塵屑蟲

塵屑蟲

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14、
***

 

「ふぅ…ふぅ…」
夏の強い日差しの下を、私は必死で歩いていた。
今日は、駅でゴミ子と…あの子と待ち合わせをしている。
夏休みの最初の日に会ってから数日。
何度連絡してみても、電話に出るなり切られてしまって、何の話もできなかった。
昨日、やっと会話に応じてくれたのだがやっぱり口数が少なくて、
それで、今日直接会って話をする事にしたのだ。
「暑い…。」
体中から汗が噴き出る。
130キロ台も間近に迫った巨体の私には、この季節に駅まで歩くのは重労働だ。
3ヶ月前まではほんの5分の道のりだったのに、
今では時々立ち止まって休みつつ15分はかかってしまう。
駅前に着くころには、着ていたジャージが汗でびしょびしょになってしまっていた。
周囲の人間の、奇異の視線が痛い。
早くゴミ子と合流して、早くこの場を立ち去りたい。
待ち合わせ場所の時計台へ目を向けると、簡素なシャツとスカートを着たゴミ子が

こちらを見ていた。
今日は制服ではないのか。
「…たいへん、そうね。」
私がふぅふぅと息を切らせながら近づくと、ゴミ子は私の顔から視線をずらして
蚊の鳴くような声で言った。
「はぁ…、ふぅ…、あ、あなたの…おかげでね。」
「…そう…だ、ね。」
特に面白い会話など、できるはずもなく。私は彼女と、元来た道を折り返した。

 

今日は、家族が皆出払ってしまっていて、私の家には私一人しかいない。
だから、今日は私の家で話をしようと決めた。
私の家ならば、周りの目が気になる事も無い。主に私の都合なのだけれど。
「……。」
ゴミ子は黙って私の隣を歩く。お互いに一切喋らない。
当然か。私とこの子の関係ならば。
「…ここが、私の家。」
「…うん…。」
一言も会話が無いまま、私の家に着いた。玄関の扉をあけて、ゴミ子を中に通す。
私に蟲を飲ませた張本人を家に上げる。不用心だろうか。いや、大丈夫だ。
根拠は無いけれど、私はそう思った。
この子はもう、私に甚大な危害を加えたりはしないと思う。
「あの…」
リビングにゴミ子を通した後、私はゴミ子に言った。
「…なに?」
こちらをふり向く事無く、ゴミ子が答える。

「少し…お風呂入ってきていい…?汗だくだから…」
一度水に浸かった後のようにびしょびしょのジャージが、お腹や背中に貼り付いて気持ち悪い。
「…うん。」
「待ってて、すぐ戻るから。」
ゴミ子の返事を聞いて、私はリビングを後にした。

 

***

 

シャワーで体を流しながら、私は考えていた。
私は今日、あの子と何を話そうと思ったのだろうか。
お風呂から出たら、どうすればいいのだろうか。
正直、何を話していいかわからない。
何を聞こう?何を話そう?何か話さなければならないとは思うのだが…。
今日呼び出したのは、もしかして早計だっただろうか。
そんな事を考えていると、
「…ねぇ…」
後ろから掠れた声がした。
「え?」
お風呂場の扉が少し開いて、ゴミ子がこちらを覗き込んでいた。
「あ…えと…ちょっと…」
私は慌てて体を隠す。…とても隠しきれるものでは無いけれど。
でもやはり、裸の状態でこんな体を見られるのは、相手が同性であっても恥ずかしい。
「…な、何…?」
「…ちょっと、はいる…ね?…大丈夫、服は…着てる、から。」

お風呂場の扉が音もなく開いて、ゴミ子が中に入ってくる。いったいどうしたというのだろうか。
「ね、何…?あ…あんまり見ないで…欲しいん…だけど…」
「……。」
恥ずかしさで声が途切れ途切れになる私の前で、ゴミ子が私の体を見つめている。
「わたし…どう、すれば…?…いいん、だろ…」
「…え?」
消え入りそうな掠れ声で、ゴミ子が話し始めた。
「わたし…あなたを、ころし…て、しまいたかった…。壊して、しまいたか…た…。
 でも、あなたが…ごめん、って…言った、とき…。哀しくなって、さびしく、なって…」
ゴミ子の目から涙がこぼれ落ちた。
「…なに、やってる、のかな?…って、…。わたし。…わかん、ない…。」
そこまで言うと、ゴミ子は枯れ枝の様な腕で力無く抱きついてきた。
「あ…あの、ちょっと…」
「…わから、ない…の…」
ゴミ子の服が、シャワーのお湯で濡れていく。下の肌が透けて見える。
まるで、全身に血の色の刺青でもしたような、ミミズ腫れのような跡が浮かび上がる。

「……。」
肉々しい私の体にすがりつく、今にも朽ち果てそうな程に弱々しいゴミ子の体。
そうだ。私はこれが知りたかった。どうしてこの子は、こんな事になっているのだろうか。
私の胸元に泣きつくこの女の子に、何があったのだろうか。

