肥満化ウィルスにご用心

肥満化ウィルスにご用心

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 療養所に入ってからはそんな生活が続いた。
毎朝起きてから寝るまで、ベッドの上で食べ続けるだけの生活。トイレと風呂くらいしか動くこともなくなった。薬によって抑制されてはいるものの、その間にもウィルスは着々と数を増やし続けていた。
ウィルスが繁殖するに従い、ウィルスが必要とする栄養分も増えていった。当然、彼らを満足させ、さらにミキに必要な栄養分を確保するためには、大量の食事が必要となる。
 1週間が経ったころ、ミキの食事の量は入所時のほぼ倍になっていた。
そのころの1回目の体重測定では80kgを越えていた。身長160cmのミキとしては、それは十分な肥満体型だった。胸も一回り大きくなったが、お腹も二の腕も太ももも、それ以上に太くなっていた。あごも立派な二重あごである。
入所時に着ていた下着はとうの昔に着れなくなっており、下着のサイズはすでに2つあがった。

 

 測定の結果を見ても、もうミキは驚かなくなっていた。慣れとは恐ろしいものである。
嫌だと心では思っていても、1ヶ月近くも連続で太り続ければ、もう驚く気力も消えていたのだ。

 

 もう、ミキの心から、太りたくないという願望は消えようとしていた。それよりも、死にたくない、という本心が勝り始めたのだ。
太らなければ、死んでしまう今、ミキには太るしか道が残されていなかった。

 

 着々と増える食事。着々と増える体重。着々と増える腹の肉。
常に食べ続けられる食事、お菓子。常に注ぎ込まれる高栄養な点滴。それらのほぼ全てを脂肪に変え続けるウィルス。

 

 入所1ヶ月を前にして、ミキの体重はついに100kgを突破した。ぽっちゃりでも可愛らしかったミキの体は、お世辞にも可愛いとは言いがたいところまで肥大していた。服のサイズもあれから次々に上がった。
それでも、大量の脂肪で覆われ、大量の食べ物が詰め込まれっぱなしのお腹を隠すには不十分だった。
パンパンに膨れた胃腸を包むブヨブヨの分厚い脂肪。力士のように前に飛び出し、へそがちらりと覗いていた。
首はすでに無く、頬から連なる分厚い脂肪が二重に垂れ下がる。

 

 ベッドの上で、ただただ太り続ける生活。ミキの顔から、次第に生気が失われていった。

 

 ある晴れた日、気分転換にミキは庭に出た。
100kgを越えてからはほとんど歩くことがなかったので、久しぶりの散歩だった。
当然のように、手には菓子の袋を抱えている。
のしのしと、重い足取りで歩く。100kgを越える体重は、すっかり弱りきった足にはかなりの負担で、ちょっと歩くだけでも息が切れた。

 

 庭には、数人の患者がいたが、当然全員肥満体である。
入所時は浮いていたミキだったが、今や完全に同類の体と化していた。

 

「こんにちは」
 ミキは声をかけられた。振り返ると、ベンチに女性が座っていた。
それはミキの2倍以上はありそうな巨体の持ち主で、体重200kgは軽く越えているだろう。
もしかしたら250kg近いかもしれない。患者用に、通常より大きく作られたベンチも
子供サイズに見える。ドラム缶のような足に豪快に腹肉が乗り、スイカほどはありそうな胸がその上に垂れている。腕も、通常の女性の体ほどありそうなサイズだった。首は脂肪に埋もれ、当然、顔も脂肪だらけで、膨らみきった頬が全てのパーツを圧迫していた。
 ところが、その容姿は、どこか可愛さがある、とミキは思った。
パンパンになった顔も、飛び出したお腹も、どことなく愛らしい。
力士も驚くその体に、美しさが含まれていたのだった。
「あ、こんにちは……」
 ほぼ1ヶ月ぶりの会話である。ミキは女性の隣に座った。
女性の巨体と比べると、ミキはまだまだ標準体型に見えてしまう。

 

「見たところ、あなたは1ヶ月ちょっと、ってところかしら?」
 女性が聞いた。
「あっえ、はい。そうです。……この前、100kg越えちゃいました」
「そう……私はもう半年近いわね。240kgだって。笑っちゃうわね」
 抱えた巨大なお腹をさすりながら、女性が言った。
「とんだ災難よね。変なウィルスのせいで、私たちの人生はめちゃくちゃ……」
「そうですね…」
 手にしたチョコレート菓子を食べながら、ミキは同意する。
次から次へとチョコを口へ放り込むミキを見て、女性がしみじみとつぶやく。
「お菓子か……もう1ヶ月食べてないわ」
「えっ……?」
「あなたはまだ大丈夫だけど、あるところまでウィルスが繁殖すると、もう普通の食事や点滴では、ウィルスの消費に追いつけなくなるの。だから、超高カロリーな特別食に変えなければいけないの」
 女性は、右手に持ったカップを見せた。
一見すると普通のジュースだが、実は一口で何百カロリーもある、
ウィルス患者のためだけにつくられた特別食だった。
「1時間もこれを飲まなければ、貧血で倒れるわ。2,3時間も放って置けば栄養失調で死んでしまう。これでもまだ足りないのよ。ほら、この腕見て」

