消え去っていた。
食べても太らない体を手に入れて、なつみは変わった。
自分に自信がつき、生活スタイルはもとより、性格まで変わった。
食べるのが大好きなのは相変わらずだから、食べても太らないのをいいことに、以前に増してなつみは大食いになった。
週に1回は、安価なバイキングに出かけ、お腹一杯に満足するまで食べた。近くの定食屋の、大盛りチャレンジにも挑戦し、そして賞金を得た。そして、その賞金を使い、さらに念願の食べ放題ライフを満喫したのである。
「今日の晩御飯、○○屋にしない?」
「えっ、あそこって量多いんだよね? なつみは食べられるの?」
「私なら大丈夫よ」
定食屋では常に大盛り。しかも、デカ盛りと称されるような特大盛りの店をよく好んだ。付き添う友人は、最小レベルでも食べきれず、いつも完食するなつみにあきれた。
「なつみ…… よくそんなに食べてその体型でいられるわね」
「私、痩せの大食いなのよね〜」
当然、間食も欠かさない。大好きなクッキーやチョコをひたすら買っては、足りなくなったお金はバイトと賞金付き大食いで稼いだ。
「負けたよ…… お姉ちゃんすごいねぇ。はい、賞金。」
大盛り有名店の、幾度と無く大食いの超人が挑戦して玉砕してきた最上級の大盛りメニューも、ギャル曽根よろしくあっさりクリア。妊婦のようにお腹を膨らませながら、満足顔で賞金を受け取るのだった。
食べても食べても、太らない。それどころか、体重は痩せ気味を維持したままである。
お金にも困らない。食べれば食べるほど、お金は手に入れることが出来る。
周りからちやほやされる。食べたいものも好きなだけ食べられる。
「あ〜幸せっ!!」
あの夜の願い事や、あの日の友人の姿など、
もはや欠片も残っていなかった。
何週間も経った、ある朝。
「……あれ?」
モデルしか履けないような、細いジーンズ。足を挿れたなつみは違和感を感じた。
「きつい…?」
すんなり上がるはずの、ファスナーが上がらないのである。
「太った…? それともむくみかな?」
特に気にすることなく、タンスの中から、1つサイズの大きいものを出して、履いた。
次の日。
「……ん?」
またジーンズのファスナーが上がらない。昨日、1つサイズをあげたジーンズだ。なのに、今日もまた上がらなくなっていたのだ。
さすがに不審に思い、なつみは体重計を出した。痩せてから、もう増えることは無いと思い、再びしまわれていた体重計だ。
「うそ……」
ずっと50kgを切っていた体重。しかし、いまは60kgを越えていた。ヘソの周りに、わずかに柔らかいものが触れる。
「おかしいな… ちょっと食べ過ぎたかな…」
その日、なつみは食べ放題を、少しだけ自重した。
また次の日。
「なんで?!」
63kg。昨日よりも3kgも増えている。これは到底普通ではない。
「どうしたの? なんで?! …………!!」
なつみは、ようやく思い出した。
自分がこんなに痩せたのは、あの願いのおかげだと。
そして、その願いとは、小食のあきえと、大食の自分の、摂取エネルギーを交換するものだということ。
あきえのエネルギー摂取量が少ないから、自分が痩せたのだ。今回、自分が太った、ということは……
「……あきえの食事量が増えた?」
なつみは、急いであきえの電話番号を押した。しかし、どれだけ待っても電話に出る気配はなかった。
他の友人にあたってみても、県外に出ていたり、忙しかったりで、あきえの今の様子を知るものは誰もいなかった。それどころか、居場所すらわからない。誰も、実家すら知らなかった。
「どうしよう…… あきえに食べるのを控えてもらわないと…」
それから、なつみはあきえを探した。
いろいろ交友関係をあたったが、それでもあきえの居場所はつかめなかった。デパートの服売り場や、同窓会のあった店、高校など、思いつくところはすべて訪ねた。
しかし、手がかりはなかった。
日増しに、なつみの体重は増えていく。
1週間後には、80kgを突破した。以前太っていたなつみには、懐かしくもあるが、当然、それ以上に忌々しい数字であった。すっきりとした顎は再び2重になり、腹の肉もぶよぶよとつかめるようになってきた。
以前の服を取っておいたので、服に困ることは無かったが、そんなこと、なつみにはちっとも嬉しくない。
100kg手前だった体重が、数週間もしないうちに50kgを切るまでに減り、また、元の体重に戻ろうとしている。ここまで劇的に変化すると、周りの友人たちもさすがに奇妙だと思い、なつみから距離を置くようになった。痩せてるのに食べ放題という事をうらやんでいた者からは、自業自得と影で罵られた。
しかし、なつみはそんなことに耳を貸す暇は無かった。
一刻も早くあきえを見つけ、食べるのを止めさせないと、自分がどんどんと太ってしまう。
やがて、なつみの体重はついに以前よりも重くなってしまった。
