塵屑蟲
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20、
***
お腹の蟲が成熟すれば、私は欲望のままに食物を貪り、
蟲に生かされつつ永遠に肥え続ける“異形”になる。
知っていた。わかっていた。バケモノに聞かされた時から、わかっていた。
聞いた事も無いような、あり得ないような能力の蟲に寄生されて、
ここまで変わってしまった私の身体。
きっと、悪魔だろうが、妖怪だろうが、神様だろうが、もう元には戻せないのだろうって。
蟲のバケモノは、嘘をついたのだろうか。
あの子の、私を助けるという願いを叶える為に、私にあの子を助けさせる。
私の身体は、もう戻らないのに。
いや、きっとちがう。
あのバケモノは、きっと、できる事なら、私も助けてくれようとしていたのだろう。
そんな気がする。そんな確信がある。あいつは、そんな律儀な奴だ。
だって、そうでなければ、わざわざ“勝負”などと言って私を試したりしない筈だ。
それに最近、ふと、思った事がある。
どうして、あの蟲のバケモノは、あんなに誰かを助けようとするのだろう。
どうして、自分との契約で命を落としそうになったあの子を、あんなに憐れんだのだろう。
どうして、太り続ける私ですらも気に掛けるのだろう。そう思った。
そして、いよいよ最後になって、何かが分かったような気がした。そうか。きっと、あいつは…
***
『頼んだ通りに、やってくれたか…?』
誰かの声がする。誰だろう。眠くて、目蓋が重い。
『ええ、もちろん。私(ワタクシ)の囀り聲(サエズリゴエ)にかかれば、
人間共や畜生ごときの記憶など、風前の塵屑に同義。』
何の話だろう。お腹すいた。朝ご飯が食べたい。今何時だろう。
最近、食べて寝てばかりだったから時間がよく分からない。
『おや?目を覚まされたようですよ。』
『…ああ、わかってる。』
私が目を開けると、枕元に2人の人が立っていた。
片方は、6本の腕を生やした、蟲みたいな人。もう片方は…?
『お初にお目にかかります。レディー。』
鳥みたいな、馬みたいな顔。羽を生やした細くて背の高い、変な人だった。
…から揚げにしたら、美味しいだろうか。
「お腹すいた…。」
激しい空腹感で、私は完全に目が覚めた。食べたい。何か食べたい。
首を動かして、辺りを探る。私は、どこで寝ていたのだっけ。自分の家じゃなかったような。
なんだか、良い匂いがする。
「ぶ…ぅ…。よい…しょ…。」
私は重たい体を起こす。
起き上がって見回すと、周りに美味しそうな食べ物が置いてあるのが見えた。
「む…(もぐ…もぐ…)」
手でつかんで口へ運ぶ。良い匂いの肉の塊を、食いちぎって、噛んで、飲み込む。
『たしかに、すごい食べっぷりですね。これでは、う〜ん、確かに……。』
『…………。』
『…?どうなされました?…ああ、そういえば、あなたは“へんげ”でしたね…。大丈夫。
これは、あなたのせいではありません。』
『…しかし…。』
『仮にあなたが、あなたを呼んだ少女の願いを反故にしたとして、おそらく、
その少女は別の手で、この少女を貶めた事でしょう。もしかしたら、殺してしまったかも?
