塵屑蟲

塵屑蟲

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19、
***

 

叶う願いは、一つだけだった。
そりゃそうだ。よく考えたら、ゴミ子はもう、生きるか死ぬかの瀬戸際にいたのだから。
バケモノが言っていた。勝負の日の前日には、実は、もう息も心臓も止まっていたのだそうだ。
それを、例えば私が助けてあげたところで、ゴミ子はもう、
バケモノと取引なんかできなかったのだろう。
当然だ。だって、バケモノに助けてもらった命でバケモノと取引なんて、きっとできない。
無い袖は振れない。
叶う願いは、私のが最後だったのだろう。現実なんて、そんなものだ。
…では、バケモノは、嘘をついたのだろうか。
ゴミ子の願いを叶えるために、ゴミ子を助けて欲しい。
…ゴミ子はもう、願い事をする事なんてできないのに。
いや、ちがう。きっと、嘘でも、本当でも無く、あいつも必死だったんだ。きっと、そうだ。

 

***

 

「(おい…あれ…)」
「(うわ…すごい…)」
夏休みが明けて、私は学校への通学路を歩いていた。
「(休み前の3倍くらいあるぜ…)」
一歩踏み出す毎に、お腹が、二の腕が、身体が、ぶるんぶるんと波打つ。
「(あんなでっかいジャージ、あるんだ…)」
学校の指定のデザインのジャージ。XXLサイズ。お腹の肉が揺れる度に、
めくれて臍が見え隠れする。
「(うわ…キモ…)」
「(ありえないよね…)」
皆のヒソヒソ声が聞こえる。
夏休みの間に、太りに肥った私の身体は、もう300キロを軽く超えて、
そろそろ400キロに迫ろうとしていた。
それでも、こうやって歩いて学校に行けるあたり、きっと、もう私は人間じゃないのだろう。
何か、別の生き物。
お腹の蟲に、無限の食欲を与えられて、その代わり、運動能力を保証された、

いつまでも太り続ける生き物。
もう私の身体は、何を食べても、何を飲んでも、息を吸っても、
それだけでどんどん太り続けるのだから。
もう、誰に何を言われたとか、気にするだけ、無駄なのだろう。意味が無いのだ。
「(キモ…)」
「(なんか怪獣みたい…)」
怪獣。…そういえば、あの蟲のバケモノは、何であんな勝負をしようとしたのだろう。
夏休みが終わる前に、そんな事を考えた事があった。
もしかして、あいつは試そうとしていたのかもしれない。
ゴミ子の命が、助けるに値するか。
周りの人間に、どう思われているか。
仮にあの子が死んだとして、誰か悲しむ奴がいるか。
「あの…。おはよう…。」
後ろから声を掛けられて振り返る。
そこには、針金のように痩せてどこか生気の無い、けれど、
確かに顔に笑顔を浮かべた女の子が立っていた。

「まだ、暑いね…。」
「ふぅ…ふぅ…。…この体だと、余計に、ね。」
「あ…、え…と…。」
「ん…。いいよ。別にもう、気にしてないもの。」
「そう…なの?」
「はぁ…はぁ…。だ…って、例えば、10キロ太ったって、380キロが390キロになっても、
 あまり変わらないでしょ。」
「そ…そうなの…?そ…っか…。」
隣で、私の歩く速さにあわせてゆっくり歩く女の子。力無い、けれどどこかほっとした顔の女の子。
あの日。私が、蟲を飲まされたあの日。
あの、悪夢の始まった日の顔と比べると、まるで別の人間を見ているかのように穏やかな顔。
それに…
「…どうしたの?」
「ふぅ…ふぅ…。うん?…あー。なんでもない。」
一目見て“死んでいる”と分かる顔が、目を開けて、すがり付くような表情でこちらを見た時の
あの感覚は、多分ずっと忘れないだろう。

お腹の中に寄生した蟲のせいで、あり得ないくらい肥ってしまった私。
一度、体の中身を全部失って、今は珍妙な蟲を内臓の代わりにして生きている女の子。
どちらも、おそらくもう人間とは呼べない何か。
他人がどう思おうと、どうでもいい。そんな事は、どうでもいい。
「(あれ、ゴミとデブが一緒に歩いてる?)」
「(あいつら、あんなに仲良かったっけ…?)」
「(知らね。良いんじゃない?誰と誰が友達でも。)」
誰に何を言われても、この子は、もう大丈夫な気がする。
「…ふぅ、…ふぅ…。学校…間に合うかな…。」
「無理しないでね…。私も、一緒にいるから。」
私とこの子は、多分もう友達だと思うから。この子は、もう一人じゃないから。

 

***

 

「(もぐ…もぐ…。くちゃ…。)」
食べ物のカスがそこら中に散らかった自分の部屋で、手当たり次第に口に食べ物を運ぶ。
「(バリバリ…。もぐ…。ゴク…。)」
学校から帰って、日が落ちて、夜になって。暗くなった私の部屋で、私は食べ物を貪る。
「(もぐ…もぐもぐ…。くちゃ…。)」
パンだの、お菓子だの、インスタント食品だの。
それどころか、最近は生の肉や魚も食べられるようになった。
いよいよ、私は何か別の生き物になっているようだ。
お腹の中の蟲は、もう完全に私と一体化して、既に私の内臓の一部になったのだろう。
私の中身を、完全に別の物へ変えて。お腹の蟲は、役目を終えて“私”になったのだろう。
「(くちゃくちゃ…。もぐ、…ゴク。)」
今の私は、どのくらい食費が掛かっているのだろう。
家族には、すっかり疎んじられているのかもしれない。
『…新しい、食事だ。ここに、置くぞ。』
20センチくらいのアリのような虫達が、変な臭気を放つ肉の塊を私の傍に置いた。
例の蟲のバケモノの、使いの小蟲だ。

「ん…(もぐもぐ…)」
家族に“疎んじられる”くらいで済んでいるのは、こいつのおかげだと思う。
実際にお金で買う人間の食べ物の他に、栄養価が高くて、食べごたえがあって、
しかもタダの食べ物を差し入れてくれるから。
私の身体はもう元に戻らないから、蟲のバケモノは、
律儀に私の面倒を見てくれるつもりなのだそうだ。
『…ますます、肥えたな。』
そうだろう。
何かを食べる度に、何かを飲む度に。私の身体は、私のお腹は、どんどん大きく重く膨らんでいく。
「(バリ…。むしゃむしゃ…。もぐ…。)」
変な臭気の肉を、食いちぎって飲み込む。何の肉だろう。
その辺で野良犬やカラスでも仕留めてきているのだろうか。
それとも、見たことも聞いた事も無いような生き物の肉だろうか。
『そろそろ、限界、だろうか…』
「もぐ…。ふぇ…?」
今、蟲のバケモノが(正しくは、働きアリを通したあいつの声が。)何か言った気がした。

「…(モグモグ…ばり、むしゃ…)」
けれど、すぐに気にならなくなる。もっと食べたい。何か食べたい。
ずっと、食べていたい。

 

***

 

 

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