334氏その2
「そこのキミ、アイドルになってみないかい?」
町を歩いていると、声をかけられた。
「わ、わたし?」
寄ってきたのは、サングラスにアロハシャツの怪しさ満点のオヤジである。
「そう、そこのキミ。」
大抵こういう輩に絡むとろくなことにはならない。
私は足早に立ち去ろうとする。
「すみません、急いでいるんで。」
「ちょっとだけでいいから、話だけでも聞いてくれないか。」
オヤジはしつこかった。
「キミには他の娘と違う光るモノをピピッと感じたんだよ。」
「光る・・もの?」
私はそのフレーズに興味をひかれた。
「そう、整った顔立ちに抜群のスタイル。
多くの娘が歩いている中でキミだけに声をかけたのは、
キミにアイドルとしての天賦の才能を感じたからだよ。」
そこまでおだてられては悪い気はしない。
私は少しだけ話を聞いてみることにした。
まあ、危なくなれば逃げればいいだけだし。
「FAT芸能事務所 四方三郎?」
受け取った名刺にはそう書かれていた。
繁華街の喫茶店。
テーブルをはさんで、私はさっきのオヤジと向かいあって座っている。
「そう、私はその事務所の社長。といっても、社員は私一人しかいないんだけどね。」
「ふ〜ん・・・」
「それで、だ。キミを私の事務所からデビューさせてくれないか?費用は全額こちらもちだ。」
ますます怪しい。
「キミなら必ずトップアイドルになれる。というより私がしてみせる。
頼む、デビューさせてくれ。キミがゲットできないと事務所の経営が苦しいんだ。」
四方は手を合わせて頭を下げた。
そこまで言われては断りづらい。
それに、中年の男が18そこそこの小娘に頭を下げるというのも、なんだか切ない光景だ。
必死な四方に同情心が湧くと同時に、その飾らない態度に少し好感をもった。
「まさか、私をだましてどこかに売り飛ばそうとしてるんじゃ・・」
四方はぶんぶんと頭を振った。
「そんなことは決してない。契約書にも書いているが、ここに書いてある以外のことが起きれば
違約金を払うし、いつでも事務所を脱退してかまわない。」
そういって、四方はA4サイズの紙をテーブルの上に出した。
置かれた書面を読んでいったが、怪しいことは書かれていない。
「そこまでいうなら・・」
「おお、そうか。ありがとう。」
四方は私の手を握って喜んだ。
私は指示された欄にサインをした。
(まあ、現役高校生でアイドルっていうのも悪くないかもね。)
今、考えるとここで踏みとどまるべきだったのだが。
「すごいな、小尾里!スカウトされたんだって?」
クラスの男子達が質問した。
数日後。私が街中でスカウトされたという噂は学校中に広がっていた。
「うん。」
「すげえよな〜、やっぱ、学校一の美人だってことはあるよな。」
少し自慢なのだけれど、私は学校の男子にかなり人気がある。
おっとりした雰囲気にも関わらず、グラビアアイドル顔負けの爆乳をもっているのが
彼らの保護欲(および性欲)を刺激するらしい。
おかげでちやほやされるので、悪い気はしない。
むしろ、近頃はこのバストを活かして賛美を得るのが快感になっている。
「で、いつデビューすんの?」
「まだデビューするって決まったわけじゃないよ。
1カ月後のオーディションに合格しないとだめらしいから。」
「へぇ〜、もし受かったらサインくれよ。」
「今のうちに彼女になっちゃおっかな〜。」
男子達は勝手なことを口走る。
「もう、好き勝手なこと言って。」
胸を寄せ上げ谷間を強調する。
「でも・・・ありがとう、ね。」
騒いでいた男子の顔が一斉に赤くなる。
「お・・おう、応援してるぜ。」
何人かは前かがみになりながら席を後にした。
(さて、と)
騒がしい彼らが去って行ったあと、私は机の中から錠剤を取り出した。
「毎日一回、昼食後にご使用ください・・・か。」
四方さんから渡されたサプリメントだ。
なんでも、オーディションに合格する体になるために、必要な有効成分を含んでいるらしい。
(DHAとかそんなのかな?)
四方さんに色々と説明を受けたのだが、化学にうとい私はよく理解できなかった。
とりあえず、お茶を口に含み、錠剤を一口飲みこんだ。
その夜。
家に帰ってシャワーを浴びている時に、ふと鏡をみるとお腹がぽっこりでているのに気がついた。
(あれ、ちょっと太ったかな・・・?)
