転落
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<1>
才色兼備、文武両道、学園のアイドル…
私を表現する時によく使われている言葉はこんなとこかな。
私の名前は溝口亜衣。今度の誕生日で17歳になる高校2年生。
私の評判については既に言った通り。
美人で勉強もスポーツもできる、学園内の人気者。
言っておくけど、生まれ持った頭の良さや容姿や
運動神経のおかげだけで褒められているんだとは思わないでね。
もちろんそういう要素だってあるけど、大半は私の努力によるもの。
常日頃から授業の予習・復習はかかさない。
美容と健康のために早寝早起きを心がけ、暴飲暴食は決してしない。
運動だって、やるからには中途半端なことはしない。
所属している新体操部では次期主将の座をほぼ射止めているし、
県大会レベルなら上位入賞だって狙えるんだから。
なぜそんなに頑張るのかって?
決まっているじゃない。皆に褒められたいからよ。
褒められれば嬉しいでしょう?
尊敬されれば嬉しいでしょう?
憧れを持たれれば嬉しいでしょう?
その為だったら私はどんな努力だってするわ。
自尊心を満たすことほど楽しいことはこの世にはないんだから。
<2>
夏休みも半分近くが終わったある日のこと。
私は学校の図書館で勉強をしていた。
夏休みが終わればすぐに実力試験がある。
そうそう気を抜くわけにはいかないものね。
「あれ、溝口さんも勉強しにきてたの?」
誰かが私に声をかけてきた。
女性にしては妙に野太い声。
こんな声の持ち主は1人しかいない。
「こんにちは、沼田さん」
私の予想通り、そこにはクラスメートの沼田さんがいた。
正直なところ私はこの沼田さんが嫌いだった。
だってこの人デブだもの。
目測だけど、おそらく100キロ前後はありそうな大デブで、
自己節制なんて言葉を知らなさそうな締まりのない体つき。
私の一番嫌いなタイプだ。
え、もしかしたら『外見よりも中身に重きを置く』という信念を持っているんじゃないかって?
ないない、それはない。確か期末試験で赤点取ってたはずだもの。
外見もダメなら中身もダメ。本当にどうしようもない人だ。
まあ、一緒にいれば私がより引き立つから便利と言えば便利だけどね。
…とまあ、散々こき下ろしてきたけれど、だからと言って
不快な顔で応対するほど私はバカじゃない。
「ええ。沼田さんも?」
私は微笑みながら言葉を返した。
尊敬される人間であるには、誰にでも分け隔てなく平等に接さなきゃね。
「うん。私この前いくつか赤点だったから、ちょっと頑張んなきゃって思って。
ねえ、もし溝口さんさえよければなんだけど、分からないところを教えてくれないかな?」
冗談じゃない、私には私の都合があるんだから先生にでも聞けばいいじゃない。
そう言いたいところだったがグッと我慢して言葉を飲み込んだ。
「邪魔なんて、そんなことないわ。私なんかじゃうまく教えられないかもしれないけど」
「ありがとう! じゃあよろしく!」
パッと顔を輝かせて、早速とばかりに沼田さんは参考書とノートを取り出す。
あーあ、優等生は辛いなあ。
その日の夜。お風呂から出た私はいつものように体重計に乗った。
こまめに体重をチェックしておくのも体型維持の秘訣のひとつだものね。
体重計の針は50キロ付近で振れ回り、やがて51キロを指したところで止まった。
「うん、ちゃんと維持できているわね」
私は安心して体重計から降りようとしたのだが、その時異変が起こった。
「あれ?」
一度止まったはずの針が再び動き始め、目盛りをどんどん駆け上っていく。
しばらくして針は動きを止めたが、その時にはなんと65キロを指していた。
私は一旦体重計を降り、もう一度乗ってみる。65キロ。
もう一度。やっぱり65キロ。
どうなってるの?