あなたは、最善の手を尽くしました。最終的に、二人の少女は“親友”と言っても
過言では無いほどの絆で結ばれた。それで、良いではないですか。』
二人の人が、何か喋ってる。…多分、私の事だろう。でも、聞かなくていい。
それより、何か食べていたい。
「(もぐもぐ…。くちゃ…。バリバリ…。ゴク…)」
『この少女は、この食欲は、ここまでになると最早、我々の側で引き取る他無い。そうでしょう?』
『…ああ。』
『片方の人間が、片方を憎悪すれば、いずれ、こうなるのです。
我々は、人間の願いは絶対に叶える。
例え、願った人間や、周囲の者達に不幸が降りかかる事が分かっていても。
それが我々の宿命です。
当事者の片方が、こちら側に堕ちる事もあるでしょう。
――大昔に、きっとあなたがそうであったように。』
『……ああ。』
『仮に、“異形”の種を植え付けるような形になったとしても。
仮に、新たな“へんげ”が生まれる結果になったとしても。
それは、あなたのせいではありませんよ。
あなたは自分にできる事をした。結果、私たちの同胞が一体増えた。
…それだけの事では、ないですか。』
『…我は…。』
難しい話をしていた蟲みたいな人が、私を見上げた。食べ物を頬張りながら、その目を見返す。
なんだか、とても切ない顔をしていた。
「(もぐもぐ…)…?どうしたの?」
『我も、お前のような、心があれば…。人として、有限の命を…生きられただろうか。』
蟲みたいな人は、なんだか泣いているようだった。
さすがに、何かを食べる手は休めた方が良いだろうか。
『そろそろ、時間です。』
鳥みたいな人が言った。それを聞いた蟲みたいな人は、どこか向こうの方を向いて合図を送った。
そういえば、ここはどこだろう。広い。暗い。今は夜なのだろう。いつから私は寝ていたっけ。
マフラーとコートを着込んだ人が、暗がりの向こうからこちらに走ってくる。
そうだ、もう秋も終わるから、今日は寒い日なんだっけ。
『…別れを。今はまだ、人間だから。』
こっちに走ってきた人に、蟲みたいな人が言った。
それを聞いた、マフラーとコートを着込んだ人が涙を溢した。女の子だった。
「…泣かないで。」
こうなる事は、分かっていたから。私が、自分で選んだ事だから。
「ごめん…。ほんとうに、ごめん…ね…。」
女の子の瞳から、涙が落ちる。嗚咽の度に、白い息が出る。
辛かったでしょう?寂しかったでしょう?
クラスの、学校の、周りの皆に蔑まれて、のけ者にされるのは。
今の私は、よくわかるから。
そんな顔は、もうしないで。高1の春に、あなたに酷い事を言った奴は、もう、いなくなるから。
これは、私が悪いのだから。自分で撒いた種だから。
あなたの人生を台無しにした、私のせいなのだから。
すべての元凶は、私なのだから。それが、私に還ってきただけだから。
『…お前以外の人間と、数多の生命体の、この少女との“関係”の記憶は、
この者が完全に…消した。』
蟲みたいな人も、そう言っているでしょう?
だから、だれも悲しまないから。私なんかがいなくなっても、誰も泣かないから。だから。
「泣かないで…」
「だ…って。ぅ…。だって…。」
こんな事を、私が言う資格なんて、あるのか分からないけれど。
「あなたが泣いてたら、私が悲しいもの。」
「え…?」
だって、私は、私たちは、
『ワタシタチ、友達…デショ…?』
さっきまで沢山の食べ物を食べていたから、言葉に少しげっぷが混じって、
イマイチ締まらないけれど。
でも、さっきまで泣いていた女の子が、涙目だけれど、笑った。だから、いいのだ。
『では、この少女は、我々“異形”の世界に引き取りますね。』
鳥みたいな人が、こちらに羽根の生えた手を向けた。
『安心してくれ…。我の使わせた蟲は、お前の天寿が尽きるまで、お前の臓腑の…代わりを果たす。』
蟲みたいな人が言うと同時に、私の周囲の床が、黒い影のような物で満たされる。
そして、今気が付いた。ここは、学校の体育館だ。
黒い影のような物は、水のような触感と温度で、私の巨体を包み始めた。
黒い霧の向こうに、女の子の顔が見えた。
『バイバイ。』
やっぱり少し、げっぷの混じった私の言葉は、ちゃんとあの子に届いただろうか。
ゴミ子、なんて、変なあだ名をつけてしまった私の、私なんかの言葉が、
あの子の慰めになるのだろうか。
そんな事を考えながら、1トン近い重さの私の巨体は、黒い影の中に沈んでいった。
(完)
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