394氏その1

394氏その1

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#東方Projectシリーズ

 

(あぁ、何てことだ…!)

 

幻想郷の空を翔るものがあった。
豊かな九つの尾を棚引かせて飛ぶ彼女の名は、八雲 藍(ヤクモ ラン)。
狐の妖怪である。
強大な力を有する妖怪… 八雲 紫(ヤクモ ユカリ)に仕える式だ。
藍はいまだかつてないほどに焦っていた。
脇目も振らずに目指すはあの世…… 冥界に佇む白玉楼。

 

(こんな… こんなことがあってなるものか…!)

 

もっともっと飛ばしたいのに。忌々しいことに体が言うことを利かない。
そうして普段の何倍も時間をかけて目的の屋敷の前に到着すると、倒けつ転びつ庭先に飛び込んだ。
盛大に切れた息を整える間も惜しんで声を張り上げる。

 

「幽々子殿! 西行寺 幽々子殿は居られますか!」

 

白玉楼の主である亡霊の西行寺 幽々子(サイギョウジ ユユコ)は紫の友人だ。
死を操る能力を持ち、冥界の幽霊たちを統べる恐るべき実力者である。
また、千年以上もの長い時を亡霊として生きている(少々言葉がおかしい気もするが)彼女は、
過去に幻想郷で起きた異変にも詳しいはずだ。

 

(幽々子殿なら何か分かるかもしれない…)

 

一縷の希望を抱いて返事を待つ。
しかし、庭先からのそりと現れた少女と対峙したとき藍の期待は残酷にも砕け散った。

 

「妖夢、お前もか…!」

 

藍の見間違いでなければ現れたのは幽々子の従者の魂魄 妖夢(コンパク ヨウム)だ。
白銀の髪を短く切りそろえた小柄な少女… のはずだった。
一瞬本当に見間違いかと思ってしまったのは、
剣士にしては華奢だった妖夢の体が衣服をパツパツにするほど膨れていたせいだ。
絶望的な表情を浮かべたのは相手も同じだった。
それもそうだろう。妖夢の目に映る藍の体も普段より一回り膨れているのだから。

 

「そんな… 藍さんも…」

 

丁寧に手入れされた白玉楼の庭先でぽっちゃりした二人の少女が向かい合って立ち話をしていた。
言うまでもなく藍と妖夢だ。
二人の表情は柔らかそうな体つきとは反対にひどく強張っている。

 

「とにかく落ち着いてお互いの状況を確認しよう。まずは私からだ」

 

そう言って藍はこの数日のことをゆっくりと語り出した。
この二〜三日、藍は主である紫のお使いで住処を離れていたこと。
お使いに出ている間も何となく体がむくんでいるような違和感はあったが
特に気にとめていなかったこと。
そして、住処に戻りお使いの報告しようとしたところに自分の式である橙(チェン)が
大慌てでやって来たこと。その橙も心なしか体型が丸くなっていたこと。
わけも分からず橙に引っ張られるままに主の寝床までやって来て呆然としたこと。
…そこまで口早に話すと藍は言いよどみ、そのまま沈黙してしまった。

 

「あ、あの、それで、紫様は… 一体どうしたんです?」

 

急に押し黙ってしまった藍のことを訝しみ、妖夢が恐々と促した。
一瞬の沈黙があって再び口を開く藍。

 

「すきまに詰まっていた」

 

「は?」

 

「だから…。すきまに詰まっていたんだ。紫様が」

 

すきま妖怪たる八雲 紫には空間をひずませて生じた裂け目に滑り込むことで
離れた場所へと瞬間的に移動する能力があった。
今朝方、お使いから帰宅した藍が目にしたのは、その空間の裂け目に大きな腹が突っかかって
動けなくなっているブクブクに太った主の姿だったのだ。
…しかも、そんな非常事態だというのにその体勢のまま暢気に寝ていたのだから
たまったもんじゃない。狐につままれたようにしばらく立ち尽くしたのち、
藍は弾かれたように脱衣所へ駆け込み体重計に飛び乗った。
果たして体重計の針は無情にも前回量ったときより十数キロも多い数字で止まったのだった。
食生活の正しさと、十分な運動には自信がある。
こんなに急に体重が増加することなど考えられない。
…というか、余程の暴飲暴食をしたとしてもたった二〜三日でこんなに太るものだろうか?

