肥満ハザード
[9月5日・昼]
―保健室
祐は、先ほどの健康診断で得たデータをパソコンに打ち込み、眺めていた。
春に行われた健康診断のデータも呼び起こした。
「ううむ…健康状態に異常なし、敢えて言えば『脂肪過多症』か…」
つまりは、「太っている」以外に、特に異変は見受けられないということだ。
生徒を事情を知らない外部の医者に診せたら、「太りすぎ」という以外の診察はされないということだ。
「訳がわからん…清水先生に集めてもらっているデータも、無駄だろうな…」
現在、清水先生に適当に生徒を捕まえて、健康診断をするように頼んである。
「この娘は、体重が20キロ増し、4割増しか…100キロ超えた娘は悲惨だな…2倍以上か…」
春のデータと照らし合わせ、改めて変貌ぶりに唖然とする祐。
祐が数値を睨んでいると、外から声が聞こえた。
「…ほら……よ! ……しっかり……」
コンコンコン!
「(誰だ?) どうぞ。」
「失礼します。2−Bの、真宮琴音です。それと…ほらっ! 着いたよ、しゃんとして。」
来客は琴音だった。
そして、もうひとり、琴音に手を引かれ生徒が入室した。
「…あ、ども…え…酒川美鈴(さかがわみすず)です。…あの、2−Cの…」
彼女は、酒川美鈴、琴音よりはぽっちゃりしているが、かろうじてふくよかレベルで、今の学園内では細いほうだ。
「あの、先生。話があるんです。さっきの健康診断、それに朝のアナウンス、大口先生とかは気づいてるんですよね? この学園がおかしいって。みんな太ってきているって!」
「え…ああ…うん、男の先生方とかは…変に思っている。」
「やっぱり! よかった、私以外にもいたんだ。私、自分やみんなが食べる量が増えたのに気づいて、急にお肉もついて… それで先生に相談したんです。でも、高木先生も、鈴沢先生も、花井先生も、山城先生も…それに学園長先生まで! でもみんな相手にしてくれなくって。そうか、男の先生だけだったんだ…」
「学園長のところまで!?」と、琴音の行動力に感心する祐。
「私みんなが食べるのを止めようとしたんです! 体重も増えてたし…でも、まったく止めてくれなくて、みんな人が変わってしまったようになって…それで、私と、親友の美鈴だけで一昨日一日絶食して、水だけで過ごしたんです。でも、水だけしか飲んでないのに、太ったんです!」
「え!?」
「その日一日観察してみると、他のみんなは食べるだけじゃなくて、異常に水を飲んでいるってことに気づいたんです。だから、昨日は試しに水も飲まずに我慢していたんです。そしたら、みんながどんどん太っていくのに、私たちは太るのが止まったんです! 水で太るんです!」
「え、でも? 水でしょ?」
「だけど、食べ物だって、いくら食べてもあんな急には太らないでしょ? それに、食べ物はそれぞれ違ってても、みんな水はたっぷり飲むし…共通因子は水なんです。ウチの水って天然ですよね? 水道水じゃなくて。だから、その水に太らせたり、食欲を増やす成分が入っているんじゃないですか?」
琴音は、被害に会いながらも、状況を懸命に分析していたようだ。
水が太らせるとは、にわかに信じがたい。
飲むだけでこんなにもぶくぶく太る物質も思い当たらない。
しかし、僅か数日で学園がデブだらけになってしまうこと自体が、じゅうぶん信じがたいのだ。
それくらいの理由はあるかも知れない。
今まで、食欲の増大と、水の大量摂取は、同じだと考えていたが、琴音の説が正しいとすると、水を飲むことで、食欲が旺盛になり、更に水だけでも、体が太るということだ。
実は、琴音の推測は当たっていた。
9月1日、地震が発生した日、パラソル製薬良薫研究所で爆発事故が起きた。
その事故で、プラントで極秘に製造中だった、もろもろの薬品が外部に流出したのだ。
その薬品は、土壌に染み込み、地下水脈に流れ込んだ。
そして、地下水はセント・ミカエル女子学園に…
その薬品こそ、女性の体に肥満化をもたらす薬品だったのだ。
水だけでも太った様に、超高エネルギー栄養剤も含まれていた。
しかも、流れ出た薬品は製造段階の原液で、成分は完全なまま、濃度は希釈前の高濃度のものであり、濃い原液が少しずつ地下水に流れ込み、数日たった現在でも、じゅうぶん少女を太らせる効果は保たれていた。
「それで、それで…はぁはぁ…あっ…」
「ああ! 大丈夫!?」
琴音は自説を熱弁してる最中、崩れるように座り込んでしまった。
「す、すみません、先生…ずっと絶食しているので…」
「大丈夫かい? よく今まで頑張った。偉いぞ!」
祐は琴音をベッドに寝かすと、棚からチョコレートとビスケットを取り出した。
「ほら、食べな。」
「…でも。」
「水を飲まなきゃ太らないんだろ? このお菓子は、僕が麓で買ってきた奴だ。あ、そうだ、水を…」
「み、水は!!」
「大丈夫…えっと、ここら辺に…あった。ほら、治療用の蒸留水。うまくはないけど、殺菌してあるし、安全だ。」
「…あ、蒸留水…よかった。あの、先生、美鈴にも。」
さっきから一度も会話に入ってこなかった美鈴は、部屋の隅で、指をくわえてた。
「えーっと、琴音ぇ…井戸のお水飲んじゃ駄目かなぁ? …ちょっとでいいから…」
「だめよ! だめ! 絶対に飲んじゃだめよ!」
美鈴はだいぶ、井戸水への執着が強いようだ。
指を加えるのも、お腹が空いているからなのか。
食欲も大きいのかもしれない。
おそらく、一昨日と昨日の絶食生活も、琴音の必死の監督によるものだったのだろう。
「あの、先生、ずっとここにいてもいいですか? 寮はみんな怖くて、それにいつ美鈴が井戸水を飲んじゃうかわからないし。」
「ああ、いいよ。」
「いいって! よかったね、美鈴。いい? 私がいいって言うもの以外、口にしちゃだめだからね。」
こうして、祐の生活に、「まとも」な少女が加わった。