俺と陽菜乃と彼女の生きる道 第七章
7章:暴走
しばらく無言が続いた後、先に彼女が口を開いた。
「ねぇ均ちゃん、甘いもの頂戴ぃっ。 なんかヤバいかもぉ……」
「えっ……!? コ、ココア位なら少しだけ残ってたはず、待ってろ!」
突然の事態に俺は鞄から急いでココアをとりだす。
それを陽菜乃に渡した後、すぐさま食べ物を探して鞄とビニール袋を漁る。だが残念ながら、そこには食べ終わった後のゴミしか入っていなかった。
「ごめんっ、もう他の食い物は残ってない……。」
「そ、そっかぁ……あと少しでおうちに着きそうだし、が、我慢するねぇ……」
陽菜乃は明らかに残念そうだ。
だが通学路には買い物が出来る店などないため、急いで帰るよりほかないだろう。
*****
5分ほど経った頃。
とうとう、陽菜乃のお腹が限界を迎え始める。
ぐきゅるぅぅぅ〜〜
「お腹の方は大丈夫か……陽菜乃?」
「ぶひぃぃ……ぶひゅぅぅ……食べ物ぉ……お腹ぁ空いたよぉぉ……」
(マズいな……いよいよ意識が飛びつつある……)
汗だくになりながらも、休憩をすることなく、必死に歩く陽菜乃。だがそのモチベーションは完全に、食べる為でしかない。既に彼女の意識は朦朧としており、発作が起こるのも時間の問題であろう。
そうしている内に、ようやく陽菜乃の家が見えてきた。
「ほら、もうすぐで着くから……あと少し頑張れ!」
「食べ物ぉ……食べたいぃっ……食べ物ぉぉ……食べたいのぉぉぉっ!」
「ひ、陽菜乃!?」
食欲が限界に達したのか、なんと陽菜乃が突然家に向かって走り始めた。
普通の人の早歩き程の速度ではあるが、彼女の突然の行動に驚いた俺は一瞬行動が遅れてしまう。
「お、落ち着け! 陽菜乃!」
何とか後ろから追いつき、彼女の手を掴む。
だが陽菜乃と俺の体重差が違いすぎるため、俺の制止をいともたやすく振り切る。もはや俺の言葉は耳にも入っていないのであろう、玄関を開けると土足のまま自分の家へと上がり込んだ。
ドタドタドタッ……
「おかえり陽菜乃、そんなに急いでどうしたの……」
「ぶふぅぅぅ……ごはん、ごはん、ごはんっ? いっただきまぁ〜すっ?」
「ひ、陽菜乃っ!? ちょっと、止めなさい! それは私達皆の晩御飯なのよっ……お父さんの分も取ってないのに……。」
「はぁん、美味ひぃぃ……? モグモグ……クチャクチャ……ごはん美味ひぃよぉぉ〜??」
母親の声も今の彼女には届かなかった。食欲が暴走した結果、お箸を使う事もなく手づかみで、陽菜乃は母親が作っていた晩御飯を片っ端から胃袋に詰めていく。
遅れて部屋に入った俺は、茫然とその姿を眺める陽菜乃のお母さんに駆け寄る。
「大丈夫ですかっ! 俺が付いていながら、陽菜乃の発作を止められませんでした……すみません。」
「あぁぁ、陽菜乃……。どうして、どうしてこんな事に……うぅぅぅ……ぐすん。」
陽菜乃のお母さんが思わず泣き崩れる。
だが無情にも、悲しむ母親の方には目もくれず、陽菜乃は一心不乱に食事を食べ進める。
「あはっ? ごはん美味ひぃぃ……もっと、もっとぉ食べるのぉぉ? ぶふぅぅ……あ〜ん、げぷぅっ?」
ガツガツ……クチャクチャ……ゴクンッ
「あぁぁっ……美味ひぃ……? んん……はぁん……美味ひぃぃっ? もっと食べたいぃぃ……お腹がはち切れるまでぇっ? はぁっ〜、はぁぁぁっ〜……んん、ぶふぉっ?」
モグモグ……バクバク……クッチャクッチャ……
「あはぁぁん? はぁぁ……んんっ? もっとぉ、もぉっとぉぉ……たくさん食べるのぉぉっ? ぶひぃっ……ぷふぅぅ〜、最高にぃ幸せぇぇっ?」
こうなってしまっては、もはや周りの人間には成す術がなかった。陽菜乃の発作が治まるまで、目の前の食事が食べつくされるまで、ただ黙ってそれを見守ることしか出来なかった。
*****
「はぁ〜ぁ……美味しかったぁぁ? ぶふぅぅ〜……げぇぇぇぷっ! ……ん……あ、あれっ、私今まで何をぉ?」
満腹になり正気になった陽菜乃の目に最初に写ったのは、強盗に遭ったかのように散らかったキッチン。続いて、油と調味料でべとべとに汚れた自分の手と制服。そして最後に、怯えた様子で彼女を眺める母親と恋人の姿を捉えた。
陽菜乃はようやく、自分が何をしたのかを理解した。
食事後の満腹感が一気に罪悪感へと塗り替えられていく。
「う、嘘ぉ……私そんなっ……ご、ごめんなさいぃ……本当にごめんなさいぃぃっ……ぐぇぇぷ!」
「ははっ、豪快なゲップね……陽菜乃ってばもう人間じゃなくて豚さんみたいよ……。あぁ、私の大好きな陽菜乃……な、なんでこんな事に……。ぅうぅ……うぅぅぅ……ぐすん。」
「ごめんなさいぃ、お母さんっ……。なんでこんな時にっ……ぐぇっぷ……。ち、違うのぉ……私だってこんな事望んでないのにぃ……ぐすっ。い、いやぁっ……もう私ぃ、耐えられないよぉぉっ!!」
ドタドタドタッ……
「おい、陽菜乃っ! ちょっと待てってば!」
陽菜乃は逃げるように、自分の部屋に戻ろうとする。俺はそれを慌てて止める。
「離してよぉっ、均ちゃん……! こんな私なんかにぃこれ以上関わらないでぇっ! 食べることしか出来ない私なんかのために……人に迷惑をかけてばっかりの私なんかと関わらないでよぉっ!」
「嫌だ! 俺は、お前が好きなんだ……どんな時も陽菜乃を一生支えるって決めたんだっ!」
「そんなこと言わないでぇっ……。均ちゃんには私の分まで、幸せになって欲しいのぉ。私と一緒にいると均ちゃんに迷惑を掛けちゃうし、私もこれ以上誰かに迷惑をかけるのは耐えられないぃ。誰かを悲しませる位なら、こんなに太っちゃう位ならぁ、もうあの時、私なんて死んじゃえば良かったのぉっ……!」
「おい、陽菜乃っ! お前なんてこと……」
「お願いだから……もうこれ以上私に関わらないでぇっ!!」
そう言うと、彼女は俺を突き飛ばす。
突き倒された俺がのけぞっている間に、彼女は急いで自分の部屋に入り、すぐさま鍵をロックする。
ドンドンドンッ!
「おい、陽菜乃! 開けろよっ! そんなに自分を追い込まなくたっていいじゃないか! お前にだって生きる権利はあるに決まってるだろっ!」
「均ちゃん、ごめんね……。本当にごめんねぇっ……ぐすん……。」
扉の向こうから陽菜乃がすすり泣く声が聞こえたが、結局その日、彼女が扉を開ける事はなかった。
そして次の日も、そのまた次の日も、陽菜乃の部屋は閉ざされたままであった。
*****