海神の島
「うあ…」
真美は目を覚ました。もう昼になっていた。
真美は昨日の嵐のような夜を思い出し、起きて早々、涙を流した。
自由は叶わなかった。
正義の勇者は狂人たちに殺された。人が殺された。
そして、心のどこかで生きていると思っていた家族は…
「うあああああ……」
声を出して泣き出す真美。
二の腕がぶるんぶるん揺れる。
しかし、泣きながら、体の変調に気づいた。
「はぁ…はぁ…お、お腹…空いた…」
いつも食べ物を詰め込まれている真美は、ここのところ空腹を感じたことはなかった。
しかし、今朝は強烈な空腹を感じる。
昨夜たくさん走ったから?
「おはよう。真美ちゃん。」
絹江だ。真美は昨日のことを思い出し、一瞬びくっとする。
「怖がらなくていいのよ。それに今日から無理に食べなくていいから。」
絹江は、お膳を床に置き、さっさと出て行ってしまった。
今日は何かおかしい…。
「ええ!これだけ??」
真美はメニューを見て驚愕する。
ご飯と、ししゃもと、味噌汁と豆の煮物…質素なメニュー。
それも一人前だ。
いつもは何人もの人が、豪勢な料理を大盛りにして持ってくるというのに…
「太らせるの…諦めたのかな…」
もしそうだとしたら、今まで望みに望んできたことだ。
真美はあっという間に食事を終えた…異変は数分後に訪れた。
「ああ…ああ…」
ベッドの中央で悶える真美。
たぷんと肉を揺らし寝返りを打つ。
「お腹…お腹空いたよぉ…」
脂肪で突き出たお腹をさすりつぶやく。
「なんでぇ…なんでこんなにお腹空くのぉ…?」
さっきの食事が少なかったから? しかしあれでも普通の一人前だった。
普通では満足できなくなった? でも、この空腹感は異常だ。
「…はぁ…食べたい…何か…食べたいよぉ…」
起き上がり、ドスドスと部屋を歩き出す。
よく見ると、部屋を埋め尽くしていたお菓子やジュースがなくなっている。
「うう…ああっ…」
空腹で頭がおかしくなりそうになる。
今までどこかで拒絶していた食欲が、今はストレートにこみ上げる。
体をよじらせる。
ぶにゅん、もにゅんと全身の贅肉が形を変える。
「夕飯よ。」
数時間の格闘の後、絹江がやってきた。
真美は絹江の持っているお膳に目をやる。
…少ない。きつねうどん一杯だけである。
「…あのう? これだけですか?」
「そうよ。」
「ど、どうしちゃったんですか?」
「どうしたって。あなたが太りたくないっていうから、ダイエットよ。無理に食べなくていいって言ったでしょ?」
「でも、お腹が…」
「それじゃあね。」
「あ…待って!」
絹江は行ってしまった…仕方なくうどんをすする。
「おいし…!」
こんなにおいしいうどん、今まで食べたことないと感じた。
もっと、もっと食べたいと麺をすする。
「…あ、あれ?」
どんぶりはあっという間に空になってしまった。
しかし、真美の食欲は余計に増してしまった。
「ああ…ああ…お腹空いた…お腹がすいたよぉ…」
うわ言のように空腹を訴える真美。
その日は一睡もできなかった。
次の日も、粗末な食事を絹江は運んできた。
「あのう…もう少し多くてもいい…」
「なあに? 生きていくのに充分な量はあるわよ。」
確かにそうなのだが、真美の食欲はちっとも満たされない。
そんな日が三日続いた。
真美は耐え難い空腹に三日間晒され続けた。
「ああ…誰かぁ…食べ物…食べ物ぉ……お腹空いて…ヘンになるぅ…ヘンになっちゃうよぉ…」
ギイイイ…
扉が開く、絹江だ。
しかしいつもと違う。
他に数人の女性を引き連れている。
女性たちはお膳を持っている。
お膳からはおいしそうな匂い…ビフテキだ!
かつての見慣れた光景が真美の前に蘇った。
「苦しそうね、真美さん?」
「あ…あ…ああ! 頂戴! それを食べさせて!」
「あら? もう食べたくないんじゃないの?」
「そうなんだけど…そうなんだけど、今はとにかく食べたいんです。」
「そう。」
そう言いながら、絹江は分厚いビフテキを切り分けた。
真美は口からだらしなくよだれを垂らしている。
「食べたいの? でもこれ食べたら太っちゃうわよ?」
「食べたいです! 食べたいです! いいです! 太ってもぉ!!」
「太っても? 本当に? たっぷり太りたい?」
絹江はビフテキをフォークに刺して、ちらつかせる。
それは真美には今まで見たどんな食べ物よりもおいしそうに見えた。
既にこんなにでっぷり肥満しているのに、更に太りたいわけがない。
太りたくはないが…
「そ、それは…」
「じゃあ、こんなにいらないわね、片付けましょう。」
「ああ! 待って! ふ、太ります! バクバク食べて、ぶくぶく太ります! それでいいから…お願い…食べ物いっぱい欲しいのぉ!!」
「ふふ、真美ちゃんかわいい。ほら、あーんして。」
それからの真美はまるでピラニアのようだった。
真美の体の中で、何かが壊れ、一心不乱にビフテキを貪り食った。
ローストビーフ、フライドチキン、グラタン、ハンバーグ…重いものばかり運ばれてきたが、真美のペースは衰えることなくそれらを呑み込んだ。
まるで餓鬼に憑かれたようだ。
ばくばく…むしゃむしゃ…ごくり…
「ぷはっ…ん…おいしい…幸せ…最高に幸せ! …もっと、もっと欲しい…食べ物でお腹いっぱいにしたい…!!」
そんな真美の様子を、窓から伺う者がふたり。
地下室を抜けた絹江と医者だ。
「効果てき面ね、先生?」
「ああ、『食欲を底なしにする薬』我が家の秘伝書どおりにつくったが、ここまでとは…」
「もっと早く試せばよかったわね。」
「いやいや、あの娘では体がもたないよ、消化器官が発達した今だからいいんだ。しかしすごい薬だ。あの秘伝書を外に持ち出せば、わたしは大金持ちだ。」
「先生。」
「冗談だよ。我が家の秘伝はワダツミ様とあり、だ。」
そう、三日前に飲まされたどろどろの物体、あれは医者が調合した、食欲増進剤だったのだ。
医者の家に代々伝わる、この島にしか生息しない薬草を調合したものである。
「もっとお薬頼みますね。」
「そうだな…『満腹を感じさせなくする薬』に『消化をはやくする薬』、『体に脂肪がつきやすくなる薬』それに『痩せにくくする薬』もいるな。はは…忙しくなりそうだ。」
むしゃむしゃ…がつがつ…
「んあ…んああっ……お肉…おいし…もっと…」
もぎゅもぎゅ…くちゃくちゃ…ごくん…
真美は暴食しながら失禁していた。
しかしそのことにも気づかない。
今の真美の全思考は食事に集中しているのだ。
真美は三日三晩、ぶっ続けで食べ続け、その後丸一日眠った。