 

***

 

静かなリビングで、私はゴミ子を膝枕するようにソファーに座っていた。
お風呂から上がって、私は男性用の大きなシャツを着ている。
びしょびしょになってしまったゴミ子にも同じシャツを貸したら、
なんだか白いワンピースのようになった。
体格差が如実に浮き彫りにされて、少し心が痛む。
私が、もの凄く太ってしまった事が実感されるのと、それに…
「…ねえ。」
私は膝の上で目蓋を閉じている顔に問いかける。
「…これは、どうしたの?」
そう言いながら、私はゴミ子の腕をとる。細い。
骨しか入っていないというより、骨すら入っていないのではないか。
「…しら…ない…」
ゴミ子は目蓋を閉じたまま眉をしかめた。
「知らないって事は、無いでしょう?何があったの?」
「…しらない…もの…」
閉じられたゴミ子の目蓋から涙がこぼれた。

改めて落ち着いて見てみると、この子は本当に弱々しくて、哀れな感じがする。
以前からそうだったか?いや、違うと思う。
少なくとも、“あの日”はもっと…いわゆる、“普通”の体型だったと思う。
今までまったく気づきもしなかったけれど、きっと、
私が蟲を飲まされた時からじわじわとこうなっていったのだろう。
「ねえ…」
「…しら、ない…って…ば…」
コホコホと軽く咳き込みながらゴミ子が呟く。
そういえば、いつからだったか、この子がよく咳をするのを見た気がする。
蟲の事で頭がいっぱいで、この子の事が憎くてたまらなくて、全く気に留めていなかったけれど。
「…しら、ない…。しらな…… え……?」
私はゴミ子の体をそっと抱きしめた。私の柔らかい腕と胸が、ゴミ子の頭を包む。
「…なに…して、る…の?」
理由は、特に無い。
あれほど憎かった、あんなに腹を立てていた相手に、私は何をしているんだろうか。
「やめ…て…。はなし…て…ょぅ…」

私の胸元に埋まったゴミ子の口から、か細い声が聞こえる。抵抗する様子は無い。
「…なんであなたは、そんな事になってるの…?」
「……。」
「ねえ、何があったの…?」
「…なん、で…そ…な……こと…聞…の…?」
何でだろう。気になるから、というのは答えになるだろうか。
何で気になるのかは、わからないけれど。
しばらくの沈黙の後、ゴミ子が口を開いた。
「…む…し…」
むし?蟲?
「け…ぃ…やく…」
けいやく?計約?……契約?
「…どういう事?」
「…あなたに、しかえし…しヨう…と。でも、…わタし…ひとり…なにも、できな…ぃ…から…。
 で、も…どうしても…どう…してモ…しかえし…したく…。」
「え、ちょっと待って。」

この子は何の話をしているんだろうか。契約?何の事だろうか。
「…わたし……わたしの―――と、ひきかえ…に…。」
「…え…。」
耳を疑った。ゴミ子の口からぽつぽつと零れる話は、私の常識を、まるで無視した内容だった。
「……。」
私は言葉を失って、胸元で力無く目蓋を閉じるゴミ子を見つめていた。

 

***

 

にわかには信じられなかった。
というより、普通は信じないと思う。私も、まだ完全には信じられない。
でも、私のお腹の中にいる蟲も、少なくとも私は今まで聞いた事がないような存在だった。
人を、お腹の中から食い破る。内臓と同化して、宿主の食欲を無限に増加させる。
そんなエグい生き物、聞いた事がない。
「…普通の生き物、ならね…」
私の膝の上に頭を乗せて、静かに眠っているゴミ子の頬を撫でる。
木の幹を触るように乾いた感触が手のひらに伝わってきた。
「ねえ…。…それ、本当なの?」
さっきこの子から聞いた話。
この子が、“蟲の悪魔”と契約して、地獄や異界に住む蟲を操れるようにしてもらった、という話。
その代償に、自分の“生きる力”をほとんど食べられてしまった、という話。
さらに自分の体を、地獄の蟲を扱いやすい体に改造してもらった、という話。
今、この子の体の中は、あらゆる蟲に生きたまま喰われてほとんど空の状態、という話。
本当だろうか。本当の事なのだろうか。もし、そうだとしたらどうやって…
「ねえ…。そこまで憎かったの…?」

去年、私の心無い一言で傷つけられて、それがクラスに広まって、そのまま…
「いじめられて…?」
そうか。私のせいか。
蟲を飲まされて、ぶくぶくに太ってしまって、皆からデブと蔑まれて。
でも、そんなのは大した事では無かったという事なのか。
この子の復讐の、ほんの触り程度だったのかもしれない。
この子が「あやまらないで」と言ったのはそのせいだろうか。
ここまでして果たそうとした復讐の相手に、あっさり非を認められてしまったから…
「…ばか…」
そこまで憎いなら、口で言えば良かったのに。その時やり返せば、よかったのに。
こんな事にならなくても、済んだのに。

 

***

 

 

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