突発性肥満化彼女
#読者参加型
小高い丘の上に、3階建の白い建物が見えてきた。
鏑木の祖父、鏑木喜一が経営している『鏑木喜一製作所』だ。
彼は、世界中の企業から依頼されて工作機械や化学薬品等を作っているかたわら、
自らの趣味で奇妙な発明品も作っているという変人だ。
鏑木が呼び鈴を押すと、研究所の扉が開き、喜一が顔を覗かせた。
白い山羊髭をたくわえた、矍鑠とした老人である。
「おお、照馬か。久し振りだ」
「相変わらず元気そうだな、じいちゃん。今も変な発明品を作り続けているのかい? もう白寿だろ?」
「年なぞ関係ないわい。ところで今日は何の用じゃ? そちらの丸っこい娘さんは…沙良ちゃんか? しばらく見ない間に随分変わったな」
しげしげと眺める喜一。高槻は恥ずかしそうに顔を俯けている。
「あー…そのことなんだけど、話せば長くなる。じいちゃんの力を借りたいんだ」
「?」
三人は研究所の中に入って行った。
「…というわけで、高槻はこんな体になってしまった」
鏑木が事の顛末を話し終えた。三人がいる場所は研究所内にある応接室である。
「全く、あれほど薬品の管理には気を付けろと口を酸っぱくしていたのに、情けない」
「返す言葉もないぜ、じいちゃん」照馬が頭を下げた。
「謝る相手はワシじゃないくて沙良ちゃんだろ?」
「あの…」
高槻が口を開いた。大分落ちついた様子で、もう泣いてはいない。
肥満化のショックから立ち直り、いつもの勝気な彼女に戻っていた。
「沙良ちゃん、落ちついたかい? すまんな、ウチの馬鹿孫が迷惑かけて」
「もう大丈夫です。それより、薬の効果を無くす方法をご存知ですか?」
「ああ、知っているとも。なにしろ、照馬の肥育薬の開発にはワシも助言したからな。
沙良ちゃんの体に染みついた薬を無効果することなど朝飯前だ」
喜一は胸を張った。
「簡単なことだ。『痩身薬』を服用すればいい」
「痩身薬?」
「文字通り、痩せる薬じゃな。肥育薬の効果を打ち消し、体についた脂肪を落とす。
ワシが痩身薬を調合して、沙良ちゃんがそれを飲めば万事解決だ」
「じいちゃん、本当にそんな都合のいい薬を作ることができるの?」
「ワシはノーベル化学賞の候補に選ばれたくらいの天才だぞ。痩身薬の作成なぞ1カ月もあればできる」
「やった」鏑木と高槻がハイタッチをかわした。
「ただし、問題なのは肥育薬の強さが不明なことだ。いつ、どのくらい体重が増えるのか…。
それが分からないことには、肥育薬の効果を打ち消す痩身薬の強さも決めようがない。
沙良ちゃんが元の体に戻るために十分な効き目の痩身薬を作るために、沙良ちゃんの身体データを毎日採取し、開発に役立出たいのだがのう…」
「それは、高槻に1カ月間、この研究所に住んでほしいということか?」
「そうだ。タダで、とは言わん。ワシの実験助手のバイトもしてもらおう。日給5万。どうじゃ、沙良ちゃん」
高槻はすぐにうなずいた。
喜一は、風貌は胡散臭いが信頼できる人物だと知っていたし、何より日給5万のバイトが魅力だったからだ。
「全然大丈夫です。ちょうど、明日から大学も夏休みですし。両親には喜一さんの研究所にお世話になると伝えておきます」
「話はまとまったな。照馬、お前も大学を出入り禁止にされたんだろ?