お腹をつまむと、むにむにとやわらかい脂肪がつまめた。
体を曲げると、薄い段ができる。
確か、昨日はお腹はこんなに出ていなかった。
昨日クラスの男子にアイスをおごらせたのが原因かなあ。
もっとも、アイス1本だけで太るとも思えないけれど。
(とにかく、これからアイドルになるんだから食事には気をつけないとね。)
少し崩れた体のラインを気にしつつも、私は1カ月後のオーディションに向けて意気込んだ。
翌朝。
ベッドから起き上がると、なんとなく体が重い。
なんだか全身に着ぐるみを着ているみたいだ。
(疲れが抜けてないのかな・・)
オヤジ臭いことを考えながら、ミシミシと階段を下りる。
顔を洗うために洗面所に入り、鏡を見る。
鏡に写っていたのはぽちゃっとした顔のパジャマ姿の美女。
タレ目と相まってとても優しそうな印象を与える。
一瞬誰だか分らなかった。
が、事態を飲み込むと私の血の気が引いた。
いうまでもなく彼女は私だ。
「うそ・・」
俗に言う太ったという状況だろうか。
それにしても一晩でこの太り方はありえない。
顔がぱんぱんになっているではないか。
(この太り方じゃ体も・・)
あわててパジャマをたくしあげた。
目に飛び込んできたのは、やわらかそうな絹のような白いお肉。
パジャマからあふれ出しそうになりながら、なおもハリを保つそれは
自慢の胸の変わり果てた姿だった。
ブラのサイズでいうとアルファベットを一回りしてしまうんじゃないかと思われるほど
大きくなって。まさに牛サイズであった。
自分の体の一部と思えないほどのそのド迫力に、自然と手が伸び、自らの乳を揺する。
たっぷん、たっぷんとミルクがでそうな音がしそうなほど元気よく弾む。
「あ・・あ・・」
大きな衝撃と少しの快感がないまぜになった気持ちでお腹にも手を伸ばすと、
胸ほどではないが贅肉がついているのが分かった。つまむと、百貨辞書ほどの厚さ。
また、どうやら下着が肉に喰い込んでいるせいで、衣服とお腹が擦れて少し痛い。
つぎに、お尻にも手を伸ばす。
触ってみると、こちらはぶるんとしたしまりのない感触。
他の部位同様、しっかりと大きくなっているようだ。
お尻を鏡に向けて状況を確認してみると、鏡面を埋めつくさんばかりの肌色の塊が見えた。
パンツをぱつんぱつんにするほど肥大したそれは、
昨晩までエロチックなヒップと呼ばれていた私の尻肉だった。
変わり果てた私の姿。
まだ夢の中(それもとびきりの悪夢)にいるのではないかと頬をつねってみたが、
もっちりとした頬肉がつまめただけだった。
絶望的な気持ちで体重計に乗ってみると、指した目盛は85kg。
長身の私からすれば、ぽっちゃりとデブの境目だろう。
しかし、生まれてから肥満とは無縁だった私にとって、その数字はかなりショックなわけで。
「嘘・・・どうして・・こんなのありえないよ。」
太った原因も分からず、ただただ涙がこみ上げてくる。
その後、私は何とか気持ちを奮い立たせ、学校に行くために制服を着ようとした。
しかし、今まで細身だった私用の制服に今のデブった体が入るはずもなく。
サランラップで腹肉や尻肉を巻き込んで押さえつけてようやく着ることができた。
なんだかハムになった気分。
え、胸はどうしたのかって?
おっぱい好きな男子達に称賛を浴びるために、そのままにしておいた。
当然、リアル牛サイズのバストが入るブラがあるわけないので生。
そのため、胸のあたりだけ制服が裂けそうなほど肉が盛り上がり、
先端にはこんもりとした乳首が浮き上がっている。
そんな状態で学校に出かけたのだが、歩くと乳房がたゆんたゆんと揺れ、
乳首が上着の生地とすれてむずがゆかった。
おまけに汗が噴き出して、ラップに包まれた肉が蒸れ、大層不便な思いをした。
校門に着いたころには制服にはぐっしょりと汗染みがついていた。
さて、ようやく学校に着いた。
ここからが勝負である。
昨日あったばかりのクラスメート相手では、やはり多少の変化は気付くものだし、
どうしてこうなったのか説明しなければならない。
原因は私でも分からないというのに。
不安な気持ちを悟られないように、努めて明るくふるまって教室に入った。
「おはよう。」
「ああ、おは・・」
クラスメート達が言葉を切らす。もちろんその原因は一晩で膨れ上がった私の胸のせいに違いない。
「どうしたんだ、小尾里。」
「すっげー。何カップあるんだ?」
男子生徒達がひそひそと話す。
