上昇
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<1>
動きのとろい、暑苦しいデブ。
面と向かって言われたことはないけど、
私に対して大抵の人は似たようなことを思っているんじゃないかしら。
私の名前は沼田房江。高校2年生。
特徴はデブなこと。これは謙遜しているわけでも自虐的なわけでもない。
デブということ以外、本当に特徴がないのだ。
勉強はできない。
だけど時々赤点を取る程度で、進級や卒業に支障が出るほど悪いわけではない。
スポーツももちろんできない。
でもこれもデブだから動きが鈍いというだけで、運動神経そのものは
そんなに悪くないと思っている。
要するに、得意な分野がない代わりに極端に不得意な分野もない、個性の乏しい人物。
それが私という人間なのだ。
唯一目立つのが、100キロ近い超高校級のデブだということ。
これだけはそうそう人には負けない。
勝ちたくもないけれど。
そんな平凡な私だったけど、つい最近不思議な力を手に入れた。
どんな力かというと、一言で言えば「他人に自分の脂肪を移す力」。
人によってはどうでもいい力。
でも私にとってはとても魅力的な力。
ある日、本当に唐突に、気がついたらそういう力が身についていたのだ。
どうしてそんなことができるようになったのかはわからないし、
わかったとしてもそれを話して信じてもらえるとも思えないから省略する。
とにかく重要なのは、これで私の環境を変えられそうだということ。
せっかく手に入れたこの力、大いに利用させてもらうわ。
<2>
夏休みも半分近くが終わったある日のこと。
私は学校の図書館に来ていた。
表向きは勉強のためだけど、本当の目的はある人に会うためだ。
その人が今日ここ勉強しに来ることは、共通の友人を通じて調査済みだ。
ほら、いた。私は偶然を装ってその人に声をかけた。
「あれ、溝口さんも勉強しにきてたの?」
「こんにちは。沼田さんも?」
その人――溝口さんは、にっこりと笑って挨拶を返してくれた。
溝口亜衣さん。
勉強もでき、運動もでき、おまけに美人と言う欠点のない人だ。
さらにそれを鼻にかけることもなく、誰にでも愛想良く接してくれる、まさに理想の女の子。
…なんだけど、実のところ私は溝口さんが嫌いだった。
被害妄想と思われるのが嫌だから黙っているけど、彼女は間違いなく他人を見下している節がある。
特に私のようなデブを見るときは、優越感の混じった視線を浴びせてくる。
本当にたまにしかそういうのを顔に出さないから、私のほかには誰も気付いていないみたい。
できれば私もそんなことに気付きたくなかったけど、気付いてしまったのだからしかたない。
変なところだけ鋭いよね、私も。
「うん。私この前いくつか赤点だったから、ちょっと頑張んなきゃって思って。
ねえ、もし溝口さんさえよければなんだけど、分からないところを教えてくれないかな?」
私はできるだけ下手に出ながらお願いしてみる。
多分溝口さんは断らないと思うけど念のためだ。
「邪魔なんて、そんなことないわ。私なんかじゃうまく教えられないかもしれないけど」
「ありがとう! じゃあよろしく!」
ほらね、やっぱり。
私は心の中で舌を出しながら溝口さんの横に座った。
「ほら、ここは接線を引いて考えるといいのよ」
「ああ、そっか」
2人で勉強中、私は教えてもらう振りをしながら溝口さんの体に近づくチャンスを得た。
これこそが私の狙いだった。
左手を溝口さんの背中に手をまわし、手のひらをそっと当てる。
溝口さんは指導に注意が行っていて、私の動きに気付いていない。
よーし、それじゃ接続開始だ。
全身から左手に集まり、手のひらへと続いていく道をイメージする。
その道は手のひらから溝口さんの背中へと渡り、
そこから網のように溝口さんの全身へ枝分かれしていく。
…よし。これで道はできた。
一旦道を作ってしまえば、あとは離れた場所からでも脂肪を送り込むことができる。
私はニンマリしながら左手を戻した。
さあ、これからブクブク太ってもらうからね!
