651氏その1
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昼下がりのある日。
目的もなくぶらぶらと町を歩いていると、古ぼけた看板が目に飛び込んだ。
『なんでもあります 骨董品 ふるふる屋』
漢書体の太い字で書かれた店名。金属の錆び具合から判断すると相当昔に作られた看板のようだ。
店先には日に焼けた古書だの埃を被った茶碗だのが無造作に積み重ねられていた。
暇を持て余していた俺は、その店のノスタルジックな雰囲気に興味を惹かれた。
何か面白い堀出し物があるかもしれない。
俺は勇気を出して店内に飛び込んだ。
黴臭い空気が鼻をつく。
店の中は外とは違って意外と整理整頓されていた。
危ういバランスを保ちながら天井まで物が積み上げられている。
その景観に少々圧倒されながらそれらを眺めていると、ふと声をかけられた。
「あら、お客さん?」
店の奥から店主らしき若い女性が近づいて来た。
24、5歳だろうか。栗色に染めた髪を首の後ろで束ねている。
「あなたのような若い男性が骨董品屋にくるなんてめずらしいですね」
「あ、いや。面白そうな店だな、と思って。ははは」
「ふふ、看板にたがわず、私の店はなんでも取り揃えていますよ。あなたが欲しいものならなんでも、ね」
にこりと微笑む女性。
「なんでも」とはずいぶん大きく出たものだ。
丁度刺激が欲しかった俺は彼女を少しからかうことにした。
「なら……魔王を呼び出す本をください」
「ふざけないでください」と怒られるか「それはちょっとおいていません…」と困惑されるかどちらかと思ったが、女性はこくんと頷くと店の奥に引っ込んだ。
「まさか、本当に持ってくるはずはないよな」
魔王なんて漫画の中だけの想像上の存在のはずだ。それを呼び出す本などあるわけがない。
爪を噛みながら待つこと数分。
女性は分厚い本を抱きかかえて戻ってきた。
「この本を所望されたお客様はあなたが初めてですよ。『ヤギでも分かる召喚儀式 魔王編』です」
おそらくは売り物であろうサイドテーブルの上に、女性はどすんと本を置いた。
革表紙の薄汚い本だった。
灰色の表紙にはミミズがのたくったような文字が刻印されている。
触れればいまにも音を経てて崩れそうなほどページが風化している。
もっと魔王が出てきそうなオーラとか感じるかと思ったが、どうみてもただの古本だ。
「インチキくさいな」
「正真正銘の本物ですよ。今ならセール中でたったの1000円!」
彼女は嘘をついているようには見えない。眼差しは真剣そのもの。
まあいいだろう。
偽物だったとしても(十中八九偽物だろうが)話の種になる。
インチキ骨董品屋に騙された話として飲み会の席での肴が一つ増えるだけだ。
「分かった、買うよ」
俺は財布から千円札を取り出し、女性に手渡した。
「まいどありがとうございます!」
重たい本を抱えながら、俺は店を出た。
早速、自宅のアパートに帰って買った本を開いてみた。
意外にも分厚い割には内容は薄かった。
表紙にも書かれていたミミズ文字がページ上部に数行書かれており、その下にはエジプトの壁画のような挿絵が描かれている。
これなら文字が読めなくても挿絵で召喚方法が分かるというわけだ。
俺は挿絵から判断して儀式の段取りを整えた。
1.魔方陣を床に書く(大家に怒られるので後で消すことができるペンを使って)
2.鶏の心臓をすりつぶしたもの・蛇の生血・マンドラゴラのエキスを混ぜ合わせる
(手に入らないので、それぞれハツの焼き鳥・マムシドリンク・大根の煮汁で代用)
3.2のスープが入った小瓶を魔方陣の中央に置く
これで準備完了。
そして魔方陣の外に座り、呪文(発音が分からないので適当にそれっぽく)を唱えた。
すると、魔方陣の中心、何もない空間から紫色の火花が散った。
