567氏その1
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セビル先生に太るように言われてから、はや3週間が経過した。
その間、私は太るための努力を… 食っちゃ寝することを努力というのかは知らないけど…
行なってきた。
その甲斐あって、私の体重は順調に増え続け、体のいたるところに脂肪がまとわりついてきた。
アゴは2重アゴへと変化しつつあり、おっぱいは2カップ大きくなった。
特に顕著なのおなか周りで、薄めの辞典ほどもある厚さの脂肪が指でつまめるようになった。
この体型ではもうぽっちゃりなんて可愛い言い方はできないだろう。
おまけに、太った体を動かすのが億劫で、徐々に出不精になってきている。
戦闘に駆り出される魔女としてこれはマズい。
心までもがデブに染まってきているようで、自己嫌悪することが多くなった。
「ねえリリアン。ちょっと買ってきて欲しいものがあるんだけれど」
そういう私の心を知ってか知らずか、お師匠様が私に買い物を命じる。
こういう雑務も弟子の仕事のひとつなので、拒否することもできず、私は買い物に出かけた。
「ふう… 暑いなあ」
買い物の帰り道。
額の汗を拭いながら私は往来を歩いていた。
ホウキに乗ってかっ飛ばしたいところだが、見習いのうちは学校以外でのホウキ乗りは禁止されているのだ。
「それにしても… あの店の人も随分太ってたなあ…」
先ほど行った店には魔女と思われる店員がいたのだが、これまた立派なデブだったのだ。
着られるものが他にないのかその店員はジャージを着用していたが、女としての身だしなみを放棄しているように見えてあまり楽しいものではなかった。
「私はああはなりたくないな…」
たとえデブになっても、おしゃれだけは続けていきたい。
可愛いデブを目指そう、と私は誓った。
「上から95、98、96ね。よろしい、合格よ」
「ありがとうございます」
進級判定の日。
私は見事にノルマを達成し、留年を免れることができた。
「これだけ立派な体になれば、もう心配はいらないわ。思いっきり魔力を伸ばしなさい」
「…はい」
セビル先生は褒めたつもりで言ってくれたのだろうが、正直言ってちっとも嬉しくない。
(うう… いつの間にかウエストが1番大きくなっていたなんて…)
どうも私はおなかに肉が付きやすい体質だったらしい。
最近はしゃがむだけでもおなかがつかえて苦しくなるほどだ。
もう怖くて鏡の前に立つことさえできなくなったが、さぞかし立派な樽型体型になってしまっていることだろう。
「さあ、これで進級試験も行なえるわね」
「え? まだ何かあるんですか?」
「あら、知らなかったの? ちゃんと掲示板に張り出していたわよ?」
「見てませんでした…」
「もう、仕方ないわねえ。ほら、これよ」
先生は試験の要項が記入された紙を私に渡す。
私は急いでその紙に目を通す。
「えーと、つまりモンスターと戦闘すればいんですか?」
「そう。モンスターと言っても訓練用に学園で飼育されているものだけどね。勝てば合格。負けても内容次第では合格となることもあるけど、あまり期待しないで」
「わかりました。それで試験は… 今日ですか?」
「ええ。もう始まっているわ。あなたは単位が足りるかどうかがわからなかったから順番を最後に回してあるの。おそらく夕方頃に順番が来るだろうから、それまで準備をしていなさい」
「はい!」
(ここまでやって留年したらいい笑いものだもんね。がんばらなくっちゃ!)