 

「紫様を揺すり起こして尋ねても“長い妖怪ライフだもの、たまにはこんなこともあるわよ。そんなことよりまだ起床時間には早いわ。話ならあとでね”などと言って取り合ってくれなくて」

 

紫は夜行性だ。その光景がありありと想像出来て妖夢は乾いた笑いを浮かべるしかなかった。

 

「妙なのは、同じ二〜三日の間に太ったのに私と紫様の体型にかなり差が出たことだな。…個人差があるのかしら。妖夢、お前の方はどうだ。一体何が起こったんだ? …幽々子殿はどうしている?」

 

一応結論づけて話の主導権を妖夢に譲る。
妖夢は「幽々子」という言葉を聞いた途端ビクリと反応した。
何か恐ろしい体験でもしたのか顔色を赤くしたり青くしたりしながら何か喋り出そうと
奮闘している。
まじまじ見てみると紫ほどではないにしろ妖夢の肥大っぷりも相当なものだった。
彼女の話次第では肥満化に差が生じる要因が分かるかもしれない。

 

「幽々子様が… いや… 幽々子様は……」

 

その呟きは要領を得ない。
藍は妖夢の丸くなった肩をそっと叩いてその目を見つめた。

 

「大丈夫か? やはり幽々子殿にも異変が起きているのだな?」

 

「はい…。あの、実は、やはり幽々子様も… 急に太られてしまって、屋敷中の食料を食い尽くさんばかりの勢いなんです…」

 

少女の姿をした亡霊という儚げな見た目に反し、幽々子は普段から食欲旺盛である。
しかし、妖夢がポツポツと話し始めたことをまとめると、
今の幽々子の食欲はいつもの比ではないという。
屋敷中のものを食べ尽くしかねないというのは誇張ではないかもしれない。

 

「なんとか止めようとしたんですが、危うく私が食べられるところでした…。目が… 目がマジだった…」

 

「うっ。そ… それは…」

 

たちの悪いジョークにも聞こえるが青ざめながら語る妖夢の目もマジそのものだ。
他の妖怪や人間が相手ならば幽々子なら本当に喰らいつきかねないが(※前科がある)、
自分の従者である妖夢に襲いかかったとなると流石に異常である。

 

「身の危険を感じて思わず幽々子様を突き飛ばしてしまったんです。そうしたらスペルを発動されて…」

 

「幽々子殿のスペルを至近距離で撃たれたのか! それは怖かったろう」
(※スペル…簡単に言えば必殺技である)

 

幽々子ほどの実力者が放つスペルともなれば威力は相当なものだ。
まともに食らえば(いくら体が丈夫とはいえ)並の妖怪であればしばらくは動けまい。
背筋に冷たいものを感じながら藍は妖夢を哀れんだ。
しかし、当の妖夢は複雑な面もちで話を続ける。

 

「それが不思議なんです。確かにスペルは放たれた。でも、いつもほどのキレがなくて…… んー、これは太ったせいなのかしら…。なんとか致命傷は避けられたんです。不思議なのはそのことじゃなく、見慣れたはずの弾幕に普段にはない弾が混じっていたこと…」

 

「普段にはない弾?」

 

曰く、黄色くてぶよぶよと揺れる不気味な弾だという。
あれは何かとそっちに気をとられている隙に別の軌道で飛んできた同じ弾に当たってしまった。

 

「その途端、急激に体が膨らみ始めたんです。恐らくアレは肥満化を促す種のようなもの。多分」

 

自信なげだが身を持って体験しただけに確信はしているようだ。
しかし、肥満化が始まったと思われるこの二〜三日の間、
藍は決闘(※弾幕の撃ち合い)を受けていないし、
妖夢が言うような不審な弾は見かけていない。
だが現実にこうして太っている。
ということは、肥満化の原因は弾幕に混ざるぶよぶよの弾だけではないはずだ。

 