火花は次第に人の形を取り、輝きを増していく。
眩しさで目がくらんだ次の瞬間、魔方陣の中央に一人の女性が腕を組んで立っていた。
赤い目で褐色の肌をした美女だ。
体にぴっちりとフィットした露出が多い服を着ている。
そのおかげで彼女が巨乳であり、立派なトランジスタ型体型をしていることが分かった。
「貴様か、私を呼び出した人間は」
美女はくわっと口を開けて威嚇した。八重歯がぎらりと光った。
「ほ、本当に魔王!?」
「いかにも。私こそ魔界を統べる王、アニス様だ」
アニスと名乗った美女は組んでいた腕をほどき、俺を指差した。
「して、そこの人間。私を呼び出した理由を答えよ」
「えー…っと」
暇つぶしです、とか言ったら確実に怒るよな。
「そうですね、魔王がどんな姿なのか見ておきたくて。えへへ」
「そうか、下等な人間にしては良い心がけだな。どうだ、美しいだろう?」
ファサ…と長い髪をかきあげた魔王様。
「は、はぁ…」
「それでは、私の美貌を目に刻んで、死ね!」
「!?」
アニスが手の平をこちらに向けると、その先に紫色の光の玉が生じた。
もしかしてこれってエネルギー弾というやつでは?
紫のエネルギー弾は空中放電しながら着実に大きくなっていく。
「たかが人間の分際で私を呼び出すとは身の程をわきまえよ。塵芥にしてやろう!」
「わぁぁ! ちょっとタンマー!!」
目を細めた瞬間、エネルギー弾はしゅるしゅると消えてしまった。
「あれ?」と声を上げたのはアニスだった。
「ど、どうしてだ? なぜ魔力がなくなっている!?」
慌てふためく魔王。先ほどまでの威厳が光の速さで消し飛んだ。
「あ、そういえば貴様、どういう方法で私を呼び出した!?」
アニスは床に書かれた魔方陣と儀式に使ったスープを見つけて驚いた。
「なんだこの魔方陣は!? 書き方がめちゃくちゃではないか!
召喚材料に至っては適当なもので代用したな!」
「だってマンドラゴラなんて手に入らないんだもん(笑)」
「正規の方法で召喚しなかったせいで魔力がすっからかんだ! 自力で魔界に帰ることすらできない!」
「えーと、つまり?」
「今の私はただの人間と変わりない…ごく普通の女の子だ」
しゅんと座り込むアニス。意外と打たれ弱いんだな、魔王様。
「こうなったのも貴様の責任だからな。魔力が回復するまで面倒を見てもらうぞ!」
「ええ〜!?」
こうして魔王と俺の変な同居生活が幕を開けた。
「というわけで、これからよろしく頼むぞ」
アニスはソファにどっかりと座ると、大仰に足を組んだ。
「取りあえず、魔界に帰るために十分な魔力が溜まるまで世話になる」
「魔力が溜まるって…どうやってやるんだよ? 力めば溜まるのか?」
「そんな便秘の解消法みたいなやり方で溜まるわけがないだろうが!」
思いっきりひっぱたかれてしまった。見た目は女の癖に力は強い。
「魔力とはいわば我ら魔族の体力。それを回復する方法は人間と同じよ」
ズビシ!と無意味に指を差すアニス。
「すなわち、食って食って食いまくることだ!」
「へ?」
「ということで、おい人間。私に食い物を持ってこい!」
「ベヒーモスのステーキはないのか? 魔界鮫のフカヒレでもいいぞ」
「人間の世界にそんなものあるわけないだろ…」
今、冷蔵庫に残っているのは昨日食べた野菜炒めの残りくらいなものである。
体型は細いが言動から察するにアニスは相当な大食漢のようだ。
そんな奴の胃袋を満たす料理を作るなんて俺には物理的にも経済的にも無理…。
そこまで考えて、俺はふと妙案を閃いた。
「なあ、アニス。外出することになるがいいか?」
「外へ出て食べるのか? 腹一杯食べられるのなら構わんが」
「ああ思う存分食べられるぞ」
アニスはきょとんと首を傾げた。
俺とアニスは家を出た後、目的地に向かって並んで町を歩いていた。
