710氏その10
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「つまり、お子さんの行方を捜して欲しい、と?」
簡素な造りの事務所の中。
ややキツ目の容貌を湛えた男装の麗人…美袋 八馬は、目の前の女性にそう尋ねた。
女性は疲労からか、はたまた心性のモノからかやつれており、八馬の言葉にも唯頷くだけで。
そんな女性の様子に八馬は小さく息を吐くと、言葉を選ぶように口を開いた。
「…初めに断って置きますが、私は凄腕の名探偵でも何でもありません。
この事件は既に警察が調べていますし、私が調べても…どうにか出来るとは、とても」
「…警察は、駄目です」
八馬の言葉に、うつろに、呟くように女性はそう呟く。
光の無い目をギョロリ、と動かしながら八馬を見つめれば…そのまま、顔を近づけて。
「警察は…この1カ月、誰ひとり、何一つ手がかりも、何も、駄目でした。
だから、警察なんかじゃ駄目、なんです。
美袋さん、貴方は過去に、誘拐事件を解決なさったの、でしょう?」
「…それは、まあ」
女性の虚ろな声に、鬼気迫る様子に、八馬はまいったな、と頬を掻いた。
女性の言葉は一応は真実である。
探偵事務所を開いて間も無い頃、八馬は誘拐された児童を助け出し、見事に事件を解決して見せた。
…とは言え、それは「偶々」現場に遭遇し、「運よく」相手が銃を持っていなかったから、
と言うだけで。
そもそも、探偵としての能力は一切使っておらず…
要するに、女性の言葉は八馬の能力とはまるで別の話で。
「ですから…どうか、どうか、お願い、します。
もし見つけられなくても、恨みません、依頼金も払います、から、どうか…」
「…う…ん…」
だからこそ、女性の鬼気迫る様子にも、八馬は中々縦に頭を振れなかった…のだが。
余りに必死な女性のその姿に、断る事も出来ず。
「…判りました。ですが、金銭に関してはお子さんを無事発見してからで結構ですから」
「…!あり、ありが、ありがとうございます、ありがとうございます…!」
とうとう依頼を受けてしまえば、女性は涙を流しながら、八馬に頭を下げた。
そんな女性の様子に、八馬は小さく、女性には聞こえない様に息を吐くと…
面倒な事になった、と軽く頭を抱えるのであった。
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女性から依頼を受けてから1週間。
八馬は事務所のデスクに足を投げ出したまま、収集した資料を睨みつけていた。
…連続女性失踪事件。
この事件は、全てにおいて異常だった。
先ず第一に、その被害者…つまりは失踪者の数。その数、僅か1カ月で44人。
第二に、その痕跡の無さ…要するに、今まで見つかった痕跡、形跡が皆無である事。
そして、第三に目撃者が0である、と言う事。
これを纏めると、犯人は毎日女性を、何の痕跡も無く、抵抗もされず、
目撃される事も無く誘拐していると言う事になる。
「…不可能だ」
八馬はそう呟くと、手に持っていた資料をデスクにばら撒き、眉間に指を押し当てた。
そう、不可能である。
100年前ならまだしも、この現代社会において第二・第三の条件を満たす事は先ず有り得ない。
だとすれば、次に考えられる可能性は何か。
「…失踪者に共通点があるとすれば、女性であること位だが…」
そう、失踪者は皆女性だった。
それも老若男女と言う訳では無く、若い女性限定。
被害者の写真を見れば、皆どれも美しく――――否。一人だけは、それに当てはまらなかったか。
その唯一の例外の写真を手に取り、眺める。
其処に映っていたのは、お世辞にも可愛らしいとは言えない子供の写真だった。
写真からも伝わる程に陰気で、肥えていて…
親には悪いが、褒めるべき点が「若いですね」としか言えない、そんな子供。
…何を隠そう、依頼人である女性の、その子供である。
「この子だけ、何かおかしいんだよな…」
そう言いながら、八馬はその写真をじぃっと見つめた。
見れば見る程に陰気な少女だ。
見ている此方も陰気になってしまいそうなほどに、少女は負のオーラを放っていた。
調べてみた所、他の失踪者は周囲からも心配されていたが、
少女だけは親以外からは気にも留められていなかった。
…そう、この少女だけは他の失踪者達とはまるで違ったのである。
「…何で犯人はこんな子を誘拐しようと思ったんだ…?」
そう、八馬が疑問を口にした瞬間。
その写真の少女は、写真であるにも関わらず、ニィ、と不気味に笑みを浮かべ。
八馬が何か言葉を発するよりも早く。
写真から腕が伸びると、まるで出来の悪いCGアニメの様に、八馬は写真に飲み込まれ。
そして、後には誰も居ない事務所と、デスクに散らばった資料…そして、
少女の写真だけが残されていた。
「―――ぁぁぁぁぁぁああああああああっ!!?」
ドスン、と。
薄暗い部屋の中、クッションが敷き詰められた地面に八馬は背中からダイブした。
衝撃は幸いそれほどでも無く、軽く背中を擦りながら八馬は起き上がり。
「…何だ、これは…」
周囲を見渡しながら、思わずそう呟いた。
先程まで、自分は確かに自分の事務所に居た筈だ。
…だが、目の前に広がっていたのは、簡素だった事務所とは程遠い空間で。
ピンクや黄色、赤色で塗りたくられた悪趣味な壁紙に、
まるでメルヘンから飛び出してきたかのような小物。
床には一面、ハートのクッションが敷き詰められており―――
そして、部屋には甘ったるい香りが充満していた。
余りに奇妙な部屋の様子に、八馬は思わず口元を軽く抑え。
「…ようこそ、私のお家へ!歓迎するわ、綺麗なお姉さん♪」
そんな八馬の頭上から、機嫌の好さそうな、愛らしい声が降り注ぐ。
決して大きな声では無いが、まるで身体に突き刺さるような、
そんな奇妙で、愛らしい声に八馬は頭上を見上げると、そこには…
部屋に良く合った、赤と黒のゴスロリを着た、愛らしい少女の姿があった。
「君は誰だ?どうして私は此処にいる?」
そんな少女を見ながらも、八馬は冷静に言葉を口にする。
八馬の様子にきょとんとしながら、そして少しつまらなそうにしながらも、
直ぐに笑みを浮かべると、少女はふわり、と。
物理法則をまるで無視した動きで、八馬の前に着地した。
「…私は…そうね、アリスで良いわ。此処にいる理由は、私が貴女を連れて来たかったから♪」
「ふざけているのか…?ちゃんとした名前を…」
「良いの、私はアリスで…それにぃ、そんな事言うと…」
ふざけた様子の自称アリスに、少し口調を強めながら八馬は口を開くも、
アリスは少し頬を膨らませ、拗ねた様子でそう言いながら、
ふわり、と浮き上がると耳元に口を近づけて。
「…お姉さんも、あの子たちの仲間入りさせちゃうよ?」
「―――!?」
アリスの言葉に、八馬はハッとした様子で振り返る。
…が、既にその場所にアリスの姿は無く。
だが、アリスの言葉に、八馬は妙な確信を抱いていた。
…アリスは、彼女は連続失踪事件の、少なくとも関係者である、と。
再び一人きりになった部屋に、小さく灯りが灯る。
まるで扉を指し示すかのように、一部にだけ灯った照明は、灯りだと言うのに仄暗く。
何処か不安を掻きたてる様な、心を沈ませる様な、そんな色をしていて。
八馬は軽く頬を叩くと、クッションを掻きわけながら扉に向かい、そして…ゆっくりと扉を開いた。