「小尾里さん、どうしたの?何か悪いものでも食べた?」
とりわけ仲の良い女友達が駆け寄ってきて、私の顔と胸を交互にみながら言った。
「え、えーと、昨日の夜、水を飲み過ぎちゃって。水太り。」
かなり苦しいいいわけである。
「そ、そうなの?一晩でこんなになるものなの?」
彼女はたぷたぷと私の胸を持ち上げる。
「う・・・うん。」
とまどいながら私が答えると彼女はいぶかしげに自分の席に戻って行った。
キーンコーンカーンコーン
授業開始のチャイムが鳴り、担任の女の先生が入ってきた。
「おーし、ホームルームを始めるぞー・・って、小尾里、どうしたんだその体?」
「え、えーと?水太り?しちゃいまして。」
「お、おう、そうか?体は大事にな。」先生があまり深く考えないタイプで助かった。
「今日はひとつ大事な話がある。」
そう言って、先生は生徒達にプリントを配布した。
プリントには錠剤が入った瓶が印刷してあった。
(あれ、これって四方さんにもらった・・・)
私がその写真を眺めていると先生が話し始めた。
「今配布したプリントに書いてある薬、『HI-10000改』というそうだが、
誰かから薦められても絶対に使わないように。
なんでも、服用した人間の代謝を促進させて太らせるという代物だそうだ。」
「え・・・」思わず声が漏れる。
「最近学校の近辺でも出回っている薬品で、すでに被害者もかなりの数にのぼるそうだ。
まったく、こんなわけわからんモノを作るなんて、開発者は相当の変態だな。
まあ、賢いみんななら大丈夫だと思うが、気をつけろよ。」
(まさか、あの薬が・・・)
あの薬が『HI-10000改』という薬品ならば、一晩で急に太った理由が分かる。
前日に消化したカロリーがあの薬の力によって何百倍にも増幅されたのだ。
それが全て脂肪になって、この身についたに違いない。
「・・で、警察の方がいってるように、この薬のやっかいなところは常習性があるということだな。
一度服用すると止められなくなり、食欲が爆発的に増進されるらしい。」
(ということはこれからもっと太る可能性があるということ?!)
たらりと冷たい汗が流れ落ちる。
「こんな危ないもの使うやつなんて相当のバカだな。」
前の生徒がつぶやいた言葉が今の私には身にしみた。
飲むと太る薬。しかも常習性がある。
つまり、私はこれから終わりなきデブのサイクルに足を踏み入れてしまったらしい。
(ふ、ふざけないでよ!)
今となっては偶然町で出会っただけの男のいうことを軽々しく聞いてしまったことが悔やまれる。
あの四方というオヤジには何か下心があったに違いない。
私は学校が終わると、一目散に名刺に書かれてあったFAT芸能事務所に向かった。
学校から15分ほど離れた繁華街(それでも今の私にとって大した運動だった)に
その事務所はあった。
路地裏の汚い雑居ビルだった。
階段をドスドスと登り、目的の一室に着いた。
バンっ、と勢いよくドアを開け室内に踏み込む。
夕日が差す室内は閑散としており、埃まみれの雑誌やよく分からない鉄の装置が散在していた。
「こらーっ、四方。いるんでしょ、出てきなさい!」
「ひっ。」
おびえた声がして奥にあった机の影から四方が出てきた。
「あんた、よくもあんな薬よこしたわね。」
「こ、こんな薬、といいうと?」
「この錠剤よ!」
私は四方からもらった白い錠剤が入った瓶をバッグから取り出し、床に投げつけた。
ガシャンと瓶が割れて中身が散らばる。
「この薬を飲んだせいで私はこーんなデブになっちゃったんだから!」
「で、でもデブデブいうが、そんなに太ってないじゃないか?胸以外は。」
四方のおどおどした言い方が癇に障り、私は激高した。
「この姿を見てもそんなことが言える?」
そう言うと私は制服の上着を脱ぎ、体に巻き付けたサランラップをほどいた。
ラップの拘束がなくなるにつけ、お腹やわき腹の肉がぶよんと広がっていく。
ラップを完全にほどくと、スカートの上に脂肪の輪っかが乗っかっている状態になった。
「この有様、どう責任取ってくれるの?」
四方は太った私の姿を見ると、先ほどまでの臆病な態度とは打って変わって、
不気味な笑みを浮かべた。
「くくく・・・」
「なにがおかしいのよ!」
「いやはや、やはりこの薬の効果は素晴らしいナ。」
そういって、四方は散らばった錠剤を一粒拾い上げ、いとおしそうにそれを眺めた。
「あの変な化学者に開発を依頼した時はまともなモノができるのカ不安だったガ、
