魔王の愉悦と、王女の…
深く、暗い洞窟の中に仄かに明かりが灯る。
そこに映し出されたのは二つの影。
一人は身の丈2mで、しかしながら均整のとれた身体を持つ男性。
そしてもう一人は、男性よりも頭二つ分背が低く、それだけではなく…
丸々としたシルエットを持つ、ふくよかな女性だった。
「…ゼブル様、今回は此処を居城になさるのですか?」
「程良く湿度も有り深さもある。私が作ってもいいのだが、
やはり自然の作りだしたものには及ばないからね。今回は此処で獲物を待つとするよ、リーン」
「畏まりました、では準備に移ります」
「…リーン、君は私の妻なんだ、その言葉遣いは…」
ふくよかな女性… リーンの言葉に、ゼブルと呼ばれた男性はそう返す。
女性は丸々とした身体でありながらも、上品に礼をして見せると、
ゼブルの言葉を遮る様に、その場から立ち去った。
ゼブルはそんなリーンの様子を見て、小さくため息をつき… そして苦笑する。
「…全く、君は使用人ではなく私の妻だと言うのに… まあ、だからこそ愛しているのか、私も。
取りあえず、妻に負けぬように私も働きますかね―――」
そう呟いて、ゼブルはリーンの後を追うように暗闇へと消えて行った。
それから数日後。
王都から少し離れた所にある、ありふれた洞窟は…
その世界で最も恐ろしいダンジョンへと変貌を遂げたのである。
「…そうですか、また… 解りました、下がってください」
王宮の玉座に座っている女性は、酷く悲しそうな顔をすると、報告をした者にそう告げた。
…あの迷宮が出来てから、かれこれ1ヵ月が経とうとしてる。
当初は魔族の残党による仕業と見て、冒険者を募り、攻略させていたが…
事此処に至り、漸く女性は状況を理解した。
再び魔王が、この世界に現れたのだと。
元々この世界には、数年のサイクルで魔王が現れる。
その度に王族は冒険者を募り、その中から生まれる『勇者』に魔王を討伐させているのだが…
今回は、いささか事情が違った。
「前魔王が倒されてから、まだ半年も経っていないと言うのに… 幾らなんでも早すぎます…」
そう、今までは数年単位だった魔王の出現が、今回は何故か非常に短い期間で発生したのである。
前勇者は魔王と相打ちになった事もあり、今現在魔王を倒せる存在はただ一人として居ないのだ。
冒険者を募り続ければ何時かは現れるのかもしれないが、それをするには資金が足りない。
…冒険者に提供する金銭や装備品も、本来ならば数年の間に補充するのだが、
まだ数か月しか経っていない今では、とてもでは無いが補充しきれていないのである。
「…マクスウェルを此処に」
長く俯いていた彼女は深く息を付くと、一人の男性を玉座に呼んだ。
暫くして、土気色のローブに身を包んだ一人の若者が姿を現す。
彼はマクスウェル・ローラン。
魔術局に勤めている彼は、魔術以外の仕事にも才能が溢れ、
万人からの信頼を得ている所謂天才だった。
そして、彼女の数多い肉親の一人でもある… とは言えども、最も血筋が薄い人間ではあるのだが。
「御呼びでしょうか、セフィリア様」
「私はこれからあの洞窟へ向かいます。騎士団長と魔術局長、
それと城下町のルカに掛け合って、優秀な人材を一人ずつ選別して下さい」
「…お待ち下さい、それは」
「もし私が帰らなかった場合、その時は貴方を私の後任に命じます。
マクスウェル、貴方の手腕ならばきっとこの王都を守れるはずです」
反論しようとしたマクスウェルに、セフィリアはそれを遮る様に、そう告げる。
セフィリアの表情から決意を読み取ったマクスウェルは、
それ以上言葉を発する事もなく、恭しく頭を下げた。
そして、玉座から去っていくマクスウェルを見つめながら… セフィリアは、深く息を付く。
「…魔王を倒さなければ、王都… この世界にも、未来はない…。
たとえどんな手段を講じたとしても、此度の災厄を退けなければならないのです…
許して下さい、マクスウェル」
そう、誰に言う訳でもなく呟き… セフィリアは、一筋の涙を零した。
それから2日後。
セフィリアは誰にも告げずに、有能な騎士と魔術師、そして盗賊を連れて、
洞窟へと旅立ったのである。