792氏その8
こうして一ヶ月も経つと、彩香はすっかりこの部屋の暮らしに適応していた。
食べたいだけ食べ、排泄もその場から動かずに行う。
眠くなったらベッドで寝て、また食べるだけの生活…
しかし、以前の飢えに怯える生活に比べればはるかにマシだ。
今のところ、食料の支給は止まる様子は無い。
その証拠に、今は深夜2時だというのに目を覚ました自分は、先程流れてきたホカホカのカツカレーを食べているのだ。
(お父様やお母様は今頃どうしてるのかしら…)
ふいにそんな事を思い出す。
つい数ヶ月前の満ち足りた暮らしがまるで大昔の事のようだ。
今の自分は太らされるだけの惨めな生活を送っている…
まさか、自分の娘がむしゃむしゃと深夜にカツカレーを食べているとは思うまい。
ここに連れて来られた時に聞いた「事が済めば家に帰す」という学の言葉も、
もう信じる事はできない。
それに、自分が犠牲になると言った時…
両親は悲しむポーズは取っていたが、確実に内心喜んでいた。
娘より、家の破滅の回避をとったのだろう。
自分には上に二人の兄がいる為、後継者には困らない。
所詮遅かれ早かれ政略結婚の道具にでもされていたはずだ。
それがほんの少しだけ、早まっただけの事…
(そうか… 私には、もう帰る処も無いのよね…)
そう思うストレスが、より食欲を加速させていった。
それからまた二ヶ月の時間が経過したある日。
「彩香さん、入浴の時間よ」
ノックの音とともに、扉の向こうで三田村の声が聞こえる。
「ムシャムシャ… ゴクン、は、はいっ!」
唐揚げをぱくついていた彩香は、慌ててそれを飲み込むとそう返事をする。
今日は二日に一度の入浴の日だ。
つい時間も忘れて食べる事に夢中になってしまった。
もっとも、この部屋ではそれしかする事が無いのだが。
立ち上がった彩香は三田村に連れられ、バスルームに向かう。
ついこの前まで細身だった少女は、豊満な… いや、豊満すぎる肉体に変貌した。
3ヶ月が経過し、彩香の身体は見違える程に変化している。
ゆったりとしたワンピースタイプの部屋着の上からでも、段になった腹部が目立つ。
バストのサイズは小ぶりでも形の良かった以前に比べると、巨乳と呼べるくらいになっている。
もっとも、それと同じくお腹もでっぷりと出ているのだが。
もう立派な肥満体と言っても差支えないだろう。
彼女はこの三ヶ月で20kg以上体重が増加し、今や77kgにまでなっていた。
以前は明らかに三田村より華奢だった体型は、一回り以上太く、大きくなってしまった。
栄養を必要以上に吸収するように調教された身体に、壊れてしまった食欲。
更に食べる事と寝る事しかできないこの環境は、がっちりと噛み合い彩香の身体に脂肪をこびりつかせていく。
入浴の度に、太っていく自分を嫌でも確認する…
着替えを行う部屋には、巨大な全身鏡が置かれているためだ。
裸になると、醜い贅肉がいやでも存在を主張する。まだ、顔にはうっすらと肉が付いた程度だが、体の下に行くにつれ肥満の度合が徐々に色濃くなっていくようだ。
立っていても段差がついているようなだらしないお腹。
お尻には下着のゴムが食い込み、贅肉がのっかっている。
太ももはこんもりと太くなり、足を閉じれば互いが触れ合う。
(…こんなに太っちゃうなんて… 恥ずかしいよぉ…)
まだ18の彼女にとって、こんな贅肉でぶよぶよの身体は必要以上の嫌悪感を自身に駆り立ててゆく存在でしかない。だが、今や太ってしまう嫌悪感よりも、食欲を満たす満足感が勝りつつある事に自分でも気付いている彩香には、もうどうする事もできなかった…
入浴を終えた彩香を部屋に戻すと、三田村は学の元に向かう。
今後の方針を話し合う為だ。
「いいペースです。このまま、この生活を続ければ良いかと思いますが」
彩香の体重増加のグラフを見ながら、三田村は満足げだ。
だが、横に立つ学の表情は曇っている。
「何か気になる点でもありましたか?」
「うーん、このままだと、たぶん彼女は近いうちに壊れてしまう。精神的にも肉体的にもね」
「…たしかに、ここ半年の生活は正直言って過酷ですね…」
こんな荒んだ生活を続けていれば、精神がまいってしまうか、肉体的に壊れてしまうのも時間の問題だろう。
