英雄サーシャと不思議な薬
サーシャがサイゼン国へ名ばかりの人質に来てから数十日が過ぎた。日ごろの暴飲暴食がたたり、鋭い美しさを放っていた顔立ちは成りを潜め、頬は丸くなり赤味を帯びており常に何かをほおばっているかのようになった。丸々とした頬に押し上げられて、タカをも遥かにしのぐと評されていた彼女の眼はつぶれ気味になった。
もともと大きめだった胸部や臀部はさらに大きくなった。腰回りが太くなったことは痛かった。日常の動作のなにもかもに支障をきたし何度か恥ずかしい目にも合った。この前、お忍びで城下に行ったときなどは、作業の途中で座りながら休憩していると、まだ奉公に出る年にもなっていないと思わしき、無垢な子供たちに囲まれてひどい目にあわされた。見たこともないほど巨大な尻をしているというもので、興味津々にこちらを凝視し、体の軸からはみ出し横に飛び出ている尻の肉を勝手に触ったり、パンパンとたたいたりしながら、柔らかいだとかどこから来たのとか、質問攻めにあった。
ただでさえこの年頃の子どもというのは好奇心旺盛で、見たことのないものに異様なほど魅かれるものである。ましてや夜寝る前に親から聞かされる歌や物語に登場するような人物が目の前にいるのだから、気になって仕方がない。自分たちがいったこともない場所の話や冒険の話をサーシャにねだった。どうやったら騎士様のように強くなれるのかというものもあった。中にはどうしたらお尻がこんなに柔らかくなるのか、という質問もあったが、それにはさすがにまともな返答をする気は起きなかった。
そのような子どもたちと野問答を領民(特に男性)たちが、こちらを何やらいかがわしい目で見ていたことが印象的だった。基本的にはみな快活で、表裏のない良い人たちだ。しかし、その分態度にも露骨に感情を表すため、見られているということを意識してしまいとても恥ずかしかった。
そして、数十日の間に最も如実に変化が見られたのが腹部である。筋肉質ではないながらも余分な脂肪など今まで一切ついたことがなかったサーシャの腹が、やわらかい脂でたっぷりと覆われていてスポンジのようにふかふかとしている。
国中の貴婦人を集めても、それにすら勝ると言われていてメリハリのある形をしていたサーシャの体付きは、全体的にすっかり丸みを帯びており角ばっている所が一つもないといってよい。シルエットはほぼ球体に近く、この上しゃがんでしまえば影だけで人と判断するのは難しい。あきらかに太り過ぎであった。
人質生活から数日のうちに危機感を覚え始めたサーシャは、晩餐ではいやがおうなしに暴食することが確定していたため、運動の量を増やすことにした。しかし修練場へ赴いてもサーシャに汗をかかせるほどの人材はほんの一握りであり、ましてそのような人物は隊長格の兵士か名のある騎士だけだ。サーシャに指導をこうのはもっぱら騎士見習いや、寝る間を惜しんで仕事と訓練を両立する従卒などばかり。腕に覚えのある者はほとんど国境の警備にあたっており、役目を終えると所領へと戻ってしまうことが多かったため、城へ顔を出すこと自体が稀な者もいた。
これではいけないとサーシャはいよいよ焦った。自分が見習いたちに稽古をつければつけるほど、彼らは筋骨たくましく、それに反比例するように自分の体が丸みを帯びていくのを実感していた。見習いの時に毎日欠かさず行っていた野山を走り込むという方法も考えたが、あくまで人質という立場をわきまえてほしいとのことで引きとめられた。走り込みが禁止されたのにはもう一つ理由がある。監視役の足ではとてもサーシャの足について行けない。監視役の足に合わせようとすれば、今度はサーシャの運動量が減る。監視役が馬に乗るというのも難しい。馬には荷車や機材を引かせたりなど、今は貴重な労働力であって、おいそれと駆り出すわけにはいかない。
それでは狩りだ!狩りに出かけよう!そう思い立ったサーシャは、普段は他の騎士から誘われていくところをめずらしく自分から提案し、城の近隣に広がる野山へと向かった。ここも狩り際に訪れる定番の場所であり、林を抜けて丘を登りきると、眼下には青々とした原野が広がり、その奥にはどこまでも森が続いている。途中で木々が途切れているように見える場所にはそれなりに大きな川が流れている。木々に囲まれるように小高い丘や山が点在しており、首を後ろへひねれば荒れ果てた魔の国との国境があるなど、考えようもないほど清明な空気が漂っている。