1か月間、沙良ちゃんと一緒にワシの研究の手伝いをしろ」
「まあ、いいよ」
こうして二人は1か月間痩身薬ができるまで、喜一の研究所で住み込みのバイトをすることになった。
***
ちょうどその頃、研究所の外の茂みに隠れながら、中の様子をうかがっていた人影があった。
「ボスから任されたミッション、今度こそは失敗できないわ…」
黒服を着て長い髪を後ろで束ねた少女である。緊張しているせいで表情が硬い。
「『鏑木博士の薬学の研究成果を盗むこと』、この任務が成功すれば本部勤務になれる」
彼女の名前は宇津木かおり。某巨大犯罪組織に所属しているエージェントである。
といっても一番下の構成員で、主に尾行や窃盗等の比較的軽い犯罪しかさせてもらえていない。
その『仕事』でもドジが多く失敗ばかり。
そんな彼女に組織の上層部は最後のチャンスを与えた。
すなわち、鏑木喜一の研究所から研究成果を盗むことができたら昇進させる。
駄目なら…その時が彼女の最期である。
「田舎の母さん見ててね、絶対偉くなって帰ってくるから」
宇津木は研究所に忍びこもうとして、一歩踏み出したが、盛大に躓いた。
喜一との会談が終わると、鏑木と高槻は自宅から荷物を研究所に運び込み、生活の準備を整えた。
生活に必要な道具はほぼ研究所に揃っているので、運び込まなければならないものは着替えくらいのものだった。
自宅との往復を含め、1時間足らずで二人はおのおのが宿泊する部屋に必需品を移し終えた。
「ふぅ…」
高槻は、最後の荷物を運び終えると、床にどっかりと座り込み、額に浮かべた汗を拭った。
激しい運動はしていないのだが、体重が増えたことで彼女は息切れしやすくなっていた。
脂肪がついたお腹が餅のようにせり出し股上を隠しているその姿は少々はしたない。
高槻は腹部についた贅肉をつまみ、
「嫌ね、デブって。動きにくいし、汗じみはできるし…。明日からダイエットしよっと」と言った。
「どうせ痩身薬で1か月後には痩せられるんだろ?」
鏑木が尋ねると、高槻はむっとした表情で彼を睨んだ。
「女の子の気持ちが全然分かってないんだから。わずかな時期でもデブのままは嫌だよ!」
「俺は今のお前くらいが健康的でいいと思うけどな。大体、今の女は痩せすぎなんだよ。
古代ギリシャや平安時代では、肉付きの良い女が美人とされていたんだぜ」
「デブ専の戯言ね。くびれたウエストの方が美しいに決まっているじゃない」
高槻は反論したものの、自らの胸やお尻を眺めながら(ここが大きくなったのは嬉しいけれど…)と心の中で考えていた。
高槻沙良は恵まれた美貌の持ち主である。
大きな二重の目につやのある唇が、小ぶりな顔にバランス良く配置されている。
母親ゆずりの愛敬のある顔だ。
ただ、体のくびれに関してだけはずっとコンプレックスを持っていた。
すなわち、彼女は成人を過ぎた今でも、幼児体型のままなのだ。
思春期からずっとAカップのまま成長せず、まな板とバカにされたこともある平らな胸。
くびれなどほとんどない、腰からお尻のライン。
不細工だけど巨乳の同級生と体を取り替えてほしいと考えたことすらある。
それが今や、胸はDカップに届きそうなくらい大きくなって、お尻も安産型になった。
口では鏑木の主張に反発したものの、(デブも悪くはないかも…?)という考えがふと頭の隅をよぎる高槻。
しかし、醜くぼでんと突き出たお腹の肉の重量が、彼女を正気に戻す。
(私はボン・ボン・ボンの体じゃなくて、ボン・キュッ・ボンの体になりたいのよ…)
頭を振り、邪念を振り払う。
鏑木は彼女の内面の葛藤に気づかずにのんびりと言った。
「今日は色々あって疲れたな。もう日も暮れたし、夕飯にしよう。
じいちゃんは友人と飲みに行くらしいから、俺ら二人だけの食事になるが…」
「わざわざ自炊するのも面倒くさいよ。外食にしよう」
「どこの店がいい?」
鏑木が尋ねると、高槻は笑った。
「今すっごく食べたいものがあるの」
「?」
20分後、研究所を出た二人がいる店は、全国展開しているフライドチキンのチェーン店だった。
テーブルの上には高槻が頼んだチキンが山盛りに並べられていた。
「お前が食べたいものってこれかよ。見るだけで胸やけしてきた」
「どういうわけか、やたらと脂っこいものが食べたいんだよね」
「(これも肥育薬の効果か…?)」
チキンの山にパクつく高槻を鏑木は呆れた表情で眺めていた。
***
丁度その頃、宇津木は研究所に忍びこんでいた。
「意外と広いよ…この研究所」
足音を殺して歩く。目的地は研究関連の書類が保管されている書庫だ。
2時間ほど館内を物色した結果…宇津木は迷ってしまった。
もともと方向音痴な彼女である。それに加え、色々な部屋が迷路のように複雑に繋がっているので
自分がどこにいるのか分からなくなってしまったのだ。
とりあえず最初に研究所に侵入した部屋に戻ろうと目の前の扉を開けた。
そこは三面が壁で囲まれた密室だった。壁には書類棚が並べられている。
「もしかして、ここが書庫…?」
室内に入った時、扉は閉まってしまった。
慌ててドアノブを回したが、もう遅い。自動ロックが掛かり、扉は開かなかった。
「しまった…」
宇津木はへたりと座り込んだ。