その日の夜。お風呂から出た私は体重計に乗った。
体重計の針は99キロを指している。
見るのもうんざりするほどの数字だが、もうすぐそれも見なくてすむようになるのだ。
「ふふふ… じゃあいくわよ…」
昼間に作った道から、私は脂肪を送り込む。
スイカップと言えば聞こえは良いが、実際は単なる重りと化している大きすぎる胸から。
広辞苑並の厚さの贅肉がつまめるお腹から。
子供の腰の太さほどもある太股から。
全身から脂肪を集め、溝口さんに押し付けてやる。
そうするうちに体重計の針は戻り始め、85キロを指したところで止まった。
「うーん、いらない脂肪は全部あげたつもりなんだけどなあ」
どうやら実際に体重や体型に現れるまでには時間がかかるものらしい。
まあ焦ることはないわ。
あとは待つだけだし、のんびり過ごしましょ。
私は日課である寝る前のおやつタイムに移行することにした。
コーラにクッキー、ビスケットを用意して漫画を読みながらのんびりと過ごす。
こういう楽しみはダイエットをしている子にはわからないんだろうなあ。
自分がデブでちょっとだけよかったと思える瞬間だった。
<3>
次の日。昨日までと比べて体が軽くなっているのが分かった。
まだ見た目はみっともないデブのままだけど、全然動きが違う。
私がこうなら溝口さんにも何か変化が出ているのかしら?
確か今日は部活があると言っていた。
部活の終わる頃を見計らって学校に行ってみようっと。
「あ、溝口さん」
校門まで来たところで帰宅途中の溝口さんに出会った。
「こんにちは、沼田さん」
相変わらずのきれいな声で、溝口さんは挨拶してきた。
…ぱっと見じゃよくわからないわね。
「昨日はありがとう。おかげですごく勉強がはかどっちゃった」
お礼を言ってから、一緒に帰ろうよと溝口さんを誘った。
並んで歩きながら、じっくり観察したかったのだ。
しかし、溝口さんの体にあまり変化は見られない。
やっぱり体型はまだ変わっていないんだ。
少し落胆したその瞬間、私の目に妙な映像が映った。
「?」
そこには私の知らない肥満体の女の子がいた。
おそらく私と同レベルのデブだろう。胸もお腹もお尻もでかい、ド迫力のボディだ。
顔もムッチリとした脂肪に包まれた丸顔。
デブにしては愛嬌があるほうかしら?
しかし不気味なのは、輪郭がぼやけていてこの世のものとは思えない雰囲気を
醸し出していることだ。
思わず食い入るように見つめていると、デブの女の子は口を開いた。
「あら、もしかして何か顔についている?」
溝口さんが不思議そうな顔をしていた。
いつの間にかさっきの女の子の姿は消えてしまっている。
私は動揺しながらも、なんとか言葉を繋ぐ。
「あ、そうじゃなくて、溝口さんって綺麗だなあって思って」
「やだ、綺麗なんて… なんだか恥ずかしいわ」
「だって本当に綺麗だもの。私も溝口さんみたいになりたいなあ…
そういうスッキリした体になりたいよ…」
我ながら歯の浮きそうなお世辞を言って誤魔化す。
しかし、今見えたのは一体何だろう。
もしかして私の力と何か関係あるのかな? デブの女の子だったし。
…結局、その後は幻覚が見えることはなかった。
私は昨日のお礼ということで溝口さんにスナック菓子をひとつ手渡してから別れた。
本当は自分が食べるつもりで持ち歩いていたんだけど、なんとなく食欲がなくなってしまったのだ。
その日の夜。
体重を量ると76キロまで減っていた。
まだ外見に変化はないけど、体重は順調に減少しているようだ。
私はホッとしていつものように冷蔵庫を空け、おやつタイムの準備にとりかかった。
でも。
「……」
なぜだろう。あまり食欲が湧かない。
とりあえずコーラとポップコーンを出しては見たものの、半分ほど食べたところでやめてしまった。
何か大食いでもしたんだっけ?