その次の日には、あれほど嫌がっていた3桁の大台を、軽々と突破してしまった。
もう以前の服すらも入らない。あきえを探す片手間、なつみは服の買い物を余儀なくされた。
日に日に重くなっていく体に、ノイローゼ気味になったある日、一本の電話があった。
「なつみ! あきえの居場所知ってるよ!」
「ほんと?! どこ?! 今なにしてるの?!」
「それが……」
友人の話によると、あきえは某市の自宅アパートに、ここ最近ずっと引きこもっているのだという。外を出歩かず電話も出ないため、誰も居場所がわからなかったのだ。
なつみは、教えてもらった住所へ飛び出した。全速力で行きたかったが、何せ100kgを越えた体重である。走っても、すぐに息が切れる。
周囲に暑苦しさをばら撒きながら、電車を乗り継いで、なつみはあきえのアパートへと向かった。
ピンポーン…… ピンポーン……
「あきえ…! あきえっ!」
どれだけチャイムを鳴らしても、ドアを叩いても、中から反応は無い。郵便受けの広告も溜まりっ放しだった。
ガチャガチャ…… ガチャリッ
「あ、鍵が開いてる……」
なつみは、そっとドアを開けた。
「……あきえ?」
瞬間、なつみの鼻を異臭が突いた。食べ物の甘い匂い、辛い匂い、酸っぱい匂いと、汗臭さ、生臭さが混じった、なんとも形容しがたい異臭だった。
全力で駆けつけた、100kgのデブの汗の臭いなど、瞬間にかき消された。
中は電気もついておらず、薄暗い。窓もカーテンも開いていないようだ。
「!!」
暗闇に目が慣れたなつみが見たものは、開け放した冷蔵庫の前で床に座り込み、お菓子の袋やらペットボトルやらの空容器の山に埋もれた巨大な人間だった。
おそらく200kgは軽く越えていそうな巨体は、なつみに目もくれず、ひたすら食料を口に放り込み続けている。
両手を油やクリームでこれでもかというほど汚し、顔も、服も、髪の毛までベトベトである。おそらく何日も着替えていないのだろう、服は食料の汚れと汗でシミだらけだった。
ベトベトの腕は太もものように太く、食べ物を吸い込む顔は脂肪でパンパンになり、2重顎なんてもんじゃない。腹も胸も丸々と前に突き出し、座った体勢でまるでテーブルのように作用している。
シミだらけの服から、ブクブクとした腹が自己主張をしている。その腹も、またベトベトになっていた。
もはや、そこにいる人間が誰かは全くわからない。いや、人間かどうかもすでに怪しい。胸の膨らみ方と髪型から、女性だとはわかるが。
「………あ、あきえなの?」
全く反応せず、あきえらしき肉の塊は、次々に食べ物を運び続けている。
あきえの居場所を教えてくれた友人が、あの後、続けて言った言葉を思い出した。
「あきえ、ある日突然太りだして。食べる量は前の小食のままなのよ。最初は特に気にせず、変だな、で済ませてたんだけど、とうとう100kgを越えて…… それでも体重は増える一方で、医者に聞いても理由がわからないし…… あの子、おかしくなっちゃったのよ。食べてないのに太るもんだから。それで、過食症になっちゃったのよ。小食だったあの子がよ。信じられる? それから、ずっと家に引きこもっちゃって…… 家に行っても出てこないし、電話も出ないし……」
目の前で、ただただ食料をむさぼり続ける肉の塊。
かつて、ガリガリだった友人の姿。
食べても太らないと知った日から、なつみは、驚くほどの暴飲暴食を何週間も繰り返してきた。それだけの脂肪が、すべてあきえに付いてしまったのである。
これ、私がやったの?
私が食べた分のエネルギーが、あきえに行っちゃったの?
私のせい……?
「……やめてよ」
ほとんど泣きそうになりながら、なつみは言った。
「もう、やめてよ! お願いだから食べないで!」
なつみはあきえにしがみついた。それは、自分がこれ以上太りたくないとか、そんなことではなかった。(多少はあるが…)
自分のせいで変わり果ててしまった友人を、見ていられなかったのだ。
「もう食べちゃダメ、食べないでぇ……!」
無言のまま、あきえは100kgを越えるなつみの巨体を力いっぱい振りほどいた。
女性の力とは思えない強い力に、なつみは投げ飛ばされた。
そして、あきえは目の前の袋を食べつくすと、次は隣の袋を漁り始めた。
彼女に、なつみは完全に見えていない。
「ひっく……うっ…あぎえ゛……」
もはやどうすることも出来ない。
自分のせいで変わり果てた友人は、容赦なく自分を太らせていく。この瞬間も、なつみには肉がついているようだった。朝着てきた服が、少しずつきつくなってきているのがわかる。
「……あ」
なつみの脳裏に、神社が浮かんだ。
あの日、私が願い事をした、あの神社。
あそこに行けば、願いを解除できるかもしれない。なんとかできるかもしれない。
なつみは、急いでアパートを後にした。
あきえは、そんなことお構い無しに、食べ続けていた。