さすがにアニスを召喚時の服装で出歩かせることは俺が気恥ずかしいため、
押入れの奥にしまってあった私服の中から大き目のパーカーとジーンズを選んで着替えさせた。
それでも長身かつド派手な体型のアニスには少しきつめで、胸や尻のラインが衣服の上からはっきり分かる。
若い男とグラマー美女の二人連れ。
すれ違う人々は好奇の視線で俺達を眺めている。
そんな視線を気にも留めず、アニスは俺に尋ねた。
「なあ、これから行く『いんふぇるの』とかいう店はどういうところなんだ?」
アニスが言う『いんふぇるの』とはバイキング形式のレストラン。
最近近所にできた店で、3000円払えば中華・洋食・和食・デザート食べ放題という店。
『いんふぇるの』が開店した時、店の前で店員から無料券を配られたが、一人暮らしだった俺には行く機会がなかった。
しかし、ようやくその無料券が活躍する時が来たというわけだ。
「金を払えばその場にあるもの全部食べられるんだ…っと、着いたぞ」
俺は『いんふぇるの』と書かれた看板が掲げられた建物の前で止まった。
レンガ造りの一軒家。なかなかオシャレな外見だ。
店内に入ると、男の店員が駆け寄ってきた。
「何名様でしょうか?」
「大人2名で」
店員に無料券を手渡した。
店員に案内されて、2人掛けの席に着いた。
店は繁盛しているようで昼間だというのに家族連れで賑わっていた。
店内の中央には様々な料理が湯気をたてて所狭しと並べられていた。
それを見てアニスはじゅるりとよだれを垂らした。
「おい。あれ、全部食べていいのか?」
「いいよ…って、ちょっと!」
俺の返事を聞かずにアニスは猛ダッシュで料理に向かった。
「肉に魚に…選り取り見取りではないか!」
「これはなんだ?」とか「珍妙な品だな!」とか大声出して驚きながら料理を皿に取り分けていく。
周りの客からは失笑が聞こえたがそんなことはお構いなし。
大好物を目の前にした子供のように目を輝かせて席に戻ってきた。
鍋の蓋ほどもある大皿の上にはスパゲッティやらステーキやらピザやらカロリーの高そうな料理が山を形成していた。
「これほどの豪華絢爛な食事、魔王城の晩餐会ですら出なかったぞ」
おそらく冷凍食品を解凍しただけであろう、一山いくらのピザにかぶりつきながらアニスは大層喜んでいる。
「そんなに食べきれるのか?」
「んぐ…魔王の胃袋を舐めるでない。はぐっ…魔界の大食いコンテストで優勝したこともあるのだぞ」
「喰うか喋るかどちらにしろよ…」
「ごきゅっ…ごちそうさまだ。次いくぞ!」
呑み込むようにして皿の上にあった料理を全て平らげ、アニスは料理に突進していった。
その逞しい(?)後ろ姿を見ながら俺は大きなため息をついた。
「またの来店をお待ちしております」
会計を済ませた後、店員に見送られながら俺達は『いんふぇるの』を出た。
「いや〜、食った喰った。それにしてもあの店員、なんだか元気がなかったな」
「そりゃ、店の料理をほとんど食べられちゃ泣きたくなるだろうよ」
結局、アニスは数回のおかわりで店の料理を食べ尽してしまった。
無料券を使ったので、店にとっては大赤字だろう。
「また来よう、な!」
呑気に笑いながらお腹をさするアニス。
呆れながら、ふと俺はあることに気が付いた。
「お前…食事する前よりも腹が膨れてないか」
食事する前はダボダボだったパーカーの腹部がぽっこりと盛り上がっている。
「ん? まあかなり食べたからな」
と、ベルトを緩めた。
「しかし、このくらい何の問題もない。食べたものは魔力として吸収されるから私は太ることはないのだ」
爪楊枝を咥えながら「ワハハ」と笑うのだった。
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