ここには人質になってから何度か来たことがあり、サイゼン国の中でもサーシャが特に気に入った場所の一つでもあった。しかし、ここへ来るのも楽ではなかった。減量計画にたびたび失敗していたサーシャの体は、たとえ鎧を着込んだところで言い訳が効かないほど膨らんでおり、横幅だけでも以前の彼女の3〜4倍はあった。以前から感じていたことではあるが、体に余分な脂が付くにつれて息は荒く、体に熱がこもるようになりよく汗をかくようになった。
サーシャは身だしなみには気を使うたちであり、汗をこまめに拭きとるための布や、入浴の数も増えた。持参していた衣服はそのうち着られなくなり、大きめのサイズを用意してもらっていた。それでもサーシャの成長っぷりについてゆけなかった衣服は、彼女の体にぴったりとはまってしまい、入浴前の脱衣時に侍女たちをさんざん手こずらせた。
一人ではすでに脱げなくなっていて、無理をしようものなら、上半身は胸から上が顔までスッポリ衣服で覆われホールドアップの体勢を取っても視界を奪った衣服の位置は微動だにしない。そのままがむしゃらになり体ごと縦横左右へ振ってみようものなら、制御の利かなくなった腹やら尻やらの肉が大暴れして、前か後ろに倒れて大きな地響きを立てるのが落ちだった。その後、一人で脱衣をすることもできないのが恥ずかしく、半ば乱気になって何度か同じことを試してみたが、地響きを鳴らすのがとどのつまりであり、唯一違うことといえば、前に倒れればドンと出っ張ったお腹がぶよっと潰れて横に広がるか、後ろに倒れて尻と背肉の弾力により数回バウンドするかのものであった。
お腹をつぶすように倒れた時は横に広がりきれなかった脂肪が内臓を圧迫して、思わず
「プッ!っぶふぅ〜!・・・ひゅー。ひゅー。ぐ、るじい。た・・・助け、ケフッ、助けてくらは〜い・・・」
という具合に、一度気が抜けたように息を吹きだし、その後は声も絶え絶えながら侍女週に助けを求めていた。お付きの侍女は2人いたのだが、それでは圧倒的に力が足りず、さらに3人を呼びなんとか客人をひきおこした。腹から倒れたことでさすがに懲りたのか、それからの着替えは全て侍女に任せることにした。
風呂場ではそんなことがあったのだが、今さわやかな風に吹かれているこの狩場へ来る時にもひと騒動あった。狩りへ出かけるというとその時にはあっさり馬を借りられた。そもそも監視役が乗る馬と、騎士や王侯貴族が乗る馬とでは用途も所有権も違うので、当たり前といえば当たり前だ。
狩りといえば紳士のたしなみであり、接待する相手によっては国益にも直結する、とても神聖なスポーツだ。持ち主が居る森で狩りをするには主の許可が必要であった。それだけではなく、身分によって取ってよい動物も決まっており、たとえ許可証を与えられたハンターであったとしても、規定外の動物を取れば罰金が科せられた。
昔の話だが、王のみに狩ることを許された大白鹿を過失であれ討った者は、国によっては死罪というところもあった。また成熟しきっていない動物を殺すのはマナー違反とされており、いい頃合いに熟したものであっても、たとえ需要の低い沢ウサギだったとしても王や貴族など身分の高いものに優先して残しておかなければならなかった。必然的に狩人は成熟一歩手前の若い小・中型の動物か、老いきって肉も皮も固くなったものを自活用に獲るのだった。
市場で出回っている良質の皮や牙などは金に困った貴族が売り払ったものがほとんどである。しかしなかには領主の特別な許可を得て最高の獲物を最高の状態で仕留めて市場に流す者もおり、領主からそのような許可を得られる者は、全狩人の目標であり憧れだった。
サーシャのように国の庇護に置かれた者には、そういったもろもろの権利がすべて与えられていた。彼女のような客人の立場は、平民出のハンターからしてみれば自由狩猟の許可を得た、領主お抱えの狩人になることであり、ひいては有事の際に待遇の良い猟兵として取り立てられることも同義であった。
そのような身に余る大きな特権を得ていたサーシャであったが、狩人泣かせの特権が彼女を縛ることはなく、代わりに自身の腹がサーシャを苦しめることとなった。せっかく用意してもらった馬にまたがることができない。これは異常事態である。本人も周囲もうすうす感じてはいただろうが、それでも一部の望みにかけて騎乗を試みたが、やはりその望みは虚しく散った。
