突発性肥満化彼女

突発性肥満化彼女

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通話が切られた後、老人は革張りの椅子にゆったりと身を預けた。
舶来の調度品が並べられた室内には、クラシックが流れている。
目を閉じて聞き入った後、彼は内線をかけ、「彼女」を呼び出した。

 

「お呼びでしょうか?」
部屋に入ってきたのは、迷彩服に身を包んだ金髪の女性。頬に縦に走る裂傷跡がある。
「イリーナ。仕事の時間だ。このゴミを殺ってこい」
老人は数枚の書類をイリーナと呼ばれた女性の前に投げ出した。
一番上の書類には宇津木の写真が載っている。
「先日、最後のチャンスとして窃盗の任務を与えた、というエージェントですか。
失敗したのですか?」
「ああ。そいつ―宇津木という名前だが―はドジを踏んで、相手に捕まったようだ。その挙句、組織を抜けたいと泣き言を言っているらしい。よりによって、忍び込んだ研究所の所長が伝えてきた」

 

「それは…十中八九、罠ですね」
「お前もそう思うか。
組織の構成員を捕まえた相手が、わざわざ組織に連絡してくるとは考えにくい。
おそらく、宇津木を殺しにきたお前が目的なのだろう。どういう意図があるのか読めんが」
「私も舐められたものであります。幾度の死線を潜ってきた私に挑もうとは百年早い」
イリーナは隠し持っていたサバイバルナイフを取り出し、机上の書類束に向かって投げた。
ナイフは宇津木の額の真ん中に突き刺さった。
「5日間。5日間でターゲットを抹殺してご覧にいれましょう」
「頼んだぞ」
部屋から立ち去るイリーナの後ろで、老人が笑った。

 

その後、喜一は鏑木と高槻を食堂に呼び、お互いに自己紹介を済ませた後、
宇津木を巡る状況について二人に説明した。
宇津木が研究所に忍びこんだことについては触れずに、
彼女が組織から逃げて刺客に追われているところと喜一が匿ったということにした。

 

喜一の話が終わると、鏑木は腕を頭の後ろに組んで椅子の背もたれに体を預けた。
「信じられないぜ。見ず知らずの女の子を匿うなんて。
しかも、これから暗殺者と戦わなくちゃいけないだと」
「何を言う。困っている娘がいたら助けるのが男じゃろうが」

 

二人の様子を見て、宇津木は肩を狭めた。
「ご、ごめんなさい。私のせいで…」
「だからといってあなたを見捨てるわけにもいかないしねぇ…」
高槻は、汗で蒸れる大きなお腹を掻いた。
「全く、面倒なことになったわ」
じろりと宇津木を睨みつける。
宇津木は高槻を仰ぎ見た後、小さい体をますます小さく縮めた。

 

「それにしたって、どうするんだよ。相手はプロなんだろ? 勝算はあるのか?」
詰め寄る鏑木に、喜一は人差し指を振って、不敵に笑った。
「そこで、肥育薬の出番じゃよ」
「?」
「聞くところによると、暗殺者は女性だそうだ。
それなら、肥育薬を飲ませて太らせてしまえば、そいつの戦う気は失せるじゃろう」

 

「確かにこの体だと動くのが億劫だから、その作戦は効果があると思うけれど…」
と、言ったのは、テーブルの上のお茶菓子(8個目)に手を伸ばしていた高槻である。
「だけど、肥育薬の被害者第一号としては、ちょっとその暗殺者がかわいそうかな、
なんて思ったりして」
「しかし、他に何か作戦はあるのか? こちらの戦力を考えてみろ」
高槻はここにいるメンバーを見渡した。
根っからの理系で痩せ体型の鏑木、老人の喜一、頼りにならなさそうな宇津木、
そしてデブになってしまった自分。何とも心もとない顔ぶれであった。

 

「正面から戦っては勝ち目はない。ここは肥育薬を利用したトラップを仕掛け、
相手の戦力を削ぐのが賢いやり方じゃ」
「そう、ですね」
高槻は宇津木を再度睨んだ。その顔には、お前のせいで面倒なことに巻き込まれた、と書いてある。
宇津木は、今度は弱弱しく笑い返した。

 