いまいち納得できなかったが、無理に食べることもない。
私は軽く柔軟運動をして体をほぐしてからベッドに入り、眠りについた。
<4>
さらに次の日。
今日も体が軽い。昨日よりもさらに軽くなった気がする。
そして、それは外見にも表れていた。
「…やった! 痩せてる!」
鏡で見ると、昨日よりも明らかにスマートになっている。
もちろん一般的な視点ではまだまだデブだけど、私にしてみればかなりの前進だ。
「ってことは溝口さんは太っちゃったのかしら? うふふ、これはぜひ見に行かなくっちゃ」
私はウキウキした気分で家を出た。
街でブラブラと時間を潰してから学校に向かうと、その途中の坂道で溝口さんに会った。
まだ部活が終わるには早いけど、早退したのかしら?
「こんにちは」
「あら沼田さん、なんだかよく会うわね」
そういう溝口さんの顔は赤く火照っており、少し息切れもしているようだ。
そして… 太っている!
昨日よりもいくらかふっくらした体つきになっただろうか?
やっと私の力の効果が出てきたようだ。
「そうね。ね、せっかくだからお茶でも飲んでかない?」
このまますぐに別れるのもつまらないので、お茶に誘ってみることにした。
もう少しじっくり観察もしたいしね。
「ええ、いいわよ。そこのお店でいい?」
溝口さんは坂の下にある喫茶店を指差す。
私も特に異論はないので、その店でお茶を飲むことにした。
冷房の効いた喫茶店の中は涼しく、外の暑さを忘れさせてくれた。
アイスティーを飲みながら私は溝口さんに質問する。
「ねえ溝口さん、体調悪いんじゃないの?」
「え? どうして?」
「だってなんだか顔色悪いもの」
これはウソ。体調を疑うほどに顔色は悪くない。
太ったの? と直接聞きにくいからそういう言い方をしただけ。
でもそんな私の気持ちに気付かないのか、溝口さんは普通の調子で言葉を返す。
「ああ… そうなの、実は一昨日からなんだかおかしくて。でも大丈夫、すぐに治ると思うわ」
「夏カゼかなにか? 体には気をつけてね」
太ったことに気付いていないのか、それともトボケているのか。
どちらにせよ、太ったという事実は変わらない。
私は気分よく溝口さんの観察を続けた。
顔は… ほっぺたに肉がついて丸みが出てきたわね。
肩から二の腕にかけてのラインもふっくらしてる。
胸は1〜2カップは大きくなったかしら?
これはもう巨乳といえるサイズね。
全体的に見て確実に一回りは太っている。
ただ、元々がスレンダーな人だから今でも十分美人なのには変わらない。
むしろ痩せていた時よりも色っぽさは上がったんじゃないかしら?
これはちょっと誤算だったわね。
こんな調子で溝口さんを見ていたら、溝口さんの方も私をじっと見ているのに気がついた。
「溝口さん?」
「え? あ、ごめんなさい、またぼーっとしちゃった」
溝口さんがこんな反応するのは珍しいわね。
どうしたのかしら?
その後まもなく私たちは喫茶店を出てそれぞれ帰途に着いた。
確実に溝口さんは太り始めており、私は痩せ始めている。
この調子で行きたいものだわ。
この日の夜も体重をチェック。
今日は66キロ。これだけ減ってくれると、体重測定も楽しいものだ。
「さーて、今日はもう寝ちゃおうかな」
いつもならおやつタイムなのだが、今日は全然そういう気が起こらなかった。
体調がいいからお腹も必要以上の栄養を欲しがってないのかしら?
私は昨日と同じように柔軟体操とストレッチをしてからベッドに入った。
おやつなしで眠るなんてかなり久しぶりだけど、これはこれで悪くないわね。
この日、私はいつになくスッキリした気分で眠りにつくことができたのだった。
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