肥満ハザード

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[9月5日・夕]
―保健室

 

「ただいま。わっ! どうしたんですか、ふたりとも!」
「すみませんっ、先生! 私が悪いんです!」
「あ〜あ〜あ〜…いいんだよ、琴音さん。」

 

祐が保健室に帰ると、理科教師清水が体育教師坂本の怪我を治療していた。
ふたりの教師を琴音が心配そうに見つめる。
美鈴はベッドで寝ていた。
坂本は頭を切ったようだ。
シャツに垂れた血の跡がついている。

 

「え? 何があったんです? 状況がつかめないんですけど…」
「いやね、清水先生と一緒に祐先生に健康診断のデータを持ってきたんですが、いらっしゃらなくて、琴音さんがいて、彼女から水の話を聞いたんです。それで、清水先生とポンプ室に行って、水を供給しているポンプを止めようとしたんですよ。」
「そしたら、水道技師の田中さんがいて、水をガバガバ飲んでたんです、他にも生徒がいましたが。彼女たちがポンプから離れないんです、すぐ近くで水を飲んでいるから。そこで彼女たちをムリヤリどけて、ポンプの電源を落としたんですが…」
「田中さんが豹変して…はじめは口論だったんですが、そのうちに田中さん、スパナを持って襲い掛かってきて、それで…」
「いやあ、あれは怖かった。」
「ごめんなさい! ごめんなさい!」
「いやいや、いいんだよ。琴音さんのせいじゃない。」
「…襲われたって…坂本先生って剣道三段でしょう?」
「いやはや、面目ない。試合ならともかく、こっちは素手で、むこうはすごい勢いで殴りかかってきたのでね…一撃くらってしまって。」
「ポンプ室にいた他の生徒たちも襲ってきましてね。逃げ出すので精一杯でしたよ。」
「怖かったでしょう…実は僕も…」

 

祐はズボンの裾をまくり、赤黒いアザを三人に見せた。
そして、見回り時に起きたことを語った。

 

「…そんなことが。」
「はい…彼女たちの欲求を妨害するのは危険です。」
「これもあの水のせいでしょうか…」
「…たぶん。ところで、今は水は?」
「出てます。私たちが消えた後に、またポンプを再起動させたんでしょうな。」
「そういう知能はあるんですよね。」
「彼女たち知性は消えたようで、残ってますよ。会話もしてくれるし。ただ、催眠術にでもかかったみたいに、知性はそのままに、『食うこと』と『飲むこと』に集中しています。それに自分が太ったことも、気づいていたとしても、気にはしていない。」
「発電機を止めるってのも…」
「電気がとまったことに気づいて、また動かしにくるでしょうね…」
「食堂のおばちゃんたちも…何かに憑かれたみたいに、せっせと皆に食事を作り続けてますよ、自分たちだけで食事を独占できるのに。」
「『ああなった』者どうしで、なんか団結心ができるんでしょうか?」
「完全なチームプレイを組まれたら、私たちはもう駄目ですよ。殺され…るかも。」
「……触らぬ神に祟りなしです。ヘタに彼女たちを刺激しないようにしましょう。」
「ええ。」
「はい。」

 

男たちは、『ああなった』女性たちを、放置することにした。
あまりに想像を絶する現象。
彼らは自らの安全を優先することにした。

 

「それでは、他の男の先生にもそう伝えておきます。失礼します。」
「今のうちに自分の食料を確保しておいたほうがいいかもしれませんね。失礼します。」

 

祐が坂本の治療を引き継いで終わらすと、清水と坂本は去っていった。
祐は続けて、自分の脚の治療をした。
琴音が、祐の前に椅子を持ってきて座った。

 

「…先生…」
「なんだ?」
「私…怖いです…みんなが変わってしまって…」
「………ああ」

 

祐はなんと言葉を返せばいいか分からなかった。

 

「私、みんなを、できるだけたくさんの友達を助けようとしたんです。…でも、全然だめで…私、みんなを救えなかった。」
「そんなことで自分を責めるな。誰だって彼女らを救うのは不可能だよ。酒川さんだけでも助けられたならたいしたものじゃないか。」
「…美鈴、美鈴だけはなんとか私の話を聞いてくれて…だいぶ水を飲んでたけど…
たぶん、美鈴は一番の親友だから、声が届いたのかも。」
「きっとそうさ。」
「でも、怖い…先生に会う前、美鈴はだいぶ暴れたんです。『水が欲しい』って。今は寝てるけど、先生がいなかった時も、『水、水』って。」

 

琴音はうつむき、唇を噛んだ。

 

ちょうどその時、ベッドから美鈴の声がした。
眠りから覚めたようだ。

 

「…ん…琴音?…どこぉ?」
「ここにいるよ、美鈴。」
「こと…ね…はぁー…ねぇ、お水…お水飲みたいよ。」
「はい、お水だよ。」

 

琴音は蒸留水のボトルを美鈴に見せた。

 

「違う…はぁ…はひ…これじゃない…ひふうっ…知ってるでしょ?井戸のお水よ…」
「井戸の水はダメ!」
「ううう…やだぁ…ハァハァ…あのお水じゃなきゃ…ふぅーっ、ふぅーっ…お水…お水、お水…」
「このお水よ! このお水なら、いくら飲んでもいいからっ!」
「うううっ…ふひっ、ふはっ…はあぁ、はあぁ…だ…やだ、やだ、やだあああああ!!」