 女性は右腕を見せた。太い管が挿入され、反対側の端は大きな点滴器に繋がっていた。
「これも、あなたがしてるような点滴とは違う、さらに特別な点滴よ。
これくらいしないと、生きていられないの。こんな体してるのにね。馬鹿みたい」

 

 この話はミキに初耳だった。そういえば、ここに来てからというもの、病気の進行や治療方法について、詳しく解説してもらったことが無かった。
数ヶ月先には、自分もこの女性のように、普通の食事もできないまま、ただブクブクと太るだけの体になってしまうのか、と思うと、ミキは泣きたくなった。

 

 しばらく、ミキは女性と喋っていた。互いの病気以前の生活の話を中心に、話に花が咲いた。

 

 女性はユリといった。現在23歳で、エリート私大を卒業したあと、有名企業に就職も決まっていたそうだ。ところが、そんな折に発症してしまい、全て白紙になったという。
 ユリは、以前の姿の写真をミキに見せた。
「…………っ!」
 思わずミキが絶句するような美人が笑っていた。見るからに育ちの良いお嬢様という感じで、それでいて純粋で清楚さを十二分に醸し出していた。
アニメや漫画の中に出てくるような、誰もが認める絶世の美人だった。
「今じゃ見る影もなくなっちゃったけどね……」
ユリはつぶやいた。
 そんなことない、とミキは思った。250kg近い超肥満体にもかかわらず、ユリはどことなく美人であった。美女というものは、こんなに太っても美女なのだ、と。

 

「ユリさんは奇麗ですよ! 私なんか、自分で言うのもなんだけど、周りからかわいいっていわれてたのに、今じゃブクブクで、鏡で見るたびに、あまりの不細工っぷりに泣きたくなるくらいなのに、なのにユリさんは、そんなに太ってても、なんか、可愛らしいし、その、なんていうか、太り方が美しいっていうか……よくわかんないけど、とにかく、ユリさんは、私なんかより全然大丈夫です!」

 

 いつの間にかミキは、自分でもわけのわからない言葉を叫んでいた。
「あっ、その……ごめんなさい、私、失礼なことを…」
 急に恥ずかしくなって、ミキはうつむいた。

 

「ふふ、ありがとう」
 ユリは笑った。写真の女性と全く同じ笑顔に見えた。

 

 ユリは、ミキがまだ知らなかった、この病気についての詳しい話をしてくれた。

 

 この病気は、治療法が確立されていないこと。施設に入ったのは、太り続けることで向けられる世間の冷たい視線を回避し、ストレスを軽減させるのがほとんどの目的であること。
このどれもミキにとっては衝撃的なものばかりだったが、もっともミキがショックを受けたのは、この病気による“発作”の存在だった。

 

「ウィルスが増殖する過程で、ある時、その数が一気に膨れ上がることがあるの。“インフレ”と言って、原因は全く不明なんだけど、ある日突然、猛烈な数でウィルスが増え始め、手がつけられなくなる。そうなると、もう永遠と死ぬまで栄養を取り続け、太り続けるしかないの。それが、このウィルスで一番末期で、一番恐ろしい症状、発作よ」

 

 発作は、ウィルス患者なら誰にでも、いつでも起こる可能性があると、ユリは付け加えた。
キシニコウィルス感染直後、すぐに発作を起こした患者もいるそうだ。
一度発作を起こすと、もう助からなくなる……
ウィルス患者は、常に襲ってくる、いつ発作が起こるかわからない恐怖と戦わなければならないのだ。ウィルスの影響で合併症が少ないこの病気で、ほとんど唯一の死因がその発作だという。つまり、発作の発症が全てのタイムリミットということになる。

 

 ミキは不安で堪らなかったが、もうどうしようもない、と、諦めもついた。
今はただ、しっかり食事をして餓死しないようにするのが精一杯だった。

 

 ミキとユリは それから毎日のように中庭で会い、話に興じた。
 健康だった頃の生活の話、学校の話、アイドルの話、好きなバンドやスポーツの話。
年頃の近い若い女性同士というだけあって、話に花が咲いた。
 普段はベッドでただ食事を続けるだけの生活で、喜びも希望もまったく無い世界だが、こうして2人で話している間は、なぜか全て忘れることが出来た。

 

 

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