行列のできるえーりん診療所
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#東方Projectシリーズ
「―…あの子のことを考えると、ダメなんだ」
永琳の前に腰掛けた妖怪がぼそぼそと話し出した。
落とした視線は落ち着きなく床を行ったり来たりしている。
「あの子が笑ってくれるだけで幸せ。あの子の幸せが自分の幸せ。
なのに、ときどきどうしようもなく胸が苦しくなるのは何でだろう?
それも仲良くなってから段々ひどくなって。最近は一日中苦しくて。
一体どうしちゃったんだろ…。もしかしてこれって病気なのかな…」
患者はほとんどうわ言のように呟いて、苦しげにため息をついた。
頬はほんのり薔薇色に上気している。うるんだ目は話し終えた今も泳ぎっぱなしだ。
それまで黙って話を聞いていた永琳は困ったような笑みを浮かべ、そして言った。
「それで、苦しいのは胸だけなのかしら?」
「お腹もです………」
その質問に患者―… リグル・ナイトバグは腹を抱えて再びため息をつく。
ともすれば少年にさえ間違われるような未熟な体つきをしていたリグルだが、
今やその胸は 何とか引っ掛かっているブラウスのボタンを弾き飛ばしそうだ。
と言っても、胸以上に大きく膨れた腹があるためナイスバディとは程遠い。
ちなみにズボンはゴムのものなのだが、贅肉で限界まで引き伸ばされている。
…これでは苦しいわけだ。永琳は小さくため息をつく。
「私があの子の料理を美味しそうに食べると、とっても喜んでくれるの。
すごく幸せそうにしているの。あの笑顔が見れるならって思うとつい食べ過ぎて…。
私、蛍でしょう? 本当はあっさりした物の方がずっと好みにあってるのよ。
だけど、あの子と一緒にいるとどうしても脂っこい料理に偏るんだよね。
それはミスティアがそういう屋台を出してるから、仕方ないんだけど。
ふと気が付いたら下着がキツイどころかズボンのゴムまで伸びきっちゃってるしで…」
「ようやく“これは不味い”と気が付いた」
「…そう。いくらあの子が優しくたってこんなに太っていたらきっと嫌われちゃう。
良く分からないけど、それだけは嫌なの。絶対に嫌なの。あの子に嫌われたくない…」
今にも泣き出しそうな頼りない表情でリグルは自らを掻き抱いた。
不安に震える少女の髪を永琳は優しく撫でてやる。
その丸い肩がビクリと大きく跳ね、緑の目が永琳を見上げる。
永琳はそれに応えるように力強く頷いてみせ、
「結論から言うと貴女のそれは確かにある種の病よ。“恋”という… ね」
「………恋」
「えぇ、どんな大妖怪でも患う大病なの。
精神に重きを置く妖怪にとっては命を落としかねない―…」
と、そこまで言うとリグルが本当に泣き出したので永琳は慌てて早口になる。
「―…毒にもなる反面、薬にもなる現象よ。人の話は最後までお聞きなさい」
「ぐすん…、ごめんなさい…。それで“薬にも”って…?」
大仰に頷いた永琳が言うには、“恋”はどんな人妖の判断力でも鈍らせるが、
うまくコントロールできれば信じられないほどの行動力をもたらすという。
“恋”の力をプラスの方向に放出すれば恋符もビックリの威力を発揮できる、と。
要はあまり消極的にならずにいなさい、というのだ。
「“こんな自分じゃ好きな人に嫌われる”ではなくて、
“好きな人のためなら乗り越えられる”と考えるようになさい。
それで驚くほど事態は好転するでしょう。大丈夫よ」
「…はい。ありがとうございます!」
「とてもよい返事だわ。妖怪にとって落ち込みは命取りよ、気をつけて。
さて、それじゃ念のために本格的な診察もしておきましょうか。
ごめんなさいね、少しだけ体に触れるけど我慢をするのよ」
少女が気丈に頷いたのを確認してから永琳は立ち上がった。
リグルの横に回ると彼女にブラウスをたくし上げているように指示する。
永琳の白くほっそりした指が、リグルの脇腹や二の腕をむにむにと揉みしだく。
元が蟲であるリグルも体温は高くないが、それでもひんやりと感じる手だった。
その手があちこちまさぐるたびに思わず「ふぁ…」「やぁん…」と声が漏れる。
ぽってり突き出た下腹を揺さぶられ、タプタプと音を立てられる。恥ずかしい。
一体この触診で永琳が何を調べているのかなど彼女には分からなかったが、
こうもまじまじと太った体を見つめられると、診察とは言え居心地が悪かった。
横目で窺うと真剣な顔で頷いたり首を捻ったりしている。ふざけているわけではなさそうだ。
やがて手を放した永琳は、今度は聴診器を胸やお腹に当ててから顔を上げた。
「概ね健康ね。筋肉も見た目ほどは落ちていないから運動も問題ないでしょう。
これまでの摂生のお陰でしょうね。ただ―…… おっと」
再び不安そうな顔をしたリグルが泣き出す前に「違う違う」と手を振る。
…この少女は定期的に持ち上げてやらないとすぐに沈んでしまいそうだ。
早いところ安心させてやろうと言葉を続けようとした、その瞬間だった。
ぐー、きゅるきゅるきゅる
リグルの腹の蟲が盛大に抗議の声を上げたのは。
耳まで真っ赤になってお腹を隠そうとするが隠しきれていない。
バツが悪そうに触角を垂らしたリグルに永琳は笑う。
「ただ、無理に食事を抜いているのには感心しないわ。
私もこれから昼食なの。いらっしゃい、ご馳走しましょう」
「い、いいよ、悪いもの。それに今はちょっとくらい無理をしないと…」
「いけないわ。食べないで動いていれば痩せるというものではないのよ。
心配をしないで。あなたの好みに合いそうな薄口の薬膳料理だから。
大事なのはバランスと、自分に合った量の食事を取ること。
今日は初日だから少し多めにしておくわ。これから少しずつ量を調整なさい」
「はぁい…。大変そうだけど頑張るよ。あの子に嫌われないため、だもんね」
そういうことよと優しく笑いかけて、永琳は彼女を食卓へと案内してやる。
食事をしながら様々なアドバイスをしてやりつつ、彼女に悟られぬよう心の中で呟く。
(さて、一体いつまで持つものやらね…)
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