792氏その2
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その晩から、美紗緒は木崎に顔を見せなくなり、朝から晩まで食べ続けた。
「やっと帰れるんだからお祝いしなきゃ〜、自分にご褒美よ。痩せるのは帰ってからでもできるし。このケーキおいし〜」
ひたすら食べ続け、眠る。食料が尽きれば食料庫に行き、また繰り返す。
そんな生活を5日ほど繰り返し、みるみる彼女は肥大化していった。
しかし6日目の夜、異変が起きた。
「お腹すいたぁ〜、ふぅ、ふぅ、もう少し近くにあればいいのに…」
張り裂けそうなジャージ姿で、深夜、美紗緒はもはや何度目か分からない食料庫に向かう。
若干余裕があったはずのジャージは歩いているとゴムがちぎれてしまったので今は下着と上に薄手のシャツのみの姿で。閉鎖された空間での長期の生活と他人は木崎のみの気楽な生活でもはや羞恥心より食欲のほうが完全に勝ってしまっていた。
2月にこんな格好では普通は凍死の危険性もあるが、分厚い脂肪と、比較的温暖なこの島の気候のお陰かその寒さが逆に心地良かった。
「…あ、開かない?」
いつも鍵などかかっていないはずの食料庫のドアには鍵がかかり、どうやっても開かない。
「ど、どうしよう… おなかすいた…」
この島には自分以外には木崎しかいない。
何故今更、木崎が鍵をかけたのだろう…
まぁそれなら明日事情を話して… と考えを巡らしていると、
ギュルルルルル
特大の腹の虫が響き渡った。とても朝までもちそうにない。
仕方ないので空腹に耐えながら重い足取りで木崎の家に向かうと、途中、研究所の明かりがついていた。
(こんな時間なのに… あの男が徹夜で作業? そんなことあるわけないわ。でも確かあそこにも冷蔵庫があったわね…)
空腹も限界がきており、少しでもそれを紛らわそうと自分の格好も気にせず研究所に入ると、何故かテーブルいっぱいに和・洋・中の料理が並べてあった。
美紗緒はそれを見るや、手でつかみ取り、ソースで体をべたべたにしながら猛烈に食べる。食べる。食べる。
(どうしてこんな食べ物が…?)
と思うも、抑圧された食欲の暴走は止まらない。
食べながら周りを見回すと…なぜか巨大な全身鏡が置いてあった。
(!!!!!)
美紗緒はここ2ヶ月ばかり、無意識のうちに自分の姿を鏡で見るのを避けていた。
美しかった自分が肥え太っていく現実から逃げていたのだ。
しかしその姿は彼女を驚愕させるのに充分な破壊力だった。
美しかった顔や髪はソースと脂にまみれ、ギトギトと鈍い光を放つ。
目は顔の脂肪で細くなり、せり出した頬肉により前より低くなったように見える鼻は脂でテカテカと光る。
輪郭はだらしなく、眼鏡のフレームは顔の脂肪にめり込んでいる。
顎と首はもはや曖昧で、ほとんど一体化している。
体のラインがぴっちりと出た薄手のシャツは巨大化した胸を隠すのに手一杯で、豪快に白い段腹が飛び出している。
巨大な尻は下着が食い込み、醜い食い込み跡が幾重にもできている。
昔見た、アメリカの肥満問題のドキュメントに出てきたようなとんでもないデブがそこにいた。
(み、醜い… 気持ち悪い… ぶよぶよ… いやぁ… た… 食べるの、やめなきゃ)
そう思っても手は別の生き物のように止まらず、食べ物を運び続ける。
(こんなの… おいしぃ… 嫌よ… おいしぃぃ… うまぁ)
「ご馳走は気に入ってもらえたかい? この半年間楽しかったからさ、せめてものお礼だよ。しかししばらく見ないうちにまた大きくなったねぇ〜。しかもこんなセクシーな格好で」
いつの間にか、背後に木崎が立っている。
「そろそろ種明かしをしようか」
(博士… 種明かし? …おいしい…)
状況の掴めない美紗緒はひたすら口をムシャムシャと動かすだけだ。
「見たところ… 150kgくらいかな? 以前のきみが50kgとしても3倍増しだ。半年でここまで太るなんて、いくらなんでも、マトモな太り方じゃないよね〜。食欲で判断力鈍ってるね、美紗緒ちゃん」
いつにもなく鋭く、木崎が言う。
「実はね、君が飲む飲料水に細工… 俺の作品を混ぜさせてもらったんだ」
驚く美紗緒だったが、食べ物を口に詰め込むのに必死で言葉が出ない。
「食欲を飛躍的に増進する薬… 体が摂取した栄養を全て脂肪に蓄える副作用あり、内臓機能を向上させる薬… 体が摂取した栄養を全て脂肪に蓄える副作用あり、運動機能・筋力を向上させる薬… 脂肪燃焼機能を阻害する副作用あり。
わかったかな? つまり君は異常に肥り易く、しかも痩せない。肥り過ぎて心臓に負担がかかったり、糖尿病になる心配も無い。たとえ肉塊レベルになろうともその運動機能により移動不可能になることも無い。長期の服用で、完全に体質は変化してもう戻れないよ。他にも骨密度を強靭にして骨の強度を高める奴とかも使ってあるよ。まだまだ思う存分おっきくなってよ」