「ふむ。では一体何が肥満化の大元なんだろう。それと幽々子殿以外の者がスペルを発動しても例の弾は現れるのだろうかー…… きゃいんっ!?」

 

真剣に考え込もうとした藍が唐突に尻尾を踏みつけられた犬のように鳴いた。
ハッと顔を上げた妖夢の目に派手な日傘が映り、すぐに空間のひずみへと消えた。
…どうやら日傘が藍の後頭部を強かに打ちつけたらしい。

 

「私は“話はあと”だと言ったはずよ、藍。勝手な行動は謹みなさい」

 

「「紫様!!」」

 

果たして、二人が見上げた空間にはぱっくりと裂け目が生じ、そこから藍の主…
境界を操る大妖怪・八雲 紫が現れたのだった。

 

「…って、どうして尻だけの登場なんですか、紫様」

 

藍と妖夢は威圧的な妖気を放つ尻と対峙していた。なんとも妙な光景である。
尻… もとい、八雲 紫は二人を見据え(見据え?)話し始める。

 

「はしたない格好でごめんなさいね。どうも隙間がうまいこと開かないのよ。そんなことよりも、貴女たち少しは落ち着きなさいな。姿が醜くなった程度で精神を乱してはならないわ。混乱とはどんな怪我よりも恐ろしいものなのよ。異変がもたらした体型の変化は絶大かもしれないけれど、異変そのものは大して珍しいものではないでしょう」

 

「まぁ我々妖怪は人間に異変をもたらす存在ですからね」

 

「そうよ、藍。異変は概ね妖怪が起こすものと相場が決まっているの」

 

隙間の向こうで紫が頷く気配があった。

 

つまり紫が言いたいことは、今回も例に漏れず(八雲一家、冥界の住人以外の)何者かが
この異変を起こしているということだ。
この異変は人為的なものであり、彼女たちは決して自然に太ったわけではない。

 

「しかし、幽々子殿や紫様にまで影響を及ぼすとは、相手は一体何者なのでしょう?」

 

「そうね。侮っていたわけではないけれど、予想外に大きく影響を受けたのは事実だわ。でも一見すると致命的なこの影響も私たちにとってはさして問題ではないの。では、誰にとってなら問題なのかというと、当然、人間よ。大問題だわ。私たちはどれだけ肥えてもせいぜい動きが鈍る程度で済むけれど、人間はそうはいかないわ。自重に潰され、移動も、排泄さえも儘ならなくなり、仕舞いには息絶えてしまうでしょうね。さて、博麗の巫女は、白黒の魔法使いは、どう動いてくれるのかしら。楽しみねぇ」

 

クスクスと小さな笑い声が漏れ聴こえる。
どうやら紫は異変を起こした犯人が何者なのか分かっているらしい。
…正直、この妖怪に分からないことなどあるのかも疑わしい。
やがてその余裕に圧倒され何も言えなくなった藍と妖夢の目の前で裂け目がパリパリと音を立てた。
うまく開かなくなったという隙間を無理矢理こじ開けて巨大な肉女が降り立つ。
ずしん、と重い音を立てて紫が(今度こそその全身が)現れたのだった。
丸太のような足、普通の人間の太ももより太くなった腕、ででんと前に突き出した腹。
どうみてもただのデブなのだが、その姿はどこか神々しくさえ見えるから不思議である。

 

「まぁ、私たちに迫る当面の問題といえば、空腹で我を失った幽々子くらいなものよね」

 

それまでの威圧感はどこへやら、紫は暢気な声であっけらかんと言った。
妖夢は真っ青になる。

 

「あぁぁ、そうでしたっ! もしも屋敷の食料が食い尽くされてしまったら大変なことになる! 幽々子様が食料を求めて外に出たが最後、私にはもう止められないわ! 運の悪い夜雀でも見つけようものなら小骨も残さず喰らい尽くされてしまう!!」

 

「安心なさい。少しの間くらいなら私が何とかしておくわ。でも異変が長引くようなら分からないわね。私に寝ずの番が何日も務まるとは思えないもの」

 

藍と妖夢は引きつった笑みを浮かべながら、紅白と白黒の人間が一秒でも早く異変を解決することを願うのだった。

 

 

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