「嬢ちゃん、組織が暗殺者を送ってくるまでどのくらいの猶予があるか、推測はできるか?」
「え、ええと、数日間、長くても1週間程度だと思います。
以前、組織を抜けようとした同僚はみんな大体そのくらいで、こ…殺されてましたから…」
「十分じゃ。ワシと照馬はこれから撃退用のトラップを作る。沙良ちゃんは…そうじゃな、
敵との戦いが長引いてもいいように食料品の買い出しを頼む」
「…分かりました」
不服そうに答える高槻を見て、宇津木はおずおずと手を挙げた。
「ま、待ってください。私にも何か手伝わせてください。騒動の責任は私にあるわけですし」
「なら、嬢ちゃんと沙良ちゃんで一緒に買い出しに行ってくれんかの」
宇津木と高槻は顔を見合わせた。

 

横に大きな高槻と、縦にも横にも小さな宇津木が町の大通りを並んで歩く。
「宇津木…だっけ。あんた、もっとしっかりと喋りなさいよ。
自分が命を狙われているって自覚があるの?」
「すみません…」
「私はあなたみたいな、いつもめそめそしている臆病者は嫌いだわ。
自分の都合で犯罪組織から逃げているのに、他人に迷惑をかけて自分はその影に隠れているなんて」
「ご、ごめんなさい。私、昔から何に対しても逃げ腰で…」宇津木は目を伏せた。
「さっさとお使いを終わらせて帰りましょ」

 

二人は大型スーパーで食料品を買い込んだ。4人が1週間暮らせる量である。
それぞれ、食料品がぎっしり詰められた手提げのビニール袋を6つ、手に持っている。
「ふぅ…はぁ…」
高槻は額に玉のような汗をかいて歩いている。
衣服には黒々とした汗じみができており、次第にその面積を増していた。
「大丈夫ですか…?」
「ち…ちょっと、きついわね」
「あ、あそこの公園で一休みしましょう」
宇津木は小さな公園を見つけた。
芝生の上にベンチが数個、水飲み場が1箇所設置されているだけの小ぢんまりとした公園である。
桜の木が数本植えられており、ベンチに木陰ができている。
高槻はベンチに荷物を置き、どっかりと腰かけた。
「はぁ、ぷぅ…喉が渇いた…」
「ジュ、ジュースでも買ってきますね」
宇津木は道向いにあるコンビニに向かって走り出した。

 

宇津木が去った後、高槻は喉の渇きに耐えることができず、水飲み場に向かった。
「んふぅー、はぁー、み、水…」
蛇口をひねり、口をつけて飲む。
「んぐっ…ごくっ…おいし…」
一口、一口飲み下すごとに彼女の腹がせり出していく。
ただし、先日の肥満化のようなハリを伴った膨張ではなく、
重量にしたがって垂れ下がるようなだらしない膨れ方である。
俗にいう、水太り、といわれる現象である。
「ごくっ…ごくっ…(喉の渇きもだいぶ収まってきたわ。そろそろ水を飲むのを止めましょう)」

 

しかし、見えない手で頭を押さえつけられているかのように蛇口から口を離すことができなかった。
肥育薬によって強化された食欲が彼女の無意識に働きかけ、
彼女の意思とは裏腹に体が勝手に水を求めているのだ。
その過剰ともいえる水への執着は、彼女の体をまるで違ったものに変えていった。
わずかに胸や尻のくびれが残っていた高槻の体型は、著しい腹部の膨張により、
妊婦のようなお腹から頭や手足は生えたような球体形に近づいていったのだ。
ズボンが耐え切れず、布きれの裂ける音がして、ボタンがはじけ飛んだ。
「んぐっ…ごきゅっ…(ああ、もう! 私は何をしているのよ!)」
まるで自分のものではないように、自らの意思に逆らって喉が水を求めるのだ。
「ん、おいし…もっと!…(やだ! 誰か止めて!)」
真ん丸な体をして一心不乱に水を飲む高槻に、通行人は立ち止まって好奇の目を向け始めた。
携帯電話に付属しているカメラで写真を撮る者もいた。
「(そんな目で私を見ないでよぉ〜!!)」

 

