塵屑蟲
8、
***
「……。」
体重計は、残酷な数字を私の目に焼き付ける。
「…87キロ…」
紛れもない。私はみっともなく太った、デブ女だ。
まん丸に膨らんだお腹。ぶよぶよの二の腕。歩くたびにプルプル揺れる太もも。
蟲を飲まされる前までは、こんな事は無かったのに。
2ヶ月前まではダイエットしたり、運動したり、体型をキープするのに必死だったというのに。
お腹の肉をつまむ。つまむというより、持ち上げる感覚に近い。
少しお腹を引っ込めようと両手で押し込んでみる。さっき食べた夕飯やお菓子を吐きそうで苦しい。
「…意味ないなー…」
そう、もう何をしても無駄だ。
食べる量を減らすわけにはいかない。お腹の蟲の餌が、いつ無くなるかわからないから。
運動は、もうできない。
いつでもお腹いっぱい食べた状態で、この身体で、運動なんてできる訳がない。
部活も、とっくに幽霊部員だ。
「…太ったなー…」
とっくに分かりきっていたことを呟く。声に出すことで、嫌と言うほど実感が湧いてくる。
この、酷く惨めでみっともないのが、今の私の身体なのだ。
***
「授業中に寝るな。」
学校で、授業中にゴミ子が教師に怒られた。
教室中の視線がゴミ子に集まり、そして逸らされる。薄っすらと笑い声も聞こえた。
「すみま…せん…」
ゴミ子が消え入りそうな声で謝る。謝ってはいるものの目が虚ろで、今にもまた寝てしまいそうだ。
…おや?
少し、違和感があった。何だろう、この引っかかる感じは。
教師は何事も無かったかのように授業を続ける。
ゴミ子の様子が、何となくおかしい。あれは、寝てしまいそう…なのだろうか。
何と言うか、どちらかと言うと…変な表現だけれど…本当に魂が抜けてしまいそう…というか。
と、そこまで考えて、私は自分の事に気持ちを傾ける。
机の中に手を入れて、そっとクッキーの小さな袋を開ける。最近、たとえ授業中でもこんな感じだ。
何か食べていないと怖い。何かお腹に入っていないと怖い。蟲が怖い。
こっそりとクッキーを口元に運ぶ。口の中に入れる。
「授業中に物を食べるな。」
やはり、教師に見つかった。ため息混じりの注意をされる。最近、こういう事が増えた。
教室中の視線が、今度は私に集まる。
「(また何か食べてる…)」
「(いい加減にしろよデブ…)」
周りから呟きが聞こえる。以前まで親しかった友人達も、すっかり私から離れてしまった。
皆が、私を笑う。やめて。私を笑わないで。
デブだけれど、これは仕方がない事だから。こうしないと、蟲に食べられるから。
だから、やめて。
***
「89キロ…」
朝量った時より、2キロ。一日で、2キロ。夜は、2キロ。
「あ…はは…は…」
もう止まらない。私は、太り続けるしかない。
体重計を降りる。自分の部屋に戻る。
今日は近所のスーパーで、期限切れで半額になったパンを山ほど買ってきた。
お菓子も買ってきた。ペットボトルのお茶も、2リットルボトル二本買ってきた。
両手にスーパーの袋をぶら下げて、よろよろ歩く私はさぞかし間抜けだった事だろう。
お小遣いも、全部食費に消える私はさぞかし馬鹿なんだろう。
クラスメイトにどんな目で見られても、家族に笑われても、教師に変な顔をされても、
私は食べるのを止める事はできない。
食パンの袋を破り、かぶりつく。何枚切りとか、関係ない。まとめて、貪るように食べる。
バタロールを口に押し込む。ある程度噛んで、お茶で流し込む。
メロンパンを齧り、スナック菓子を頬張り、煎餅を噛み、チョコレートを飲み込み…
どのくらいそうしていたのか、分からない。気付けば、買ってきた食べ物を全部食べ切り、
私のお腹は巨大な風船のようになっていた。
「げ…ふぅ…」
ベッドに倒れこむ。このお腹では座っている事も、まして動くこともできない。
お腹の中の蟲も、満足だろう。私も、これだけ食べると何も考えられなくなる。
激しい膨満感。体全体が重い。動けない。
「ん…ぅ…」
そのまま私は目を閉じて、ゆっくりと眠りに落ちて行った。
***
「ん…」
どのくらい寝たのかはわからない。しばらくして、私は違和感で目が覚めた。
「え…な、何…」
お腹が痛い。いや、違う。痛い訳じゃない。何かがお腹の中で動いているような…
と言うより“お腹の中が”動いているような違和感。
「ひ…っ…」
どういう事だろう。お腹の中の蟲は、私が食べ物さえたくさん食べていれば私の事は食べない。
その筈なのに。
そんな私の動揺はお構いなしに、お腹の中がうねる様な感覚は続く。
「ちょ、ちょっと…いや…!」
どうしよう、まさか、蟲が私を食べ始めたのだろうか。いやだ。死にたくない。
「な…なにか…」
食べるもの。蟲の餌になるもの。でも、買ってきた食べ物は全部食べてしまった。
そうだ。台所に、何かあったかもしれない。
体を起こして、部屋を出る。真っ暗な台所の流し台の扉を開ける。
「あった…」
即席麺や、缶詰、インスタント食品。
調理する時間が惜しい。袋を開けて、麺は硬いまま、缶詰は缶詰の形のまま口に頬張る。
「え…」
口に含んだ物を飲み込んでも、お腹の違和感は消えない。
さらに食べても、飲み込んでも、なかなか収まらない。
「なんで…」
しばらく食べ続けて、インスタント食品が無くなり、冷蔵庫の中の物にも手を付けた後、
やっと違和感は収まった。
「ふー…ふぅー…」
お腹を抱えて、うずくまる。今のは何だったのだろうか。
蟲が、気まぐれを起こしてお腹の中を這いまわったのだろうか。
怖い。嫌だ。
どうすればいいのだろうか。今のはいったい、何だったのだろうか。
あれだけ食べても駄目なのか。これだけ食べても駄目なのだろうか。
深夜の台所で、私はただ恐怖に震えていた。
***