…はめられた。そう美紗緒が理解した次の瞬間、
「ごのぉおぉぉおお! よぐもっ! ゆるざないわよぉぉお!」
食べ物を口から吐き出しつつ、美紗緒は巨体を揺らし、木崎に飛びかかった。
薬によってたしかに運動機能は向上しているらしく肥満体とは思えぬ、かなりのスピードで。
「あんたのぜいでっ! こんなデブにぃぃ!」
「最後に… これはとっておきなんだけどね」
「ぶがぁぁぁっっっ!」
突然の激痛にのた打ち回る美紗緒。全身の脂肪もまた揺れる。
「俺に危害を加える人間にとびきりの苦痛を与える… ご都合主義かもしれないけどね。脳内物質で痛みを和らげるのがあるだろ? その逆を分泌させるわけ。まぁ分かりやすく言えばA薬を飲んだ人間に、B薬を飲んだ人間は危害を加えられない… ってやつさ。効果は一生。これは誰にも渡せない俺の最高傑作。墓まで持っていくよ」
「君は本社で返り咲く気満々だったけどねぇ。君、もう見捨てられてるよ? もちろん迎えも来ない。僕が本社の偉い人にこんな玩具が欲しい、って言ったら君がこの島に来たんだから。この前渡した新薬も嘘。中身はただの水さ」
美紗緒は仰向けに倒れ込み、この半年自分が道化… いや、モルモットか玩具に過ぎなかった事に、悔し涙を流した。
「さて、充分楽しめたし… これからどうするかな? 美紗緒ちゃん。この島でこれからも俺と仲良く暮らすか、迎えを呼んであげるからその肥満体で本社に帰って笑い者になってクビになり路頭に迷うか、好きに選ぶといいよ。あぁ、まだ食べ足りないなら、ここに食料庫のカギ置いとくよ」
そう言うと木崎は自室に立ち去った。
そして1年後…
「フゥー、はぁ、博士。朝食の支度ができました」
350kgはあろうかという巨大な肉の塊が脂肪を盛大に揺らしながら、食事を運んでいる。
とても自由に動けるような身体では無いはずだが、意外にも図体の割には軽快な動きで。
更に滑稽なのはその身におそらく世界最大の、フリフリのついたメイド服を着ていることだ。
それはもちろん天野美紗緒の変わり果てた姿だった。
顔は脂肪で膨れ上がり、かつての美しさは面影程度あるかないか。
熱気と汗ですぐに眼鏡は曇ってしまう。
胸は横に下に広がり、片方だけで数十kgはありそうだ。
前に突き出た3段の腹の肉は下方の視界を完全に妨げる。
腕は以前の胴回りを超え、脇の垂れ下がる脂肪は腕の動きの邪魔をする。
尻の肉はメイド服の巨大なスカートからはみ出すように垂れ下がり、常に汗ばんだ下着は丸見えだ。
膝の上にはぶくぶくと脂肪がまとわりつき、特大の棍棒のようだった。
「ありがとう。美紗緒ちゃん一緒に食べようか」
木崎が椅子に腰掛けると、美紗緒は手馴れた手つきで金属製の椅子を3つ横に並べ、そこに腰掛けた。
それでも巨大な尻は横にはみ出し、肉がだらんと垂れ下がる。
テーブル一杯に並べられた30人分はあろうかというサンドイッチ。
木崎はそれを3切れほど食べ、既に食後のコーヒーを飲んでいる。
美紗緒はガツガツと両手にサンドイッチを持ち、あっという間に残りを平らげ、バケツのような巨大なカップで飲み物を流し込んだ。
「グェ〜ップ、ごちそうさまでしたぁ〜」
海獣のような下品な吐息を出す美紗緒。昔ではとても考えられない姿だ。
「美紗緒ちゃんの作るサンドイッチはいつも絶品だねぇ。それにその服も良く似合ってるよ。特注で取り寄せた甲斐があった」
「…あ、ありがとうございます」
美紗緒は少し顔を赤らめ、肉にめり込んだ眼鏡の位置を直した。
普通なら皮肉なのだが、この男に限っては本気なのだ。
私は結局この男に従う道を選んだ。本社に帰るのはプライドが許さなかったし…
何よりこの姿をこれ以上他の人間に見せたくなかった。
死のうとも思ったが時折起こる猛烈な食欲がそれを邪魔し、諦めた。
木崎に復讐しようとするたびに地獄の苦痛に襲われるので復讐も諦めた。
ここに居れば食べ物には困らないし、この男もこうしていると悪い人間ではない。
それに今ではこの化け物のような姿だ。
帰ったところで、この巨大な身体と異常な食欲ではとても普通に暮らしてはいけない。
いっそのんびりとここで暮らすのも悪くない。そう思うようになってしまっていた。
「最近体重増加も止まってるし、ここらが薬の効果の限界かな? そうだ、新しい洋服とか欲しかったら本社に頼んでみるよ〜」
「じゃあ、食料庫の食料がもう少ないので大至急お願いしますっ」
「また? 食欲は相変わらずだねぇ〜、まぁ俺が原因作ったんだけど(笑)」
「笑い事じゃないです。私、飢え死にしちゃいます!」
「そりゃ一大事だ。早速注文するよ〜」
今日も島の研究所の1日は、平和に過ぎていった。
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