334氏その8
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「お、お腹空いた……」
かれこれ草原を歩き続けて6時間、どこまでも続く地平線の先には何も見えない。
(私、ここでのたれじんじゃうのかな……どこかも分からない変な空間で)
背の丈ほどもある草をかきわけ倒れ込んだその時、どこからか声が聞こえた。
『きみは……人間だね』
顔を上げると、逆光の中に黒い影が見えた。
「あなたは……誰」
しかし、影は私の問いかけに答えずにくすんだような深い声色で話を続けた。
『人間がここにいてはいけない。ここにいすぎると元の世界に帰れなくなる』
「ここって……この世界はなんなのよぅ……」
空腹で上手くまわらない頭でつぶやく。
『ここは神界――八百万の神が暮らすところ。ここで出された食べ物を食べてはいけない。
食べたら元の世界に帰れなくなる』
エコーを残しながら、影は空中に消えていった。
「なんだったのよ、今のは……」
ぼやきながら草を払っていると、突然目の前に街が現れた。
なんといったらいいのだろうか、中華街と戦前の吉原を足して2で割ったような
猥雑な感じの街並みだ。
赤青黄色のけばけばしい色合いの建物が複雑な小路をつくっている。
私は少し戸惑いつつも、石畳を歩いていく。
「おや、ちょいとそこいくお姉さん。あなた、人間ですね」
急に声をかけられたので振り返ると、二本足で狐が立っていた。
居酒屋の店員が着るような作務衣を着て、丸い手を前で組んでいる。
あっけにとられて狐を眺めていると、狐は口を曲げながら(どうやら微笑んでいるらしい)
こちらに近づいてきた。
「そんな驚いた顔をしなくてもいいですよ。別に取って喰おうっていうわけじゃありませんから。
人間がここに来るのはめずらしいのです」
「あなたは……誰? というか何?」
「おおっと、自己紹介が遅れました。私、稲荷のコン太と申す狐でございます。
あなた様を私どもの店にご招待したく声をかけさせていただいた次第で」
「店? どうして私を招待したいの?」
「はい、実は人間というは、ここ神界では『豊子』といって縁起の良いものと言われております。
私は和菓子屋を営んでおりまして、ぜひあなた様に来ていただき店を繁盛させるたいのです。
『豊子』がいるとなれば一目見ようとお客さんも来るでしょうし」
「んー、でもなあ……見世物になるっていうのは……恥ずかしいし」
「もちろんただでとは申しません。寝床と食事を提供いたします」
「食事!?」
ちょうどお腹が空いていた私はその言葉に敏感に反応してしまった。
「はい、私の店の名物は『福徳饅頭』という饅頭でして」
コン太は懐から白い饅頭を取り出した。手のひらにあまるほどの大きさで甘い香りを放っている。
ぐーっ、と私のお腹が鳴った。
「でも……」
食べるわけにはいかないのだ。
もしさっきの影が言っていたことが本当ならば食べてしまうと元の世界に帰れなくなってしまう。
「駄目でございましょうか……?」
しょんぼりと肩を落とすコン太を見て、私の心はぐらついた。
何よりも、この空腹感をどうにかしたいという気持ちもあったが。
「まあ、ひとつくらいならいいわよね。分かったわ、あなたの店に行きましょう」
私はコン太から饅頭をもらいうけ、一口噛んだ。素朴な甘さが口に広がった。
「本当でございますか? なら、早速私の店に……あ、その前にお召し物をお取り換えしなくては」
コン太が一声鳴くと、私は巫女装束のような着物を着ていた。
「これで『豊子』にふさわしい格好になりましたね。ささ、参りましょう」
彼に促されるまま、私は饅頭をほおばりながら街の奥へと入って行った。
それから一ヶ月間、私はコン太の店で厚いおもてなしを受けた。
食事は毎日狐の従業員が部屋まで運んできてくれる。
私がやらなければいけないことは一日に一回、お客さんの前に表れるだけだ。
それだけでお客さんは喜んで、私に寄付をするために店の和菓子を買ってくれる。
私は差し出される和菓子を食べるだけでよかった。
何しろお風呂とか寝床の準備等の雑事は全て従業員がしてくれるのだ。
日がな一日ごろごろしていれば、食事と寝床が確保できる、まさに夢のような生活。
「んぐんぐ、本当に極楽よね。ん、おいし」
和菓子をほおばりながら、顔がほころぶのを止めることができなかった。
さらに一ヶ月後
寝転がりながら余った和菓子を頬張っているとコン太が入ってきた。
「あの……少し動かれたらいかがです? 食べてばかりじゃお身体に悪いですよ」
「もしゃもしゃ……いーの、いーの……けぷっ」
「大変申し上げにくいのですけど……あの、ずいぶんとお太りになられて……
運動などで体重を落とされた方が……」
「もっしゃ、もっしゃ……明日からやるわよ……今日は体力を養ってるの。
みんなに見られるのって結構気を使うんだもの」
ごろりと寝がえりを打つと、畳が引かれた床がミシリと軋んだ。
「あ、あの、動く時は気をつけてください。床が壊れそう……」
「げふぅ……ねぇ、もう和菓子ないのー?」
「はいはい、ただいま……全く」
さらにさらに一ヶ月後
和菓子を手づかみで踊り食いしているとコン太が眉を険しく結んで自室に入ってきた。
「大変申し上げにくいのですが……すみません、出て行ってくれませんかね」
「ふぇっ!? な、なんで!?」
「あなたが和菓子をドカ食いするせいで店の在庫が厳しくなってきたんですよ!」
「わ、分かったわよ……んっ、よい、しょっ……。うぷぅ……お腹がき、きつい!? ……ふぅー」
「あ」
「ひゃっ!? は、袴が……!」
「破れましたね」
「なんでなんで!? 3か月前はぴったりだったのに?」
「3カ月にわたる喰っちゃ寝生活でかなりお太られたせいでございます……」
「よ、よし、決めた! 明日からダイエットしよう!」
「それは昨日も聞きました。
しかし結局10分程歩いただけ息が上がって止めてしまわれましたよね」
「うぐ……じ、自分では頑張っているんだもん! 私は動けるデブなの!」
とび跳ねると部屋全体がドスンドスンと揺れた。
「じゃあまずは手に持っている饅頭を放して下さい」
「あ、その……もう一個だけ、食べていい?」
「……」
「くっ……わ、分かったわよ」
「よし、置きましたね。それじゃあ外に出ていただきましょう」
「ううー……」
「何、饅頭を見てるんですか」
「み、見てないもん!」
「食欲が抑えきれないんですね……そこまでして食べたいんですか、豚の神様みたいですね」
「な、なんだかひどくない?……自分では食べるのを止めたいと前々から思ってはいたのよ」
「本当ですか?」
「あ、頭では、ね?」
「そしてあなたは明日もこう言うんですね、『明日から痩せようと思っていた』。
本当にただ飯喰らいですね」
「ぐすっ……」
「泣いたって痩せませんよ。お腹にこんなに脂肪がついてしまって……たぷたぷじゃないですか」
「う、うわーん!!(ドスドスドス)」
「あ……出て行っちゃった。少し強く言いすぎましたかね?」
小宮真琴
175cm 122kg
B:112 W:132 H:110