大きく出っ張った胸と腹が邪魔をして、鐙にうまく足がかからない。大きく膨らんだ柔らかいパンのような塊を三つ、なかば強引に馬に押し付けるようにして鐙に足をかけようとする。しかしなかなか鐙が見つからない。下を向けば縦にぶにゅうっと潰れた胸が邪魔をしていて覗き込むことすら叶わない。
首を下に向けるとあごの辺りに圧迫感があり、少し首を引かないと肉に邪魔されてきちんと下を向けない。しわになる様な中途半端な肉は首周りには既になくなっており、下を向いても二重あごにはならず顔はパンパンに張りつめている。
真正面から覗くことを早々に諦めて今度は横から試してみる。しかしこれもダメ。広がった脇腹が視界を邪魔して、鐙のある位置を隠して余りある。太ももは馬の胴の半分かそれ以上という太さで、ただ動かすだけでも疲れる。それを振り上げてどこにあるかわからない鐙に必死にかけようとしているのだから、異様に疲れる。目標が見えないということも手伝って、さらにその疲れは増した。
息は次第に雑になり、馬に持たれかけている腕にも力がこもってきた。サーシャがここまで疲れている理由は太もも以外にもある。彼女のぷっくりした太ももが鐙を探している間、自己主張の強すぎる育ち過ぎの尻がじっとしているわけもない。
布にみっちりと食い込み今にも破れそうなほどパンパンに張りつめた尻が、サーシャの足が動くたびにブルブルと揺れ動く。もう布に余裕などなかったはずなのに地肌と擦れて尻がむずがゆい。そのうち、いつまでも馬に跨ることすらままならない自分の姿を端から見た図を想像しだし、ひどく滑稽に思えた。そんな絵を思い描き次の瞬間、我に返ると途端に顔がボッと熱くなり今すぐこの大きな体ごと、どこかに消えてしまいたいという気持ちになった。
自ら狩りに誘っておいて当の本人は支度すらままならないという状態では、面目も何もあったものではなかった。それ以前に、今の自分が置かれている状況が一人の女性としてあるまじき失態であり、サーシャのここ最近で赤みがかってきた顔をさらに真っ赤にさせるには十分だった。もっとも、そんな細かいことを気にするような無粋な輩はこの場にいなかった。みな純粋にサーシャの動向を微笑ましく見守っていたのだが、それもサーシャの顔を赤みがからせる要因となった。
彼女が馬に体重を預けたまま下をうつむき呆然としていると、周囲にいた騎士仲間たちが見かねてサーシャの騎乗を手伝った。厩も神聖な狩り場への入り口であるため、まだ城内であるのに侍女はついて来ていなかった。追い立て役の従者数名と騎士が2名、貴族が1名とごく小規模な集まりだった。
侍女でもない者が貴婦人の体に直接触れるというのもはばかられるため、その場にいた騎士と貴族の3名で彼女を馬上に持ち上げようとした。しかしサーシャの体は見た目よりも存外重く、少し体が浮きはするものの、なかなか鞍まで腰が届かない。
鐙に足をかけさせるだけでは、どのみち腹などが邪魔をし自力では上がれない。失敗するのは目に見えていたため、最初からやろうとはしなかった。誰かを呼びに行こうとしたがまだ朝も早く、それにみなそれぞれの任務で出かけていて重要な場所以外、城内はほとんど空だ。
一行が頭を悩ませていると彼らの下に大きな音が段々と近づいてくる。重機だ。町の復興に使われているのと同じもので、城の修復にも使われている。どうやら組み立てが終わりこちらで作業を開始するようだ。騎士の一人が技師の下へと歩み寄っていき、事情を説明した。快活そうな体格の良い男だ。
「お客人のためでしたら喜んでこの腕を振るわせてもらいますぞ。普段は橋の建築や町の区画整備など、大規模な工事でもない限り、あっしら技師はくいっぱぐれちまいますからなあ。お国のために役立てるなら本望ってやつですわ。ところで、客人てぇいうと、あれかい?御武家さま。恐ろしく美しい(最初は「恐ろしく強い」であったが、そのうち「恐ろしく強く美しい」となり、今では「美しい」だけが独り歩きしている)てんで評判のサーシャ嬢はもうけぇっちまったのかい?」
ここ最近は体が重くとても忍んで抜け出せるような身のこなしができなくなっていたため、城下にも訪れなくなり町の者もサーシャの劇的な変化を見た者はいなかった。騎士がばつの悪そうな顔をしながら、あそこにいるのがサーシャ本人だと説明すると、技師はひどくたまげたといった様子で、サーシャの方を向きながら目を大きく見開き、あごを力なく垂れ下げたまましばらく見つめていた。