念のために姿見で自分の体を見渡してみる。
程よい大きさと形のよさを合わせ持っているおっぱい。
引き締まったウェスト。細い足首。
新体操で鍛え上げた肉体に、無駄な贅肉は一切見当たらない。
どうやら自慢のスタイルに異常はないようだ。
「やっぱり故障よねえ?」
見えないところが太ったのだとしても、いくらなんでも10キロ以上も一気に増えるわけがない。
体重計の故障と結論付けて、私は洗面所から出た。
これが絶望の始まりとも知らずに。
<3>
次の日は部活のある日だったので、私はたっぷり汗を流した。
しかし、今日はどうも体のキレが悪かった。
どこがどうとは言えないけど、何だか体が重い感じ。
太ったんじゃないかって? バカね、体が重いってのは単なる比喩よ。
昨日のアレは体重計が故障していたの。
不完全燃焼のまま、私は帰途につく。
すると校門を出たところで、また沼田さんに出会ってしまった。
「あ、溝口さん」
「こんにちは、沼田さん」
気分のすぐれない時に嫌いな人間に会うなんてツイてないけど、
それでも邪険な態度をとるのはNGだ。
私は愛想良く沼田さんに挨拶して、一緒に歩き始めた。
「昨日はありがとう。おかげですごく勉強がはかどっちゃった」
沼田さんは片手に持ったアイスクリームを舐めながらニコニコとしていた。
まったく、路上で食べ歩きなんてするから余計に太るのよ。
心の中で沼田さんに悪態をつく。
すると、沼田さんが私の顔をじっと見ているのに気付いた。
「あら、もしかして何か顔についている?」
「あ、そうじゃなくて、溝口さんって綺麗だなあって思って」
「やだ、綺麗なんて… なんだか恥ずかしいわ」
内心では凄く嬉しかったが、照れた振りをした。
「だって本当に綺麗だもの。私も溝口さんみたいになりたいなあ…
そういうスッキリした体になりたいよ…」
「うーん、そこまで意識したことないけれど、そんなにスッキリしてるかしら?」
「うん。やっぱりちゃんと運動してるからなあ? 私って完全にインドア派だし」
よくわかっているじゃない。それなら少しでも生活習慣を改善するように努力しなさい。
そう思って沼田さんの方へ向き直ると、一瞬変な映像が見えた。
「?」
そこにはどことなく沼田さんに似た、細身の女の子がいた。
体格的には私と同じくらいかしら?
顔の方も私ほどじゃないけどなかなか可愛らしい感じだ。
でもなんだろう… なんとなく輪郭がぼやけていて、まるで幽霊みたいな…
「どうしたの?」
「え、その… あれ?」
沼田さんがキョトンとした顔で私を見た。
さっきの女の子の姿はどこにもなく、目の前には沼田さんがいるだけだ。
「ごめんなさい、ちょっとぼーっとしちゃっただけだから」
目をこすってもう一度沼田さんの方を見たが、やっぱりいつものデブの沼田さんしかいなかった。
幻覚だったのかしら?
