651氏その1
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「…ふごっ!?」
気が付くとアニスは暗い牢の中にいた。
石畳の無機質な床。ところどころ崩れ落ちた壁。窓には鈍い光を放つ鉄格子が嵌っている。
「(ティナの店の地下室…というわけではないようだ)」
別の場所に移され、牢屋の中に閉じ込められた、ということか。
注意深くあたりを確かめる。
牢屋だから当たり前だが、どうやら出口はないようだった。
「(私に復讐する、と奴は言っていたが…?)」
死ぬまでここに幽閉しておく、という意味だろうか。
「そんなに怖い顔をしなくても大丈夫ですよ」
鈴を転がすような声がしたかと思うと、牢の中央に一人の少年が立っていた。
「ぷぎっ!?」
「ああ、ティナ様の術をかけられて喋れないのですね。あの方の嗜虐癖にも困ったものです」
少年が指を一振りするとアニスの豚鼻が縮んでいき真っ直ぐ整った本来の鼻に戻った。
さらにもう一振りするとアニスの体が光始め、太る前の引き締まった肉体に戻っていた。
アニスは困惑しつつ、少年に問いかけた。
「お前はティナの手下ではないのか?」
「はい。ティナ様の使い魔です」
「なぜ私の体を元に戻した?」
「さあ? ただの気まぐれですよ」
少年は笑顔を見せた。
訝しく感じつつも、口元が緩むのを我慢することができない。
ひとかけらの余分な脂肪もない己の体を撫で、筋繊維のしっかりとした感覚を確かめる。
鉛の鎧を脱いだように全身が軽い。
「喜んでいただけているようで幸いです。それでは私はこれで…」
テレポートの魔法を使い、部屋から出ていこうとする使い魔の腕をアニスは掴んだ。
「待ってくれ。無理な頼みなのは分かっているんだがここから出してはくれまいか?」
「んー…っと、そうですね。私の言うことを聞いてくれれば出してあげますよ」
使い魔が指を振るとアニスの目の前の温かい料理が表れた。
パンとスープ、それに羊の肉を炙った質素な料理だった。
「これを完食できたらティナ様に頼んでここから出してあげますよ」
「ほ、本当か?」
「はい」
アニスの胃袋なら5分とかからず食べ終えることができる量だった。
監禁された魔王は余裕綽綽の面持ちで料理に取り掛かった。
「では私はティナ様にこのことを伝えてきます」
「頼んだぞ!」
「ええ。豚は太らせてから喰った方が美味しい、とね」
テレポートの魔法で牢屋から退出する直前、使い魔が歪んだ笑みを浮かべぼそりと呟いたことにアニスは気が付かなかった。
「あれから2時間は過ぎましたが…どうですか、食べ終えることができましたか?」
使い魔の少年が楽しそうに地下牢の扉を開ける。
牢の中央には必死に口に食べ物を運ぶアニスと…山盛りのままの料理が置かれていた。
彼女が料理を取ると、皿の上に新たな料理が湧き出てくる。
「あれれ? 全然減ってないじゃないですか。本当に真面目に食べていたんですか?」
「んぐっ、ち、違…。食べても食べても料理が減ら…な…んっ」
少年は、舌なめずりをした。
「努力が足りないんじゃないですか」
「そ、そんなことはない、が…お腹が一杯で…」
「もう食べられない?」
「腹が…腹がこんなにパンパンに膨れて」
アニスは過食によって妊婦のように膨らんだ腹部をポンポンと叩いた。
それは「ギブアップだ」という、少年への精一杯の訴えだった。
少年はアニスの太鼓腹を軽く押し、その圧力を確かめる。
そして、ニッコリと笑った。
「それは可愛そうですね」
「だ、だから…もう、勘弁してくれ」
「あらあら、食べ始める前の威勢はどこにいったのですか? こんな料理、ペロリと平らげられるのではなかったのですか?」
アニスは口を堅く結び目をそらした。目元には涙が溜まっている。
「あなたは約束を守れなかった。これはそのペナルティです」
使い魔の手から黒い霧が伸びる。
その霧はアニスの体を包み、すぐに消えた。
「わ、私に…何をした?」
「ちょっとしたお手伝いですよ」
少年が言い終わらない内にアニスの体が膨らみ始めた。
注射器で注入されたかのように全身に薄らと皮下脂肪が付き始め。
シルエットが丸っこいものに変わっていく。
「んっ、あっ、これ…はぁ!?」
「食欲の悪魔ってご存知ですか? 私はその悪魔でしてね」
「しょく、よくぅ? …ふぅぅ…ぶひぃぃん!」
ベルトのバックルが音を立てて弾け飛んだ。
「術を掛けてあなたの体質を変化させました」
「おお、い…っ…にぃ?」
「食欲を増幅させ、全身の脂肪の量を増やしたんですよ」
少年は、でっぷりと突き出したアニスの三段腹を軽く小突いた。
「んっ、あっ、止め…」
「ぷよぷよとしたいい肉です。まるで運動不足の子供のような」
追い払おうとするアニスの鈍重な動きをかわしつつ背後に回り、ズボンからはみ出した肉を満足そうに眺める。
「巨尻の肉厚でパンパンに張って皺がよった衣服」
「み、見るなぁ…ひゃっ!?」
「膨れ上がった二の腕の肉。ブヨブヨと垂れた乳房」
少年の手は這うように下腹部へ伸び。
「や、やめっ…はぁん…」
「…肉厚ですね」
アニスが身をよじると彼女にまとわりついた脂肪が滑稽なほどよく弾んだ。
「お、おのれ。私にこのような屈辱を…」
「まあ、いいじゃありませんか。食欲の悪魔として申し上げておきますが、デブというのもなかなか悪くないものですよ」
「そ、それはそうかも…」
召喚者の男との生活を思い浮かべたアニスだったが、すぐさま頭を振る。
「な、何を考えているのだ私は…」
そう言えば私を養ってくれていた男は今どうしているだろうか。
あの馬鹿馬鹿しくも充実していた日々がはるか昔の事のように思える。
行方不明になった私を探してくれているだろうか。
もしかして私を見捨てているのでは。
食欲の悪魔によってじわじわと削り取られていたアニスの心は恐怖と羞恥と孤独によって、折れてしまった。
「ふぐっ…グスっ…」
「えぇ、いきなり泣き出してどうしたんですか?」
突然の号泣に今まで余裕を保っていた少年は困惑している。
「さ、さすがにやりすぎましたかね。いきなり泣かれるとは思いませんでした」
「ふぇぇ…」
「ティナ様には壊さないように言われていたんですが…」
「お家、帰るぅ…」
「参りましたね、ティナ様との打ち合わせではこの後別の悪魔にも折檻してもらう予定でしたが」
ふぅ、とため息をついた。
「まあ、いいでしょう。次の悪魔なら肉体操作のプロフェッショナルですし、元に戻してくれるでしょう」
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