しばらく考え込んだ学はいい事を思いついた、とばかりにポンと手を叩き、
三田村にこう告げる。
「ここからは、僕と三田村さんでみっちり鍛えてあげようじゃないか」
次の日の朝… 彩香はノックの音に目を覚ました。
「彩香さん、おはよう。少し早いけど起きてくれるかしら」
外からは三田村の声がする。時計を見るとまだ朝の5時だ。
「…う… 何でしょうか…?」
眠たい目をこすりながら、返事をすると、それを待っていたかのようにドアが開いた。
「今日から、新しい部屋に移動してもらうわ」
その言葉を聞いた瞬間、一瞬で眠気が吹き飛ぶ。
今度はどんな酷い部屋に入れられるのだろうという不安が、彩香の中にむくむくと湧きあがっていく。
はじめはいつ食べ物が来るか分からない部屋、
次はベッドとトイレのみの食べる事と寝る事以外許されない部屋…
一体、次は自分はどうなってしまうのだろう…
三田村の案内で部屋に向かう途中、嫌でもそんな事ばかりを考えてしまう。
「この部屋が彩香さんの新しい部屋よ。自由に使ってちょうだい」
不安たっぷりに新しい部屋に入った彩香は、目を丸くした。
広くて明るい、上等で趣味のいい家具や家電が並んだ部屋は一流ホテルにも勝るとも劣らない。
鍵こそかかっているようだが窓も大きく、外から太陽の光をふんだんに取り込んでいる。
今までの酷い待遇がまるで嘘のようだ。
「鍵ももうかけないわ。屋敷の中なら、自由に出歩いても構わないから」
普通なら別に喜ぶまでもない当然の事なのだが、半年間自由を奪われていた彩香にはたまらなく嬉しい。
「気に入ってもらえたかな? 今まで酷い扱いをしてしまってゴメンね」
そう言いながら、学も部屋に入って来る。
「あ… ありがとうございます…」
今までの仕打ちを考えれば複雑な気分だが、一応感謝の言葉を伝えた。
ここで下手に学の機嫌を損ねて、待遇をまた悪くするわけにはいかない。
「さて、彩香さん、朝食の前にちょっと運動をしようね」
「う、運動、ですか?」
学の言葉に、思わず気の抜けた声を出して聞き返してしまった彩香は、自分の耳を疑った。
今まで、自分は、おそらく『効率よく太らされるために』運動を制限されてきた。最初の部屋では空腹でそれどころではなかったし、二番目の部屋ではそもそもそんなスペースすら部屋に無かった。
お陰で、体重はかなり増加している。
今頃になって運動なんて、一体どういう事なのだろう…
「これに着替えて、トレーニングルームへ来るように」と言われた彩香は仕方なく着替える事にする。渡されたのは臙脂色の、いかにも田舎な感じの上下のジャージだった。
渡されたジャージのタグを見るとLLサイズと書いてある。
ここに来る前は、Mサイズだったというのに…
しかも、それでも実際に着てみると若干窮屈だ。
あらためて、自分が太ってしまった事をまざまざと痛感する。
ジャージの腰のゴムはお腹にめり込み、ぽっこりと出たお腹は布地の上からでもよく分かる。
彩香からは見えないが、お尻の辺りは布が引き伸ばされ、更に下着のラインもはっきりと見えてしまい相当に悲惨なことになっている。
(…やっぱり太ってるなぁ… あれだけ食べれば当然だけど…)
ジャージの上から自分の贅肉をつまむと、とても柔らかくてまるでマシュマロのようだ。
(それにしても… 運動って… どういう事なんだろう)
そういぶかしげに思いながら、案内されるままに彩香はトレーニングルームへ向かった。
トレーニングルームには、エアロバイクやルームランナー、ベンチプレスなどの器材がずらりと並んでいた。
「さて、じゃあ準備体操も兼ねて、最初はウォーキングといこうね」
学に言われるままルームランナーの上に乗る彩香。
学がスイッチを入れると、足元が動き始める。
大したスピードではない。
いくら太ってしまったとはいえ、これくらいなら… と彩香はたかをくくっていた。
だが…
「はぁーっ、ひぃーっ」
情けない声が部屋に響く。もちろんこれは彩香の声だ。
少し歩いただけなのに、息が切れ、汗がみるみると滲み出てくる。
全身に付いた脂肪が動きを邪魔し、その重みが疲労を促進させていく。