 

美鈴は腕を振り回し、琴音が持っていたボトルを弾き飛ばした。
そして、琴音の体をポカポカ殴りだした。

 

「あああああああ!!!」
「美鈴! しっかりして!!」
「…!?」

 

琴音は、美鈴の両腕を掴んだ。

 

「美鈴、私よ。分かる? あなたの親友、真宮琴音よ! 美鈴、落ち着いて。いい? 落ち着いて。」
「うう? …あ…まみやことね…?」
「そう、落ち着いて。深呼吸しましょう…」

 

美鈴をなだめる琴音。

 

「ふぅー…ふぅー…」
「落ち着いた?」
「はぁはぁ…はっ…はぁー…はぁー…ごめ…琴音、私また…」
「いいのよ。」
「はぁはぁ…ごめん、本当にごめんね…ふぅ…私、また少し寝るね…」
「うん、そうしなさい。」

 

美鈴がまた眠りにつくまで、琴音はベッド脇で美鈴の手を握り続けた。
美鈴が寝息を立てると、また、琴音と祐の会話が再開した。

 

「…あんな感じになるんです。段々間隔が狭くなって…今のは暴れ方がまだマシなほうですけど…」
「中毒性でもあるのかな? 少しぐらい飲ませてみたら?」
「絶対ダメです! 昨日の夜、暴れ方がすごすぎて、ちょっとなめさせたんです。
そしたら、『もっと欲しい、もっと欲しい』って感じになって、余計手がつけられなくなったんです。」
「そうか…」
「私…私…」

 

琴音は、ポロポロと涙を流して泣き出した。

 

「先生…う…美鈴は…さっきみたいになると、私のことも分からなくなっちゃうんです…ううっ… 私、怖い…そのうち、美鈴も水の誘惑に負けちゃうんじゃないかって…えっ…私のことも分からなくなっちゃうんじゃないかって… ぐす…きっと、一度でも…いっく…あれを飲むと…ひっく…えっく…」
「真宮さん…」
「ううっ…ぐすっ…私も…ほんと…は…ツラいんです…ぐずっ…あの水を飲んだ…から… …今だって…ほんとはお腹が空いて空いて仕方がないんです…うぇ…ああ…あの水も飲みたいし…やだ…せんせ…」

 

琴音は祐に抱きついた。そして、祐の胸で泣いた。
無事なように見えた彼女も、実は耐え難い食欲と、あの水への渇望に苦しんでいたのだった。
一度彼女の体内に入った悪魔は、彼女の体を蝕んでいた。
彼女は強い精神力で今までそれに耐えてきた。
おそらくは、親友を守りたい気持ちが彼女を支えているのだろう。
今まで孤独に戦ってきた琴音は、祐の前でやっと自分の苦しみを訴えることができた。

 

「…太るのが怖い…ぐす…絶対に、絶対に太りたくなんてないっ!」

 

琴音は祐の胸でゆっくりと語りだした。

 

―琴音は、小学生の頃は太っていたらしい。
それが、中学時代にダイエットをして痩せ、この学園に高校から入ったと言う。
だが、小学生の頃、太っていたことを理由にいじめにあったことは、今もトラウマとして彼女の心に残っているらしい。
もし、また太ったら―彼女は常に、しかし人知れず、そんなことを考えては恐怖していたことも話してくれた。

 

「友人を救えないという恐怖」
「自分が欲求に負けてしまう恐怖」
そして
「自分がまた忌み嫌うデブになる恐怖」

 

彼女の心は、三つの恐怖に苛まされていた。

 

「デブはいやぁ…デブになりたくない…」

 

琴音は祐に胸の内を吐き出し、ひとしきり泣いた。

 

夜になり、祐は自分の部屋に戻った。
琴音、美鈴も連れて行き、隣の医務室に寝かせることにした。

 

<祐の日記>
9月5日
ここ数日は地震から始まり信じられないことばかりが起こるが、今日はレベルが違う。
まず今日の夜3時に如月絢子さんが訪ねて来た。
…(略)…
あんなにデカいと、少し気持ち悪い。
…(略)…
それにしても彼女はどこに行ったのだろう。

 

朝になっても雨はやまない。
今日は朝から健康診断だった。
…(略)…
あの2−Bの生徒たちがあんなにデブに変わってしまった。
あの後見かけた生徒もいたが、健康診断の時よりも太っていた。
早すぎるだろ。
それは他のクラスの生徒もそうだし、大人の教職員もそうだ。
正直、ウチの女性陣の容姿のレベルは高かったと思う。
この学園で働けることが決まったとき、ラッキーだと思った。
それが今は、デブの学園だ。
元の彼女達のかわいらしさ、美しさを知っている分、悲しくなってくる。
邪な考えを持った俺に神様が天罰を与えたのだろうか?
神様、反省します。
だから助けてください。

 

神様、中庭では私を殺そうとしたんですか?
…(略)…
生徒の心がいよいよ狂ってきた。

 

順番が前後するが、まともな生徒が生き残っていた、真宮琴音と、かなり危ないが、酒川美鈴だ。
…(略)…
琴音は強い女の子だが、その分今ままで苦しんできたのだろう。
琴音と美鈴は俺が絶対に守らなければ。

 

 

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