「――次。リリアン=ドドルゲフさん」
「はいっ!」
私は元気よく試験官の先生に返事をする。
「いい? 相手を気絶させたり捕縛したりして、戦闘不能状態に追い込めばあなたの勝ちよ」
「はい」
「逆にあなたが劣勢になって、これ以上は危険と私が判断したらその時点で止めます。試験はその時点で終了よ。いいわね?」
「はいっ」
「では、これを体に振りかけて」
先生は液体の入った小瓶を私に渡す。
言われるままに液体を体に振りかけると、なんとも形容しがたい異臭が体にこびり付いた。
「臭いだろうけど我慢してね。それはこれからあなたが戦うモンスターが大好きな臭いなの。その臭いを付けていれば、黙っていてもモンスターが襲いに来てくれるわ」
「なるほど…」
「それでは試験を始めます。くれぐれも気をつけてね」
先生が試験会場である中庭に通じる扉を開ける。
「よーし、がんばるぞ!」
私は両手でバシっと顔を叩いて気合を入れ、中庭へ進んだ。
「さーて… どこから来るかしら…」
背の高い樹木に囲まれた中庭は、どちらかというと森林という呼び方のほうがふさわしい場所だ。
モンスターはこの樹木に隠れながら私を狙っていることだろう。
私はいつでも戦闘に入れるように腰に下げていた杖を手に持ち替え、慎重に探索を続けた。
「…むっ!」
私は何かの気配を感じ、頭上を見上げる。
その瞬間、何者かが木の上から私に襲い掛かってきた。
「!!」
襲撃者の一撃をとっさに杖で受け止め、そのままなぎ払いつつ杖から光弾を打ち込む。
「グギャッ!」
襲撃者――人間並の大きさがある猫型のモンスターが光弾の直撃を受けて苦痛の声を上げる。
「この化け猫が試験相手ってわけね」
杖を構え、私は戦闘体勢に入る。
一方の化け猫は、一旦距離をとったあとに再び木の上に駆け上った。
そして次から次へと違う木の枝に飛び移っていく。
「わ、わ」
あまりの素早い動きに目が追いつかず、私は化け猫の姿を一瞬見失う。
その隙を見逃さず、化け猫は私の背後に回りこみ、背中に強烈な一撃を叩き込んだ。
「きゃあっ!」
そのまま覆いかぶさってかぶりつこうとする化け猫をなんとか振りほどき、私は急いで近くの木陰に避難する。
「うう… ああやって頭上から襲われたら圧倒的に不利よね… それなら…」
私はホウキを取り出す。
ホウキで化け猫のさらに上、上空まで飛んでそこから攻撃してやるのだ。
しかし、そこに落とし穴があった。
「…え?」
いくら念じても、ホウキはピクリとも動かない。
「もう、なんで? 飛びなさいっての、このっ!」
私は地面を思い切り蹴っ飛ばす。
その反動で、ホウキはふわりと浮き始めた。
「よーし、行けえっ!」
ここぞとばかりに私はホウキに魔力を送り込む。
それを受けてホウキもぐんぐん上昇し始めた。
…が、1メートルほど浮き上がったところでホウキは真ん中から真っ二つに折れてしまった。
悲鳴を上げる間もなく、私はお尻から地面に落下した。
「あいたた… もう、一体何で?」
思わず疑問が口をつくが、実のところ原因はわかりきっていた。
ようするに、この肉饅頭と化した体を飛ばすには今の私では魔力不足ということなのだろう。
いくら留年回避のためとはいえ、少々太りすぎてしまったようだ。
「もう… この試験が終わったらちょっとはやせなきゃ!」
仕方なく私は地上で化け猫を迎え撃つが、やはり不利は否めず、じりじりと押されていった。
「あっ!」
化け猫の一撃で私の手から杖が零れ落ちる。
慌てて拾いに行くが、化け猫の方が一瞬早く、杖は化け猫の手によって破壊されてしまった。
「ああ…」
杖がなくても魔法は使えるが、威力や正確性は格段に落ちる。
ただでさえ不利な展開なのに、これでは勝ち目はほとんどないと言ってもいい。
(やばい! このままじゃ負ける!)
