334氏その8
「堕落させて絶望のエネルギーを集めるって……どういうことなの?」
「お前の能力を使って食欲を増大さセ、人間共を自ら太らせるのダ。
そうしテ、自分が醜い肥満体になったことを自覚した時、
かつての自分ではないという絶望が生じル。それは私にとっておいしいごちそうダ」
「うわ、えげつない……」
さすが魔王といったところか。
自分を助けてくれたにせよ、基本人間をおもちゃとしか思っていないようだ。
痩せたくても食欲が無限に湧いて食べるのを止めることができない――
そんな状態に自分が置かれたら気が変になってしまうかもしれない。
だがそれを今から私はしなければならないのだ。元の体に戻るために。
「けれど誰を対象にするの? まさか全人類っていうわけじゃないわよね」
「さすがにそれはなイ。お前が大変だろうからナ」
変なところでやさしい魔王である。いまいちつかみどころがない性格をしている。
「対象は私が選んでおいた。ここの人間達だ」
リリスは私に一冊のパンフレットを渡した。
「『私立桜ケ丘学園』……?」
紺色のブレザーを着た綺麗な女の子達が桜の木の前に立って微笑んでいる。
「この高校は名門の女子校でナ、お前にはここの生徒を一人残らずデブにしてもらウ」
「どうして女子校をターゲットにするの?」
「よく聞いてくれタ。
それはだナ、肥満した時に発する絶望のエネルギーは年頃の乙女が一番多いからダ。
やつラ、人並み以上に自分の容姿に気をつかっているかラ、
醜く変わり果てた時の絶望もひとしおなんダ」
「以前にそういう――高校で暴れまわったことでもあるの? 知ったような口調だけど……」
「うム、あるゾ。あれは良かったナァ。実に多くのエネルギーを集めることができた。
しまいには学校中がデブだらけになってナ、保護者からの抗議の嵐で廃校になったゾ」
私は腹が出たデブ生徒がひしめき合って歩く学び舎を想像してしまった。
パンフレットで笑っている女生徒もその仲間入りをするのだろうと思うと――
他人事ながら同じ女としてぞっとする。
「さてト、早速現地に向かおうカ」
リリスが空中に円を描くと、黒い穴が現れた。
「え、この中に入るの?」
暗い穴の中を覗き込む。奥が見えない。
「文句をいうナ!」
リリスが私のお尻を蹴った。
吊るした牛肉を叩くような鈍い音がして、私はつっかえながら穴を落ちていった。
固いアスファルトの上に叩きつけられた後、ぼよんぼよんと数回弾んで私の体は止まった。
「痛てて……」
全身が分厚い脂肪で覆われているおかげで衝撃の割には痛くはない。
あたりを見回すと、アスファルトの道路の両側を数階建のビルが囲んでいる。
どこかの町の路地裏のようだ。
「まったク、鈍いナァ。まア、豚さんなんだから仕方がないカ」
後ろを振り返ると、空に浮いた黒い穴からリリスが降り立つところだった。
「ぶ、豚!?」
「豚は豚だロ……おや、誰か来たようだ」
50mほど向こうから紺色のブレザーを着た女の子がこちらに向かって歩いてきた。
貧相な胸に細い足。イヤホンで音楽を聞きながら携帯をいじっている。
まだ私達には気が付いていない。
「どうやら桜ケ丘学園の生徒らしいナ」
「ど、どうするのよ!? 私、こんな恥ずかしい体みられるの嫌よ」
全身の肉を隠そうと両腕を胸の前で交差させる。
「そんなことしても隠し切れてないゾ。それはともかく……確かにお前の体形は目立つナ。
なんとかしよウ」
そう言うと、リリスは片方の手で私の肩に触れ、もう片方の手を女の子に向けた。
次の瞬間、私の体から肉が消えていった。
と、同時に女の子がみるみるうちに太っていく。
「!?」
女の子は自分の体の異変に気付いて困惑しているが、なすすべもなくうろたえるだけである。
華奢な足は相撲とりのような大根足に。
細身の体はボールのように膨らみ、制服を破くほどに。
すっきりとした顎は脂肪太りのだらしないラインに。
十数秒もしないうちに痩せた女の子が立派な餡子型体形に変貌してしまった。
「な……なにこれぇ!?」
女の子はどすんと尻もちをつき、叫び声を上げた。
しかし、その声は潰されたカエルのように低かった。
「よシ、これでお前の脂肪は全てあいつに移したゾ。これでお前は目立たずに学園に潜り込めるナ」
「あんた……怖ろしいわね」
元の体形に戻った私は、嬉しさ半分に痩せた体の感触を確かめながら、
リリスを呆れた顔で見つめた。
「魔王だからナ。それはともかク、学園の生徒をデブにするには
まずリーダーからデブにするのが一番効率がいいだろウ」
「リーダーっていうと……生徒会長ね」
「そうダ。桜ケ丘学園の生徒会長はこいつダ」
リリスは一枚の顔写真を見せた。
そこには一人の生徒が写っていた。
さばさばとした黒の短髪に気の強そうな目じり。
写真の欄外には『黒瀬綾』と書かれていた。
どうやら彼女が第一の犠牲者になるようだ。