部活が終わったばかりで少し疲れているのかもしれない。
その後も他愛のない、言いかえれば実にくだらない会話をしてから私たちは別れた。
その別れ際、沼田さんは昨日のお礼だということでスナック菓子一袋を
私にくれたけど、こんなもの貰ってもちっとも嬉しくなかった。
かと言って捨てるのは流石に後味が悪いので、家に持って帰ることにした。
誰か家族が食べてくれるかもしれないしね。
この日の夜もお風呂上りに体重をチェックした。
74キロ。昨日よりもさらに誤差が大きくなっている。
「もう、新しいの買ってもらわなきゃ」
溜息を付いて私は姿見の前に立った。
体重計がアテにならないのだから、せめて見た目だけでもチェックしなきゃね。
「ん〜、問題はなさそうね」
姿見に映る私の体に変化は見当たらない。
欲を言えば胸にだけはもうちょっと脂肪がついてほしいものだけど、こればっかりは仕方ないわね。
さ、今日は疲れたし、もう寝てしまおう。
そう思って自室に戻ると、昼間に沼田さんからもらったスナック菓子が目に入った。
「……」
普段なら全く食べる気にならない、美容の敵。
でも今はなぜか急に食欲が湧いてきた。
まあ、たまにはいいかしら。私はスナック菓子を何枚かかじってから眠りについた。
<4>
さらに次の日。
この日も部活があったのだが、私の不調は続いていた。
ううん、昨日よりもひどくなっているかも。
体は思うように動いてくれないし、すぐに息切れしてしまう始末。
あまりにもひどかったから早退させてもらったんだけど、道を歩くだけでもバテてしまう。
フウフウ言いながら歩いていると、また沼田さんに会った。
「こんにちは」
「あら沼田さん、なんだかよく会うわね」
「そうね。ね、せっかくだからお茶でも飲んでかない?」
さっさと帰りたいのに面倒くさいなあ。
でも涼しいところで休憩できるってのは悪くないかしら。
「ええ、いいわよ。そこのお店でいい?」
「うん。じゃあ行こっか」
暑いせいか、涼を求める人たちで喫茶店は混雑していた。
それでも冷房の効いた室内は涼しく、汗が引いていくのを感じた。
「ねえ溝口さん、体調悪いんじゃないの?」
「え? どうして?」
「だってなんだか顔色悪いもの」
「ああ… そうなの、実は一昨日からなんだかおかしくて。でも大丈夫、すぐに治ると思うわ」
「夏カゼかなにか? 体には気をつけてね」
心配そうな口ぶりの沼田さんだが、その割には表情が明るい。
口だけの心配ならしてもらわなくていいのに。
少しイライラしながら私は沼田さんを見る。
「…あら?」
沼田さん、ちょっと痩せたのかしら?
なんだか昨日までよりも若干横幅が狭い気がする。
…っていうか、あれ? 沼田さんって元々この程度のデブだったんだっけ?
「溝口さん?」
「え? あ、ごめんなさい、またぼーっとしちゃった」
「本当に大丈夫なの? お医者さんに診てもらったほうがいいんじゃ…」
「そうね、この後にでも行ってみるわ」
こうして30分ほど休んだ後、私は体調不良を理由に早々に沼田さんに別れを告げた。
少し体力も回復したし、沼田さんに付き合う義理も果たした以上、
ダラダラと時間を潰す気にはなれなかった。
ついでに病院にも行ったが、特に異常は見つからないということだった。
帰宅後、私は自室で1人考えていた。
「沼田さんったらなんかいきなり一回りくらい痩せた気がするけど… 気のせいかしら?」
沼田さんってもっとデブだったはずよね?
それとも私の勘違いで、元々あれくらいの体格だったかしら?
…何か得体の知れない不安が心に広がる。
「あーもう! シャワー浴びてさっぱりしよ!」
わからない事をいつまでも考えていたって仕方ない。
気分転換のために私はお風呂場に入り、熱いシャワーを浴びる。
やっぱり暑い時には熱いシャワーに限るわ。
シャワーの後は洗い立てのタオルで体を拭く。
さっぱりして気分も落ち着いてきた。
そしていつものように体重をチェック。
どうせ壊れているだろうと思っていたけど、案の定の84キロ。
日に日に誤差がひどくなっているようだ。
仕方がないので今日も姿見で体をチェックすることにした。
大きなおっぱいはその重さにも負けず、釣鐘型をキープしている。
腰周りの肉付きはいい感じに色っぽさを醸し出している。
ふっくらとした、実に女らしい体つきって言えるんじゃないかしら。
どこにも変わりはない。
安心した私は台所に行って冷蔵庫を開けた。
さっき買って入れておいたオレンジジュースがいい具合に冷えていた。
キャップを空け、ラッパ飲みする。
はしたないって?
いいじゃない! 誰も見てないんだから!
夏はこれが一番の楽しみなのよね。
#入れ替え,OD,立場逆転
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