負けても即不合格とは限らないとセビル先生は言っていたが、今の状況では間違いなく不合格だろう。
(なんとかしなきゃ… なにか方法は…)
焦っていろいろと考えるが、名案は一向に浮かばない。
そうこうするうちに再び化け猫が頭上から襲ってきた。
不意をつかれ、私はその攻撃を真っ向から受ける形となった。
「きゃあっ! こ、こうなったら…」
突っ込んできた化け猫をしっかりと抱きかかえ、私は地面を蹴る。
そして空中で反転し、化け猫と私の上下の位置をひっくり返した。
そして、そのまま化け猫に全体重を浴びせかけながら一気に倒れこむ。
「くらえっ!」
推定体重80キロ… ごめん、サバ読んだ。
多分100キロ近い体重が、加速度をつけて化け猫の体にのしかかった。
ド ス ン
「ウゴゲガガッ」
奇妙な呻き声を上げ、化け猫が悶絶する。
私は一旦腰を浮かせ、もう一度化け猫にボディプレスをお見舞いする。
ズ ウ ン
「…グウ…」
息を吐き出す音にも似た小さな呻き声を最後に、化け猫は失神した。
「や、やった…」
精魂尽き果てた私は、その場に大の字になって寝転がる。
するとそこに、試験官の先生が近寄ってきた。
「あ、先生… み、見て下さい… ハアハア… ちゃんとやっつけました…」
息切れしながらも私が勝利をアピールすると、先生は眉根を押さえ込んで考える仕草をする。
「…確かにあなたの勝ちだけど… 魔法はあまり関係ないわよね…?」
「そ、それは、その… 魔力が尽きた時に、どう戦うかっていう設定で… ダメ?」
「…まあいいでしょう。でも、次の試験はちゃんと魔法を使って勝ちなさい。いいわね?」
「ありがとうございます…」
デブでよかった。
今だけはそう思った。
でも、後から振り返ると一瞬でもそう思ったのが間違いだったんだと思う…
1年後。
私は無事にエンゲル魔法女学院を卒業し、プロの魔女となった。
その時点で私の体重は140キロ。
お師匠様もビックリの肥満体になっていた。
(やっぱりあれが分岐点だったんだろうなあ…)
あの進級試験を私は思い出す。
魔法ではなく、肥満体を武器にモンスターを倒してしまったことで、私の心に変な考えが芽生えてしまった。
すなわち、「デブもそんなに悪くはないんじゃない?」って考えが。
そんなはずはない、デブは所詮デブなんだから必要以上に太ることなんかないと思っていても、心のどこかでデブを認めてしまう自分がいて、ついつい自堕落な食生活を送るようになってしまった。
おまけに服装にかける情熱も萎えてきてしまい、可愛いデブになろうと誓った前向きな思いはどこへやら、今では一日中ジャージ姿ですごすようになった。
「リリアン… もう少し恥じらいってものを身に付けた方がいいんじゃない?」
最近ではお師匠様からそんな注意を受けるようにもなってきた。
お師匠様に言わせると、私の挙動は同じ女として恥ずかしく見えてしかたがないというのだ。
1年前は私の方がお師匠様にそういうことを言っていたのに、すっかり立場が逆転してしまった。
(でも、注意されて当然だよね。自分でもだらしないって思うもん)
私は大きく突き出たおなかの肉をポリポリと掻く。
夏場になると3段腹で折りたたまれている脂肪が蒸れてしまい、かゆくてたまらないのだ。
かゆいのはしかたないとしても、せめて人前で掻くのはやめなさいとお師匠様は言うのだが、もうそのあたりのことはどうでもよくなってしまったというのが本音だ。
堕落してしまったなあ、とは思うが、今更自分を律する気にもなれなかった。
そして、そんな私は今、とても悩んでいることがある。
それは近々弟子を取ることになったということである。
はたして弟子にはどう教えるべきだろうか?
『魔女だから太って当然』と開き直った方がいいのか。
『魔女だからって諦めず、可愛いデブを目指しなさい』と私の経験を踏まえてアドバイスするべきなのか。
どちらにせよ、いつかのお師匠様と同じく、痩せていたころの自分の写真を見せるというイベントは行なう破目になりそうだ。
「…っていうか、魔力はそのままで痩せる魔法とかを誰か開発してくれないかなあ」
お菓子を頬張りつつ、私は一人愚痴るのであった。
おわり
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