394氏その1
#東方Projectシリーズ
そこは暗い。窓が少なく全体的に薄暗い紅魔館の中でも格段に暗い。地下には窓がないからだ。
所狭しと巨大な書棚が立ち並ぶ様はどことなく墓場のようにも見える。
「はぁ… はぁ…っ はぁ…」
重厚な机、堆く積み上げられた編集途中の魔導書、走り書きのメモ…
雑然とした作業場の陰にパチュリーは居た。
「はぁ… はぁ… うぅぅ…」
遠くで紅い閃光がほとばしる。フランドールのスペルだ。
これだけ離れていても強力な魔力の余波を感じる。
恐らく今の一撃で使い魔は戦闘不能になっただろう。
普段は小生意気な使い魔だったが信頼はしていた。
彼女はもうダメだと判断するや否や自分が囮になると言ってフランドールに突っ込んで行った。
小悪魔ごときが吸血鬼に敵うはずなどないのに。私は打たれ強いから大丈夫だと言って笑っていた。
せめて命だけは無事であることを祈る。
「あぁ… そろそろ美鈴が来る頃合いかしら…。それとも私が妹様に見つかるのが先かしら…。ダメだわ… とてもじゃないけど美鈴が足止めできるような相手じゃ……。
うぅん… 私と二人かがりでも… どうなるか…… 私とレミィの二人なら或いは…」
声に出さぬよう口の中で呟く。何か考えていないと恐怖に呑み込まれてしまいそうだ。
レミィ(レミリアの愛称である)はあんな相手にたった一人で立ち向かったというのか。
自分は狂気に彩られたフランドールの発する気を浴びただけで逃げ出したくなったというのに。
「さて… どうしたものかしらね…。ここに隠れていてもいずれは見つかってしまう…。まだ動けるうちに何か仕掛けなくては……」
数日前まではひょろひょろの不健康な体型と全体的なカラーリングから“紫モヤシ”などと
からかわれていたパチュリーだが、今やモヤシというよりはカブに近い体型だった。
大きく前に張り出した腹が、ゆったりとした寝間着のような衣服に包まれている。
服の造りのせいで一見は妊婦のようだったが、もちろんおめでたなどではない。
そこに詰まっているのはみっともない脂肪の塊だ。
パチュリーの百年余りの人生において未曾有の感触がそこにあった。
まだ動けるとは言ったものの、一歩一歩が重たくて心が挫けそうになる。
「…これ以上攻撃することは無理だとしても、せめて危険回避だけは…………っ!?」
何かが来る。この気配は… フランドールではないようだ。
ということは美鈴か。しかし、感じ取れた気は二人分。
向こうもフランドールを警戒して気配を殺しているのかうまく気が読み取れない。
美鈴と、もう一人は誰だ?
「私だぜ」
「ひぇ…!? ま、魔理沙…っ!?」
急に机の向こうから顔を出した魔理沙にパチュリーは思わず小さな悲鳴を上げた。
魔理沙の向こうには注意深く辺りの様子を窺いながらやって来る美鈴の姿。
美鈴はパチュリーが無事なのを見ると心底安心した表情でため息をついた。
「あぁ、良かったぁ。大丈夫でしたか、パチュリー様。…それにしても魔理沙の言う通りだったわね。本当にここに隠れてたんだ」
「魔法使いは暗くて狭い所が好き、何となくそんな気がしただけだぜ。ちなみに私はそうでもない」
「ちょ… ちょっと、人をネズミか何かみたいに言わないで。そんなことより何で魔理沙がいるのよ…… ……こんな情けない姿をよりにもよって魔理沙に見られるなんて… あぁもう」
頬が赤らんだのは緊張の糸が緩んだせいか。パチュリーは小さく毒づいた。
それは本当に小さな声だったが美鈴にはしっかり聞こえていたようで、
ニヤニヤと笑みを浮かべながら
「えぇ、えぇ。好きな子にはこんな太っちょな姿は見られたくないですよねー」
などと勝手に頷いている。
パチュリーの色の抜けた白い肌がみるみる朱に染まる。
普段ならこんなつまらない揶揄など聞き流せるのに、肥満弾の催淫効果のせいか
やけに胸が高鳴って鬱陶しい。
「バカ… そんなんじゃないわよ。妹様から隠れてうずくまっていたなんて魔理沙に知られたら… あっという間に言い触らされるでしょう… だから…」
「えぇ、えぇ。そういうことにしておきましょう」
「あのねぇ…!」
「全く、緊張感のない連中だぜ。妹君がどんどん向かって来てるってのに」
魔理沙の一言にじゃれあっていた二人の表情が変わる。