少し離れたところにいたものの、会話の内容はある程度耳に入ってきたため、今自分がどのように技師にみられているかは、その沈黙により把握できた。サーシャは目を伏せて技師とは目を合わせなかった。
建築用の重機を技師が巧みに操り、サーシャを馬の真上へと誘導するべく、彼女の体を持ち上げる。建材を縛るための幅広のベルトを腹回りにまきつけ、四つん這いの体勢でそのまま地面から話すのである。あとはクレーンを馬の真上に誘導するという段取りだ。一見簡単なように見えるが、重機を操るには熟練した職人の技と感、緻密な計算が必要とされるのである。
ベルトはもとが建材の運搬に使う物のため、幅がとても広い。並の人間ならベルトにぶら下がりながらそのまま持ち上げられ、城の高いところを工事にする際などは、一度に数人の技師がベルトに足をかけてクレーンとベルトを繋ぐ紐を手でしっかりとつかみ、上に登り作業に徹していた。
そのようなベルトを今はサーシャ一人で独占しており、それには技師の男も驚いた。しかもベルトに腹が収まりきらず、上や下から余った肉がはみ出している。万が一にもすり抜けたりしないよう、きつめに縛ると
「ぅおっ・・・」
と一声苦しそうな声とともに空気がプヒュウと彼女の口から漏れだした。しきりにベルトの辺りをいじり調整しようとしているが、特殊な機材のため使い方がよくわからず障るたびによりきつく閉まってしまうので、いじることをやめた。端から見ている貴族は彼女の荒い息図解を見ながら、窒息してしまわないかと見守っていた。
なんとも不格好な形となったが、これで準備は整った。四つん這いになっている姿はまるで牛のようであり、乳牛にふさわしくパッツンと膨れ上がった乳房は地面すれすれに垂れ下がっている。彼女が乳牛ならそろそろ絞ってやらないと父が同化してしまう時季だろう、と一件の騒動を近くで見ていた厩版の従卒は思った。
なにはともあれ、サーシャの体は宙に舞った。舞ったというのは誇張であったか、しかし体がふわっと浮かび上がった瞬間は、サーシャ自身がそう感じた。実際は大分動きも鈍く、舞ったなどとはお世辞にも言えなかった。
初めての感覚に多少心躍ったのもつかの間、体が浮いたことにより全体重がベルトのまかれている腹にのしかかる。
「うごぉ!?ぐっふ・・・ぷへぇっふ・・・ふひぃ、ひい、ひい、ふぅ・・・ひっぷふ!」
一瞬息ができなくなった彼女は何とか呼吸を整えようと、逃げていく体内の空気を逃がさないようにした。しかしあまりの圧迫に耐えきれず会えなく空気は漏れ出し、なんとか呼吸を試みようと息のしやすい方法を試してみる。テンポをつかみ酸素の供給が安定したかに思えたが、数秒も経たないうちに上昇しきったクレーンが急停止し、さらに向きを変えるという今の彼女にとっては拷問にも近い動きをしたため、吸っている最中だった酸素は途中で供給されなくなってしまった。
サーシャが馬上に下ろされる頃には目がトロンとしており、彼女の体がピクッピクッと痙攣するたびに、垂れ下げられた腕や足、胸、尻といわずあらゆる場所がフルフルと揺れた。ようやくサーシャが鞍に腰を据えると騎士たちが彼女を絞めつけていたベルトを外した。拘束から解放された腹はボンッ!とせり出し、元の大きさを取り戻した。
「ふぅーーーっ!ぷぅっ!はあ・・・はあ・・・ぜぇ・・・はぁ・・・あ、ありがとうご、ございまひゅ・・・」
ひとつ大きく息を吸うと、腹もプクーッと大きく膨らむ。そして思い切り息を吐き出すと、少し間をおいて騎士たちや技師に礼を言った。技師の親父は「いや〜いいもん見せてもらったわい。さっすがサーシャ嬢は色っぺぇねえ!おらぁ、わりとその口もいけるもんでね。何か困ったことがあったら、また言ってくんなせぇ、御武家様方。」
といった具合に大した上機嫌で本来の仕事に戻った。この時、技師は礼として金貨袋を与えられたが、後ほどサルコス家からまた別に十分な謝礼が支払われ、一財産築いた後にも多大な功績を残し、文化人として歴史に名を残すこととなった。
そんなこんなで紆余曲折あり、すっかり疲れきったサーシャは少し涙を含んだ呆けた目をしながら、火照った顔を涼しげな風で冷やし、美しい大自然に心の傷をいやしてもらっているのだった。結局この日は狩場に着いたのが昼近くとなり、ろくに獲物も狩らずに丘の上で昼食をとり、昼を回った頃にはみんな揃って早々に帰城した。