オマエのその姿を見るト、順調にこの町の肥満化は進行しているようダ。」
「な、なにを言っているの・・・?」
四方の異様な雰囲気に私はたじろぐ。
「まだ分からないのカ、私の正体ガ。」
そういうと、四方を黒い霧がぐるぐると包んだ。
霧が晴れるとそこに立っていたのは、黒いスーツに身を包んだ切れ目の女性だった。
ただし、女性の頭からは角が、お尻からは先がとんがったしっぽが生えていた。
その姿はまるで・・・
「あ、悪魔!?」
「そうダ。我こそは魔王サマの一の子分、堕落の神リリス様ダ。」
「ま、魔王の部下が何のようよ!」
「おヤ、大抵の人間は私の姿を見て何も言うことができなくなるのだがナ。
お前ハ、姿はともかク、魂は高潔なようダ。」
「姿はともかくは余計よ!さっき、町の肥満化がどうとか言ってたわね、どういうことよ。」
「ククク、よくぞ聞いてくれタ。これには深ーい理由があるのダ。」
「我が主である魔王サマは魔界の全てを統べるお方。
ある時、この町に住む人間が遊び半分で魔王サマを呼び出したのダ。
魔王サマはその人間の肝を喰おうト、意気揚々と出かけられタ。
当然ダ、人間ごときが魔王を呼び出したのだからナ、呼び出した代償は死を以って
償われなければならヌ。
我々も魔王サマはすぐ帰ってくるだろうと思っていタ。」
「しかシ、魔王サマは1カ月経っても戻ってこられなかっタ。
私は痺れを切らシ、魔王サマを探しに人間界へ向かったのダ。」
「2週間の必死の捜索ののチ、私はやっと魔王サマの居場所を突き止めタ。
なんト、我が主ハ、我が主を呼び出した人間の元にいたのダ。
私はついに魔王サマに会えると胸を高鳴らせテ、その人間の住居に押し入っタ。
し、しかシ・・・そこで私が見たものハ・・・」
リリスは言葉を詰まらせ、しばらく逡巡したのち、私を指差した。
「オ、オマエのようにデブデブに太った魔王サマだったのダ!!」
「ぷっwww」私はリリスの語り口とオチとのギャップに、思わず吹き出してしまった。
「わ、わ、笑うんじゃナイ!私は魔王サマになぜ魔界に戻られないのカ、その理由を尋ねたのダ。」
「な、なんて言ったの、そのデブ魔王は?」私は笑いをこらえながら言った。
「ア、アンパンが上手いからだト、そうおっしゃったのダ!」
「だはは、しょーもな!人間喰いに行った奴が人間に餌付けされてやんの。」
私は大きなお腹を抱えながら大笑いした。
「ダ、ダカラ笑うなト言っている!」
「だ、だって・・・。デ、デブ魔王・・。ハハハ。」
「完全に覇気が抜けた魔王サマを私は見限るしかなかっタ。
そしテ、心機一転、魔界に帰って新しい魔王を決めようとしタ。
しかし、私自身、2週間の人間界の捜索で魔界に帰る魔力を使い切ってしまっていタ。」
「へー、じゃああんたこれからどうすんの?」
「魔界に帰るためには人間達を堕落させ魔力を集めなければならヌ。
そこデ、私は効率よく魔力を集める方法を考えタ。それがこの薬を使ってこの町の女を肥満さセ、
その絶望のエネルギーを吸い取ることダ!」
「な、なんですって!?」
「そのために私は隣町に住んでいる化学者に頼ミ、この肥満化薬を開発してもらったのダ。
オマエの姿を見る限リ、計画は順調のようダ。」
「そんなことはさせないわ!」
「ほーウ、すでに私の計画にはまってそんな姿になっているオマエが何をいう?」
「う、うるさいわね!今から頑張って痩せるの!
それより、あんたに仕返ししないと気がすまないわ!」
そう言うと、私はリリスに向かって肉まみれの体を突進させていった。
いや、本当は飛び膝蹴りとかかかと落としとかもっとスタイリッシュな技を決めたかったのだが、
今の鈍重な体では突進ぐらいしか攻撃手段がなかったのだ。
「フン、そんな遅サ、蠅が止まるゾ。」
リリスは軽く片手でいなす。
「きゃっ!?」
ドスンと音を立てて私の体が倒れる。
「う、くそっ。」
起き上がろうと仰向けになった私の腹に、リリスが馬乗りになった。
「人間の癖に私に反抗するとハ、なかなか根性があるじゃないカ。
私に攻撃してくれた礼をせねばならないナ。」
リリスは私に向かって人差し指をたてた。そして、彼女が何かをつぶやくと指先が紫色に光った。
次の瞬間、私は猛烈な眠気に襲われた。
「な、にを・・した・・の?」
「オマエには私の魔力のたメ、もっと醜くなってもらうゾ。身も心もナ。」
薄れゆく意識の最後に、リリスのサディステックな笑みが見えた。