それでも水を飲み続けるしかない彼女の後ろから、粗野な声が聞こえた。
「おい、そこのデブ!」
次の瞬間、彼女の体が引き倒された。だぷん、と体内で水が揺れる音がした。
「牛みてーに水を飲みやがって、暑苦しいんだよ。クソデブ!」
派手な金髪の若い男が鋭い目で覗き込んでいた。
「タカシ、止めろって! 関係ない女に絡むなよ」
ニット帽を被った若い男が金髪の肩に手をかけた。どうやら、男の連れらしい。
「るっせえ! 俺は彼女に振られてイラついてんだよ! 女なんかみんなクソだ!」
金髪はニット帽の手を振り払い、高槻の腹を蹴り上げた。

 

吊るした肉の塊を棒で叩いたような鈍い音がした。
「ぐぶっ…!!」
目の前が熱くなり、高槻は息を詰まらせた。間髪を入れず、蹴りが彼女を襲った。1発、2発、3発。
蹴りを入れられるたび、高槻は潰れた豚のようなうめき声を漏らした。
しかし、通行人は見て見ぬふりをして通り過ぎていく。

 

「ははは、こいつはいいサンドバッグだ。ストレス解消には丁度いいぜ」
金髪は高槻の顎を掴んだ。
「おい、デブ。『醜い豚でごめんなさい』って言ったら許してやるよ」
「み、醜い…ぶ、たでごめんなさ…い」
「聞こえねーなぁ!」
「醜い、豚でごめんなさい…」
「豚らしくねぇなぁ! 語尾にブヒィをつけろよ」
「うう…」高槻の目からポタポタと涙が零れ落ちた。
「わ、私は醜い豚でございますぅぅ! んごっ、ブヒィィ!!」
「ぎゃはは。本当に言いやがったぜ、このデブ!」
その時、弱弱しいが耳によく届く声がした。

 

「や、止めてください!」
高槻が痛みをこらえ、見上げると、
宇津木が、コーラの2リットルのペットボトルを手に持って立っていた。
彼女の細い脚が震えている。
「何だ、テメェは?」金髪が凄む。
「か、彼女の――友達です!」
宇津木は勇気を振り絞り、金髪と対峙した。
「へぇ…こいつの友達ね。へへ…なかなかかわいいな。
あんたが俺とデートしてくれるなら、こいつは許してやってもいいぜ」
金髪は口元を歪ませて宇津木に近づいて行った。

 

 

宇津木はしていることを自分でも理解できなかった。
暴行を受けている高槻さんを見て、ほとんど無意識のうちに声をあげていたのだ。
「(なんで私こんなことしているんだろ…)」
以前の自分なら考えられない勇敢さ。
「(高槻さん…に叱られたおかげかな…)」
今まで土壇場で弱く、そのため逃げ癖がついていた彼女である。
しかし、その悪癖のせいで今まで多くの人に迷惑をかけてきたようにも思う。
高槻に初めて面と向かって叱られたせいで、その弱点を克服したくもなった。

 

ペットボトルを剣のように構えた。キャップを剣の柄のように握る。
宇津木の体に触ろうと金髪が伸ばした手をいなすようにかわし、しっかりと構えてから、
がら空きの胴をペットボトルで突いた。鳩尾のあたりだ。
「あがっ…!」
喘ぎながら金髪が膝をついた。
「こ、このやろう…」
金髪が起き上がろうとした時、騒ぎを聞きつけて警官がやってきた。誰かが通報したのだろう。
「お前たち、何をしている!」
補導される金髪に構わず、宇津木は高槻を助け起こした。
「だ、大丈夫ですか!?」

 

 

その後、宇津木達は金髪と一緒に近くの交番に連れていかれ、事情聴取を受けた。
金髪はこってりと絞られたようでかなり萎れていた。
暴行事件として立件されそうになったが、当の高槻が固辞したため、
傷の手当てを受けただけで警察署を出た。

 

すっかり日は落ちている。二人は並んで帰っている。
「本当に大丈夫ですか? 怪我とかは…?」
宇津木が心配そうに尋ねると、高槻はお腹をさすって少し笑った。
「うん、幸い、厚い脂肪で守られていたお腹を蹴られたからほとんどダメージはないし…」
「すみません、買い物が台無しになっちゃいましたね」
「本当にね。でも、あんた、意外と勇気あるのね。見直したわ。臆病者なんて呼んで悪かったわね」
そう言って、高槻はグローブのような手で宇津木の頭を軽く撫でた。
「あ、ありがとうございます!」
宇津木ははにかんだ。
頭上には綺麗な満月が光っていた。

 

 

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