ランニングマシーンが止まる頃には、既に彩香はへとへとになっていた。
まだ10分程度しか運動してないにも関わらず…だ。
ここ半年間の生活は、彩香に醜い贅肉をたっぷり付けただけでなく、
若々しい体力までも奪い去っていた。
「じゃあ次はエアロバイクだね」
無情な程にあっけらかんとした学の声が忌々しい。
「ハァッ、ハァッ、ちょ、ちょっと待って下さい…」
そう言いながら、その場にへたり込んでがぶがぶとスポーツドリンクを飲む彩香。
臙脂色のジャージは既に多量の汗で色濃く染まり、座り込んだ事でだらしなく下半身の脂肪がむにゅっと広がる。息を整えるまでに、かなり時間がかかってしまう。
意外な事に、学は落ち着くまで次のメニューは待ってくれるという。
どういう風の吹き回しなんだろう、と思ったが不幸中の幸いだ。
やっとの事で息を整え、エアロバイクにまたがった途端
ぎゅるるるるるっ…
その場に彩香の特大の腹の虫が鳴り響く。
恥ずかしさと情けなさから、運動で紅潮した彩香の顔は更に赤くなった。
「…あの、お腹が、空きました…」
絞り出すような声で、そう学に聞いてみる。
この際、恥も外聞も無い。もう空腹は限界に近づいているのだ。
昨日までなら、既にもうたらふく食事を食べている時間である。
「まだ始めたばかりだよ? 今日のノルマが終われば、たっぷりと御飯をあげるからね」
何て事だろう。今の自分は目の前にニンジンをぶら下げられた馬のようだ…
駄々をこねても無駄なのは分かりきっているので、空腹に耐えつつエアロバイクを黙々とこぐ。
「…はぁっ、はぁっ。あの、一つ、質問してもいいですか…? 太らせると言っていたのに、どうしてこんな運動をさせるのですか?」
運動の最中、どうしても気になるので学に問いかけてみる彩香。
「あんな狭い部屋に、彩香さんのような女性をいつまでも閉じ込めておくのも気の毒だからね。さぁ、もう少しだ。頑張って」
結局、上手くはぐらかされてしまった。
一体狙いは何なのだろう、という疑問がふつふつと沸くが、疲労と空腹がそれをたちまち打ち消してしまう。
それからも彩香にとっては過酷なトレーニングは続き… 結局終わったのは昼前になろうかという時間だった。
「お疲れ様、部屋に戻っていいよ。食事はもう用意させてるからね」
「は、はいっ、では失礼します…」
彩香は学の言葉を聞くと、汗だくの重たい身体を引きずりながらトレーニングルームからすぐさま出て行った。
やっと、念願の食事にありつけるという喜びは、疲れ切った身体もどこか軽快にさせる。
部屋に戻るとテーブルの上には美味しそうな料理が沢山並んでいる。
朝食と昼食を兼ねているのか、量は相当なものだ。
彩香はおもむろにそれを掴み、そのまま口に運ぶ。
空腹と運動の疲れも相まって、味が口から全身に廻り、染み込んでいくようだ。
五臓六腑に染みわたるとはまさにこの事だろう。
何て美味しいんだろう…
恍惚の表情を浮かべる彩香だったが、今は味の余韻に浸るほど生易しい状態ではない。
ズズーッ! モグモグ、クチャクチャ…
すぐさま次の、次の、次の… 食べ物に夢中で手を伸ばしてゆく。
凄まじい勢いで食事をガツガツと食べる彩香に、もはや半年前の可憐なお嬢様の面影は微塵も無い。
あっという間に食事をたいらげる。
これだけで、1日分の女性の平均摂取カロリーは既に大きく超えてしまっているだろう。
「ふわぁあ〜」
しばらくすると、大きな欠伸とともに猛烈な睡魔が襲ってきた。
久し振りにあれだけ運動し、なおかつ食後では眠気が来るのも無理もない…
そう思った彩香は、そのままベッドに倒れ込むと、汗ばんだジャージも着替えずに
泥のように眠ってしまった。
「フフ、効果はてきめんのようだね」
モニター室で優雅に紅茶を飲む学は、彩香の様子を見て満足そうに呟く。
「えぇ、微量ながら睡眠導入剤を仕込んであります。夕方には彼女を起こして、もう一度たっぷりと食事を与えます」
「朝早くから運動して、疲れ切ったところで食事と昼寝、夕方起きたらまた食事で睡眠… 理想的な生活だね。まさか、あんなお嬢様が… 相撲部屋の力士と同じ生活をするなんてね」
三田村の報告に頷きながら、得意気に喋る学はいつになく上機嫌だった。