確かに緊張感を欠いていた。…どうも魔理沙には場の空気を賑やかにする力があるように思える。
だが、今のじゃれあいはパチュリーにとって先程までの恐怖心を拭うのに効果的だった。
いつもの調子が戻ってくるのが分かる。
「パチュリぃー? どーこかなぁー???」
来た。
かくれんぼでもしているような気軽さでフランドールがパチュリーを呼ぶ。
ここまで接近されているのだ。向こうは隠れ場所などとうに気づいているはずだ。
「あわわ…。パチュリー様、何か良い作戦はありません? こいつ、パワーで押し切ることしか考えてなくって…」
「弾幕はパワー。吹き飛ばせば勝ちは勝ちだぜ。大勝利だ」
パチュリーは考える。自分一人では逃げることも難しかった。
美鈴と二人では足止めなどろくにできないと思った。
だが、ここには自分と美鈴と、魔理沙がいる。
うまくいけばフランドールを止められるかもしれない。
大図書館とまで称されるその頭脳は一瞬で活路を見出した。
ハッと顔を上げ、魔理沙の金の瞳を真っ直ぐ見据える。
「魔理沙、貴女… 私の術をラーニングしていたわね」
「ん? あぁ、ノンディレクショナルレーザーか。ちょっと借りただけだぜ」
手癖の悪い魔理沙は書物だけでなく他人のショットやスペルまで盗んでしまう。
パチュリーからはレーザー技を拝借していた。
「あの術は単発では大した威力ではないけど、二人の術者が異なる術体系で同時に発動したとしたら… 相互干渉で威力が上がる可能性があるわ。それを妹様を挟んで低空・上空から照射するのよ。あくまでも可能性の話であって… 正直なところ博打に近いけどね。今の妹様相手に正攻法で勝つのは難しいから」
「面白い。私は乗ったぜ。もし通用しなければ、その時こそ純粋にパワーで押し切るだけだ」
「パチュリー様、私はどうしたら…」
「言い方は悪いけど貴女は囮ね。美鈴のスペルは一撃あたりの威力が低い代わりに、色鮮やかな弾のバラ撒きで敵を惑わす効果が強みだわ。美鈴自身の身のこなしも軽いしね。うまく動き回って妹様が私たちのレーザーの照準から外れないように誘導して頂戴」
思わぬ大役に美鈴は固い表情で何度も頷いた。
しかし、細かい打ち合わせをする暇はない。
冷たい石の床にフランドールの影がぬぅっと伸び、次の瞬間には爆破音が轟いて
周囲の本棚が傾いてくる!
「きゃはははは! 見ぃーつけたぁぁぁ!!!! あれぇー? 魔理沙も私と遊んでくれるのかなぁーっ?」
「来たぜ! 散開だ!」
魔理沙が合図するまでもなく、パチュリーも美鈴も降り注ぐ書物の豪雨から逃れて散らばっていた。
パチュリーが低空飛行で間合いを取り始めたのを確認した魔理沙は素早く上空へ向かう。
その手にはいつの間に取り出したのか、魔法陣を記した札の束が握られていた。
それをバラ撒きながら上昇し、フランドールの目前… 十数メートルのところで叫ぶ。
「来い、コールドインフェルノ!!」
途端、ただの紙切れだった札は魔力を受けて燃え上がり、青い光を放つ魔法陣へと形を変えた。
札から生まれた魔法陣は魔理沙の周囲を守るように浮かんでいる。
その間にもフランドールとの距離はぐんぐん縮まるが魔理沙は速度を落とさない。
真っ直ぐ突っ込んで行く。
そして、衝突寸前まで一気に近づいたと思うと再び叫んだ。
「待機っ!」
するとそれまで魔理沙のそばを飛んでいた魔法陣はその場で…
フランドールの目の前でピタリと動きを止めた。
魔理沙はというとアクロバティックな箒捌きでフランドールをギリギリで避け、
その上空へ回り込んでいた。
「ファイア!!!!!」
更に畳みかけるように三度目の叫び。合図を受けた魔法陣が青い炎を勢い良く吹き出す!
あまりに唐突で意表を突いた攻撃に流石のフランドールも回避が間に合わない。
もろにダメージを喰らってよろめいた。
「あれは… レミリアお嬢様の使い魔に似てるような…」
「即席の使い魔ってところね。単純な命令しか受け付けないけどちょっとした護衛代わりに使う分には問題ないわ。…十中八九、レミィの使い魔からヒントを得て真似たんでしょう。あの娘、どこまで貪欲なのかしら」
だが、彼女のその貪欲さが今の自分たちを救う鍵には違いない。
あのフランドールに隙を作るなんて人間の分際でやるものだ。
このチャンスを逃す手はない!