海神の島
「真美ちゃん…!真美ちゃん…!」
それは、誕生日から二週間後の深夜のことだった。
真美はいつものようにお腹いっぱいに食べ物を詰め込み、そのまま寝てしまっていた。
「真美ちゃん、起きて!」
「…ん…誰ぇ…?」
真美が目を覚ますと。眩しい光が目に入った。
それは懐中電灯の光で、誰かが自分を照らしていたことに気づくのは時間がかかった。
「あなたは…誰?」
声のするほうに目をやる真美。
そこには、黒尽くめの服を着た、若い男がいた。
「僕は陣内。調査会社の者だ。つまりは…探偵だ。君を助けに来たんだよ。」
助け―?男は確かに「助けに来た」と言った。
もう暫く諦めていた助けが来たと言うのだ。
「え?あ…」
「詳しい話は後でする。僕は君のご両親の依頼で君を探して、助けに来たんだ。さあ、ここから出るよ。」
ああ、何ということだ、両親は生きている、しかも、自分を探している。
この男は、私を助けると言っている。
出れるの? この地下室から、この島から。
この異常な生活が終わるの?
家族の下に、お父さんとお母さんとシンジとマリーのいるお家に帰れるの?
いろいろな感情が真美の頭を駆け巡る。
男に手を引かれ、ベッドから降りる。
そしてそのまま男に外に連れ出される。
金属のドアの鍵は壊されている。
この男がやったのか? すごい、この人はプロだ。
わたしを助け出すヒーローだ。真美に男は正義の勇者に見えた。
「こっちこっち」
久しぶりの外界に感慨を覚える暇もなく、真美は藪の中へ引き入れられた。
そして、林の中を駆けていく。
脱走から10分が経った。暗い林の中を、月明かりを頼りに進んでいく。
「はぁ…はぁ…」
息が上がる真美。今や150sの体重は動くのもつらい。
「陣内さ…ん…もう…だめ…きゃっ!!」
どたっ
真美は脚をもつらせ、転倒してしまった。全身の肉がぶるんと波打つ。
「大丈夫かい?少し休憩しよう。」
「はぁーはぁー…(こんなに体が重たいなんて)…は、はい…ゼェ、ゼェ…」
ただ体が重くなっただけではない。
半年間の地下室暮らしで、真美の足腰はみるみる衰え、引き締まった筋肉は今やぶよぶよの贅肉に変わっていたのだ。
「ふっ…はふぅっ…ひ、膝がぁ…」
自分の体重がモロに膝に負担となっていた。
「はぁ…はぁ…はっ、んんっ、う、うえええええっ…」
ビチャビチャビチャァッ…
「だ、大丈夫かい!楽にしていいから。」
真美は思わず吐いてしまった。しかし吐いても楽にならない。
息があがり、全身の肉が上下する。
体中が熱い。滝のように汗が流れる。
かつて陸上部からスカウトがくるほど体力に恵まれていた真美は、半年間の食っちゃ寝生活でここまで体力が減衰していたのだ。
陣内から水筒の水をもらい、がぶ飲みする真美。
二人は木の幹にもたれかかり、休憩することにした。
陣内は、話を始めた。
「君のご家族は、君を除いてみんな救助されたんだ。だけど、君の…ご両親は諦めきれず、僕の会社に伽那夷諸島一帯の調査を命じたんだ。」
両親の愛を感じ、胸がいっぱいになる真美。
男は話を続けた。
「地元の人間に聞き込みをして、鳴神島の話を聞いたんだ。」
「ここ…この島は何なんですかいったい?」
「鳴神島はね、伽那夷本島から10qも離れた絶海の孤島なんだ。そして、日本にあって、日本じゃない。」
「日本じゃ…ない…?」
「伽那夷諸島は、もともと日本とは異なる文化圏に属し、独自の言葉、風習、宗教を持っていたんだ。特に宗教が特異的で、本土の人は関ろうとしなかった。伽那夷諸島に本土から日本人が移り住んだのは江戸時代からだ。落ち武者や、脱獄犯や、隠れキリシタンたちだったそうだよ。
明治時代になってやっと、この地域が日本の領土に編入された。他の伽那夷の島はだいぶ日本と同化したけど、鳴神島だけにはより強く独自の信仰が残った。鳴神島では日本語を使う、日本円も普通に使えるし、電話も通じている、テレビも映るし、郵便番号もあるから、手紙も届く。
だけどこの島の人たちは、普通の日本人を装いながら、独自の信仰を守り続けている。それはもはや狂信だよ。かなりの人が住んでいるのに、この島には未だに定期連絡船がないから、一般人はこの島に簡単に来れない。戦前、連絡船を始めようとした実業家がいたけど、彼は自分の事務所とともに不審火で焼け死んでしまった。」
「…そんな場所が現代の日本にあるなんて…」
「そう、伽那夷の人たちにとってもこの島のことはタブーなんだ。調査するのに苦労したよ。真美ちゃんがこの島に流れ着いていて閉じ込められたら気づかれない。そういう仮説を立てて、島のことを調べたんだ。事故の後に海上保安庁がこの島に調査しに来たけど、島民は漂着者なんていなかったと答えたそうだ。」
「…わたしは?わたしはなんで太らされたの?」
「もう聞いているかもしれないけど、この島では漂着した子供は神の子で、大事に育てるんだ。大事に育てて、神に恩をきせれば、神の恩恵があるし、おざなりに育てれば祟りが怒る。子供の漂着は島民に課せられた試練なんだ。そして、古代人の感覚では、育つとは太ること、彼らはぶくぶくに太らせることを目的にするんだ。どんなに子供が嫌がってもね。」
「…わたしは、ずっと太らされるところだったの?」
「…文献が少ないからなんとも言えない…今話したことも、大正時代の論文を引っ張りだして調べたんだ。で、たぶん…ずっと太らされる。江戸時代の文献の挿絵があったんだけど、そこには部屋いっぱいに膨らんだ女性が描かれていたよ。彼らは太らせることが目的化しているんだ。」
「…そんな…」
真美はぞっとした…
「だけど、もっと恐ろしいことがあって…」
陣内が喋りだした時だった。
ウウウウゥゥゥゥゥ……
ウウウウゥゥゥゥゥ……
「!」
「!」
集落のほうから、サイレンの音が聞こえてきた。
「くそっ!もう気がつかれたのか!真美ちゃん、もう大丈夫?行くよ!」
陣内が顔色を変えて立ち上がる。
バックパックを背負い、再び真美の手を引いた。
「できるだけ早く走って!」
「何処に行くんですかぁ?」
「仲間が船で迎えに来る。海だ!」
「港ですかぁ?」
「港は人が多い。反対の岩場だ。そこが待ち合わせ場所だ。」
真美は手を引かれ林の中を走った。
体が重い。膝もガクガクしている。
しかし、自由への希望を支えに、遅いなりにどすどすと足を進めた。
ぶるん、ぶるるるん
大きなお尻が揺れる。
ゆっさゆっさ
大きな胸が上下する。
やはり動きづらい、しかし少女は懸命に自由への逃避を続けた。
「お父さんに…はっ…お母さ…に…あ、会え…会える…」